10/06/20 11:45:34 Gjve2Zh5
改めて自称「信仰的天才さん」がやってしまった教祖伝逸話篇139の「あれがフラフでは土佐の男達に申し訳が多々布だ。」というギャグ漫画の解説を指摘しておきます。
まず最初に教祖伝逸話篇139を全文「吟読」しましょう。
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天理教教祖伝逸話篇一三九 「フラフを立てて」
明治十七年一月二十一日(陰暦 前年十二月二十四日)、諸井国三郎は、第三回目のおぢば帰りを志し、同行十名と共に出発し、二十二日に豊橋へ着いた。
船の出るのが夕方であったので、町中を歩いていると、一軒の提灯屋が目についた。そこで、思い付いて、大幅の天竺木綿を四尺程買い求め、提灯屋に頼んで旗を作らせた。
その旗は、白地の中央に日の丸を描き、その中に、天輪王講社、と大きく墨書し、その左下に小さく遠江真明組と書いたものであった。
一行は、この旗を先頭に立てて、伊勢湾を渡り、泊まりを重ねて、二十六日、丹波市の扇屋庄兵衞方に一泊した。
翌二十七日朝、六台の人力車を連らね、その先頭の一人乗りにはこの旗を立てて諸井が、つづく五台は、いずれも二人乗りで二人ずつ乗っていた。
お屋敷の表門通りへ来ると、一人の巡査が、見張りに立っていて、いろいろと訊問したが、返答が明瞭であったため、住所姓名を控えられただけですんだ。
お屋敷へ到着してみると、教祖が、数日前から、 「ああ、だるいだるい。遠方から子供が来るで。ああ、見える、見える。フラフを立てて来るで。」と、仰せになっていたので、
お側の人々は、何んの事かと思っていたが、この旗を見るに及んで、成る程、教祖には、ごらんになる前から、この旗が見えていたのであるなあ、と感じ入った、という。
註 フラフは、元来オランダ語で、vlag と書く。旗の意。 明治十二年、堺県令に対して呈出した「蒸気浴フラフ御願」の中にも「私宅地ニ於テ蒸気浴目印フラフ上度候間」という一文がある。
これを見ても、フラフが、旗を意味する帰化日本語として、コレラ、ガラス、ドンタクなどと共に、当時、広く使用されていたことを知る。
********************
以上が、逸話篇139の全文です。(続く)
3:山名
10/06/20 11:48:06 Gjve2Zh5
基本ちゃんの漫画解説その1『つまり、旗ならば「フラグ」あるいは「フラッグ」と呼ぶべくであるのダ。』です。
スレリンク(psy板:3番)
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3 :基本:2010/05/09(日) 21:37:03 ID:uMMvTlFY
逸話篇139
(フラフをたてて)を、改めて吟読させて頂く。
『 明治十七年一月二十一日(陰暦 前年十二月二十四日)諸井国三郎は、第三回目のおぢば帰りを志し、同行十名と共に出発し、二十二日に豊橋へ着いた。
舟の出るのが夕方であったので、町中を歩いていると、一軒の提灯屋が目についた。
そこで、思い付いて、大幅の天竺木綿を四尺程買い求め、提灯屋に頼んで旗を作らせた。
その旗は、白地の中央に日の丸を描き、その中に、天輪王講社、と大きく墨書し、その左下に小さく遠江真明組と書いたものであった。
一行は、この旗を先頭に立てて、伊勢湾を渡り、泊まりを重ねて、二十六日、丹波市の扇屋庄兵衛方に一泊した。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、
フラグ (Flag)
英語で旗のこと。旗の意味では「フラッグ」と表記することが多い。
・・・・・・・・・
つまり、旗ならば「フラグ」あるいは「フラッグ」と呼ぶべくである。
おやさまは「フラフを立てて」と言われている。
「フラク」ではない、「フラフ」。
この違いは、何なのであろう。濁点を付けると、「フラク」なら「フラグ」。
旗である。
「フラフ」なら、「フラグ」である。
つまり、おやさまは、心の濁りとはみなされていなくて、「フラフ」。
ブラフ - Wikipediaブラフ. bluff. はったり、威嚇、こけおどしのこと。
まさに、「だるいだるい」。
「てんりんおう講社」というはったり。
「フラフが来る」とは、そういう意味だったと、基本的には理解する。
******************************
(続く)
4:山名
10/06/20 11:51:05 Gjve2Zh5
>>3
>英語で旗のこと。旗の意味では「フラッグ」と表記することが多い。
>・・・・・・・・・
>つまり、旗ならば「フラグ」あるいは「フラッグ」と呼ぶべくである。
>おやさまは「フラフを立てて」と言われている。
>「フラク」ではない、「フラフ」。
雛型における時代背景も理解していない漫画解説です。
鎖国時代、西洋と交易があったのは唯一の国はオランダ。唯一の交易の窓口は長崎。
鎖国時代における日本へ伝わる西洋文化の主流は、オランダ語による蘭学というものでした。
中学校で習う歴史です。明治においてもオランダ語からの帰化日本語は生活に浸透していた。
そんな時代背景にも考えが至らない基本ちゃんの漫画解説。
「英語ではフラッグと呼ぶべきなのにどうしてフラフなの?」というのは中学校レベル以下の歴史認識でした。
江戸―明治にかけて日本では旗の事をオランダ語のVlagを語源として一般的にフラフと呼んでいたよと指摘しても、
フラフと言う言葉は雛型当時使われていなかったと夜を徹しての反論投稿。まさにギャグ漫画です。(続く)
5:山名
10/06/20 11:55:36 Gjve2Zh5
基本ちゃんの漫画解説その2『フラフは、「ブラフ」を清音にしたものという悟りは、ちゃんと成り立つのダ。』です。
スレリンク(psy板:40番)
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40 :基本。:2010/05/22(土) 01:16:31 ID:fgdU7Qfy
>>9
「 vlag 」のV の発音の考察があるので、紹介しよう。
URLリンク(lejournaldeyochiko.blogspot.com)
URLリンク(lejournaldeyochiko.blogspot.com)
オランダ語のVをカタカナ表記にすると「ヴ」か「フ」か。
「ヴィンセント・ヴァンゴッホ」ではなく「フィンセント・ファン・ホッホ」であるべきなのだろうか。 「ヴァン・ゴッホ」だとすれば、フェルメールは「ヴェルメール」? なんだか変。
結論は、基本的にVは「ヴ」だが、ハ行を用いても問題ない。
あえてハ行の多数派に合わせる必要もないということだった。
音声学的に考えると、オランダ語のVの音素は/v/で、発音は[v]だ。
ただ、時々無声化して[f]の発音となることがある。
・・・・「ヴァン・ゴッホ」、「フェルメール」、「ベートーヴェン」の表記については
「気になるカタカナ語」で同じ議論をしている方々がいた!
[v]を「フ」とするのは「ドイツ語流の発音」とのドイツ文学の先生のご意見。
「フェルメール」の表記に従えばvan Beetovenは「ファン・ベートーフェン」。
・・・やはり、外国語をカタカナにするのは難しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
オランダ語の発音としても、「ヴ」なのだ。
澄むと濁るで悟るというおやさまの教えの基本に従うなら、フラフは、「ブラフ」を清音にしたものという悟りは、ちゃんと成り立つ。
そこにある、おやさまの、残念と親心を、ちゃんと見据えていただけたらと、残念でならない。
***********************
(続く)
6:山名
10/06/20 12:05:20 Gjve2Zh5
基本ちゃんの漫画解説その3
スレリンク(psy板:41番)
41 :基本。:2010/05/22(土) 02:04:03 ID:fgdU7Qfy
諸井国三郎氏の旗製作の場所、豊橋で「旗屋」さん関係を検索しても「のぼり」としてしか出てこない。
東海関東では、「鯉のぼり」の「ゆぼり」という呼び名が通例であり、「フラフ」というのは、「のぼり」に比較して、豊橋で用いられていたとは認めがたい。
つまり、旗=フラフという認識は、東海地区の常識とは言いがたい。
「フラフ」と言う言葉は、「高知」の特産品として「フラフ」と現在も有名である。
豪華なデザインと彩色が売りである。
高知県立美術館ミュージアムショップ 吉川工房 フラフ
ここには、その伝統芸の名人がいて、「フラフの栞」という案内を公開して下さっている。
URLリンク(www.kochi-sk.co.jp)
主に高知市から東の海岸地帯で男子誕生を祝う端午の節句に、鯉のぼりや幟とともに、真澄の空高くあげられております。
稲の二期作がはじまった明治のおわり頃から、天候の不順な農繁期における生活の中で、取りあつかいを簡便にと工夫された風習がひろまり、伝統となりまし た。
フラフはオランダ語の旗の訛りで、大漁旗から着想したともいわれます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう一つ、紹介しましょう。Web高知土佐の技、にも説明があります。
URLリンク(www.webkochi.net)
フラフの由来
フラフはオランダ語の「旗」が訛ったものと言われていますが、英語のFlagにも似ています。
大漁旗から着想したものと言われていますが、その歴史は意外に浅く、米の二期作が始まった明治の終わり頃からだそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
フラフは、本場の高知でも、明治17年頃には、生じていなかった可能性があります。。
おやさまの「フラフ」のお言葉が、大量旗の土佐式「フラフ」だったという根拠は、かなり怪しいものです。
7:山名
10/06/20 12:08:14 Gjve2Zh5
基本ちゃんの漫画解説その4
スレリンク(psy板:42番)
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42 :基本。:2010/05/22(土) 02:24:30 ID:fgdU7Qfy
URLリンク(www.catseye.co.jp)
フラフと鯉のぼり・・・・・
南国高知では、鯉のぼりと一緒にフラフを揚げてお祝いをします(高知県東部)。
鯉のぼりの上がり始める4月上旬は 米の二期作地帯で有名な高知県では 田植えの時期とちょうど一緒になる為上げ下ろしに簡単なフラフを考案したと伝えら れています。
「フラフ」の語源は、英語の「Flag(フラッグ)」が土佐流に訛った、あるいはオランダ語の訛りである、など諸説あるようです。
龍馬の国土佐から時代をさかのぼること150年!!
江戸後期より明治に掛けて作り出された土佐の穀倉地帯 高知平野の二期作農家より農繁期に上げ下ろしに便利な フラフが考案されたとも言われております。
職人技の冴える逸品手描き手染め旗 一つ一つ丁寧な手作業が光ります
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぜひ、綺麗な彩色の「フラフ」。
各ページに行って、そのお仕事の綺麗さを、お確かめください。
さて、「フラフ」だったかどうか。
きちんと論証しているわけですが、豊橋では「フラフ」の匂いはない。
高知には「フラフ」は伝統のものとしてある。が、明治後期の誕生の説が、きちんと書かれてある。
高知の公式案内ではこうあります。丸ごと高知。URLリンク(www3.ocn.ne.jp)
関連用語URLリンク(www3.ocn.ne.jp)
●フラフ
名詞 高知では端午の節句に錦絵が描かれた大きな旗を鯉のぼりと共に立て、 健やかな成長を 願います。
フラフはオランダ語の旗の訛りで、大漁旗から着想したともいわれます。
旗の形状は、大漁旗から考案されたようで、主に高知市から東部でよく見られます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
フラフの事はわかりましたが、お屋敷に来たのは、「旗」でしょうか、
「フラフ」でしょうか。「ブラフの旗」だったのでしょうか。
**********************
(続く)
8:山名
10/06/20 12:09:58 Gjve2Zh5
基本ちゃんの漫画解説その5
スレリンク(psy板:43番)
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43 :基本。:2010/05/22(土) 02:38:47 ID:fgdU7Qfy
その旗は、白地の中央に日の丸を描き、その中に、天輪王講社、と大きく墨書し、その左下に小さく遠江真明組と書いたものであった。
>>42
> 錦絵が描かれた大きな旗
イマジネーションの絵があります。奈良教区さん。
URLリンク(oyasato.net)
これは、土佐の「フラフ」とは似ても似つかない。
こんなものフラフと呼んだら、伝統工芸の皆様に失礼なのです。
高知のフラフ、それは、全国に誇るもの。
だからといって、オランダ語の「 vlag 」が、全国的に使われていたとは、言いがたい。
すくなくとも、おやさまは、「英語」か「オランダ語」を言われたのであり、高知訛りの高知語「フラフ」は言われていないと言うことです。
「白地に日の丸」・・これは国旗・・錦絵ではない。
「白地に日の丸、
*******************
(続く)
9:山名
10/06/20 12:15:54 Gjve2Zh5
基本ちゃんの漫画解説その6「あれがフラフでは、土佐の男達に申し訳が多々布だ。」です。
スレリンク(psy板:45番)
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45 :基本:2010/05/22(土) 04:29:50 ID:fgdU7Qfy
>>44
> 松村吉太郎自伝、「道の八十年」p57に、実に生々しい諸井国三郎さんの人柄が記録されています。
引用します。
「 開延式もすんで、方々への挨拶もすんだ。所期の目的を果たしたので、真柱様は平野さんと諸井さんとをつれて出発という事になった。
その出発の前の日、又、ひともんちゃくが起こった。諸井さんは、真柱様に袋井に寄って貰うと言う。ところが平野さんが承知しなかった。
『なんでや・・・』
『こうして本部ができたから、袋井で教会のお許しを貰うつもりや。うちが第一号だ。・・・』
『そんな馬鹿なことがあるか。そんならおぢばに帰って運んだらええやないか。
おまはん一人の抜け駆けは承知出来ん・・・』
『初めからそのつもりです。そのつもりで東京へ来た・・・』
諸井さんは何と言っても後へ引かない。平野さんはぶん゛ふん怒りながら、それでもお供をして立って行った。 」
地場でお許しを貰えという平野。初めから袋井でお許しを貰うつもりで来た、諸井国三郎。「ぢばに心を」と言われた男。・・
この人の「フラフ」は、「日の丸、に天輪講」。 > その左下に小さく遠江真明組
おやさまが、子供に餅をと、用意させたのは、そんな諸井の為におたすけに出向いた四人の布教師たち。
>>31 > 逸話の119には、このような話がある。 【遠方から子供が】逸話篇119
> 遠州へ布教に行っていた高井、宮森、井筒、立花の四人が帰って来た。
その四人には、餅を焼いてと指示されたおやさまなのに、フラフを立ててきた、諸井一行には、何の具体的慈しみは無い。
当然であろう。
日の丸に「天輪講」。まさに、「ブラフ」以外の何物でもない。錦絵の、美が無いのだ。
あれがフラフでは、土佐の男達に申し訳が多々布だ。
**************************
(続く)
10:山名
10/06/20 12:18:22 Gjve2Zh5
基本ちゃんの漫画解説その7「吟読とは教祖の言葉を詩吟のように吟ずるのダ。」です。
スレリンク(psy板:50番)
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50 :基本。:2010/05/22(土) 06:20:28 ID:fgdU7Qfy
吟読、何を歌うのかですよ、
「詩吟」とは詩を吟ずる。
おやさきの、残念をしっかりと、吟じる事、一筋の基本です。
「天輪王の旗」立てたのは、大間違いだと、その間違いを吟じています。
**************************
真言を説きながら、基本。と名乗りながら、未だに訂正記事もなく、「山名はブラフ。」をやってしまっています。
修正不能のようです。
11:山名
10/06/23 22:13:46 NeJQvULa
スレリンク(psy板:59番)
基本ちゃんは、逸話篇139「フラフを立てて」を
>キリシタンで言えば踏み絵の問題でしょ。
と諸井さんを踏み絵を踏んだ裏切り者だと非難されているわけです。
踏み絵。徳川幕府がキリシタン狩りに使用したキリストやマリアの絵。
「キリシタンで言えば踏み絵の問題でしょ。」ってこれって何なのでしょう。
踏み絵を踏んでも地下にもぐって信仰を守った多くの隠れキリシタンをも俺が取り締まってやるといった態度。
これが基本ちゃんの説く天理教です。
明治17年と言えば、教祖が警察や監獄へご苦労下された真っ只中で、お屋敷への官憲の取り締まりは昼夜を問わず、益々厳しさを増していった年です。
おぢばに帰参しても参拝できないそんな状態であった。ましてや、教祖にお目にかかれるかどうかなどわからない。それでも静岡からおぢばまでの道中で官憲に応じる為に天輪王のフラフを用意して、
なんとか教祖にお目にかかりたい諸井さんでした。それを、基本ちゃんは「嘘つき神名派」と非難しているわけです。
12:山名
10/06/23 22:30:12 NeJQvULa
中山善衛二代真柱は教祖伝逸話篇の刊行に際して、次のようなお話をされています。
中山善衛著「道しるべ」より
「こかん様が、お米がないと言ってこぼされた時に「米が無くても、水を飲めば水の味がする」と言ってお諭しになったように、時に応じ、事に当たって、
教祖がこかん様に言い聞かせておられるご様子を拝察し、又、こかん様がその教祖を信じ切ってお言葉通りについてゆかれた信念を窺わせて頂いたのであります。
このこかん様の場合と同様に、私達の先輩は、人間思案を以ってしては先知れぬ道を、教祖のお言葉一つを唯一つの頼りにして、そのひながたを辿り、それぞれに結構なご守護を頂かれたのであります。
逸話篇の一つ一つの話には、そうした人々の、ただ教祖にお会いしたい一心の真実の姿と、帰り来る子供たちを温かく迎えられて、やさしくお諭しになっている教祖のお姿が、ありありと伝えられています。」
基本ちゃんの漫画解説に比して、天理教の真柱が見ろと言われたのは、諸井国三郎の真実の姿でした。
13:神も仏も名無しさん
10/06/23 22:54:03 Z+DKEFp5
三代だろ
14:山名
10/06/23 23:00:54 NeJQvULa
sage進行のところ、ご指摘有難う。三代真柱中山善衛です。訂正します。
15:基本。
10/06/26 10:37:18 gHOeAhrO
刻限御話
明治二十年三月十六日(陰暦二月二十二日)午後八時
さあ/\始め掛けた/\。
六年の間、六年以前より道筋、どのような事もあったであろう。
何でや。天理王命の旗をあちらこちらに立て、何と変わるもの。
一人も寄せ付けなんだ日もあった。
又黒衣を着せた日もあった。
実が誠か、誠が実か。
見えねば分かるまい。
そこで得心が行たやろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明治14年。
稿本教祖伝には、このように記されています。
明治十四年春以来、かんろだいの石普請は順調に進み、秋の初めには二段迄出来た。
第十七号には、元のぢばの理を詳らかに述べ、人間創造の証拠として、元のぢばにかんろだいを据えて置く。
この台が皆揃いさえしたならば、どのような願もかなわぬという事はない。
その完成までに、確り世界中の人の心を澄ますように、と、明るい将来の喜びを述べて、胸の掃除を急込まれた。
しかし、その直後思いがけない事が起った。
石工七次郎が突然居なくなったのである。測らずも、石普請はこゝに頓挫した。
一見、偶然のように見えるこの出来事も、人々の心の成人につれ、又、つとめ人衆の寄り集まるにつれて、かんろだいは据えられる、と、第九号に諭されているお言葉と思い合わせると、
護摩の煙に燻って、澄み切るには未だ早い実情であったと言えよう。
それを思えば、この思いがけないふしも、実は、余りにも成人の鈍い子供心に対して、早く成人せよ、との、親心ゆえの激しいお急込みであった。
明治十四年五月には大和国倉橋村の山田伊八郎が、九月には京都の深谷源次郎が、信仰し始めた。
この頃には、講の数は、二十有余を数えるようになった。
即ち、大和国の天元、誠心、積善、心実、心勇、河内国の天徳、栄続、真恵、誠神、敬神、神楽、天神(後に守誠)、平真、大阪の真心、天恵、真明、明心、堺の真実、朝日、神世、京都の明誠等である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
六年の間、六年以前より道筋、どのような事もあったであろう。
余りにも成人の鈍い子供心に対して、早く成人せよ、との、親心ゆえの激しいお急込みであった。
稿本教祖伝は、六年間の事情を、こう伝えています。
16:基本。
10/06/26 10:41:03 gHOeAhrO
「護摩の煙に燻って、澄み切るには未だ早い実情であったと言えよう。 」
これが、「嘘つき神名派」の秀司先生のなされた理の間違いであった事は、誰でも分かる事である。
秀司先生は、死ぬ事になる。
17:基本。
10/06/26 10:58:34 gHOeAhrO
>>11
> 諸井さんを踏み絵を踏んだ裏切り者だと非難されているわけです。
事実は事実であり、裏切り者だと「ほめて」いるのである。
比較すべき人物は石工の七次郎さんである。
「石工七次郎が突然居なくなったのである。測らずも、石普請はこゝに頓挫した。 」
みんなから、逃げたのと悪口言われた七次郎さん。
実は、獄舎で、死亡していた。
踏み絵を踏まなかったからだ。
石普請止めますといわなかった。それで監獄で、出してもらえず死を迎えた。
殉教者は、石工の七次郎。愚かではないか、殺されたも同然だが、ちょっとうまい事言えば出してもらえたのだ。
18:基本。
10/06/26 11:06:36 gHOeAhrO
> 踏み絵を踏んでも地下にもぐって信仰を守った多くの隠れキリシタン
それなら、嘘つき神名派でもなんでもない。「キリシタン」なんだから。
諸井国三郎の事実を見てみるが良い。
天輪教会の配下となって、別宗教組織をこしらえて、「イソップの蝙蝠」の手法。
「ほめて」あげるばかりである。
それに比較して、石工は、「請けた仕事やめる」と言わなかった。
信者一人も作らず、誰もお助けせず、獄死。
まったく、あきれた愚かさではないか。
いまだに、天理教教団内部で、ほめる人はいない。
19:基本。
10/06/26 11:12:02 gHOeAhrO
「このこかん様の場合と同様に、私達の先輩は、人間思案を以ってしては先知れぬ道を、教祖のお言葉一つを唯一つの頼りにして、そのひながたを辿り、それぞれに結構なご守護を頂かれたのであります。」
これは、「ひながたをたどり結構な道を頂かれた」そういう人たちの話の場合である。
子供が死んでも結構な道、結構なご守護。
奥さんが半身不随となっても結構な道、結構なご守護。
教会内部で揉めても、結構な道、結構なご守護・・。
こりゃなんなのだ。
20:基本。
10/06/26 11:14:39 gHOeAhrO
諸井国三郎さんを「ほめて」いるのであって、そんな事しててもお助けがあがった。
偉い!。
でも、真似してしまうと、同様の不幸、山積です。
21:基本。
10/06/26 11:36:11 gHOeAhrO
>>11
> 明治17年と言えば、教祖が警察や監獄へご苦労下された真っ只中で、お屋敷への官憲の取り締まりは昼夜を問わず、益々厳しさを増していった年です。
> おぢばに帰参しても参拝できないそんな状態であった。
明治17年と言えば、実際はどうであったか、
稿本教祖伝、こうあります。
『お帰りの時には、信者の人々が多数、お迎えに押し寄せたので、監獄署の門前は一面の人で、
午前十時、教祖が門から出て来られると、信者達はパチ/\と拍手を打って拝んだ。
監獄署を出られた教祖は、定宿のよし善で入浴、昼飯を済まされ、お迎えの信者達にもお目通りを許され、酒飯を下されて後、
村田長平の挽く人力車に乗って、お屋敷へ帰られたが、
同じく人力車でお供する人々の車が数百台もつゞいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほら、大勢と会って、酒飯をあげてるでしょ。
逮捕された、直後ですよ。
明治16年には「毎月26日参拝者多数」です。
明治17年には、もっと増えている。講も増えている。みんな参拝に来て、講元クラスはおやさまに会っている。
山名さん、見てきたように嘘ついちゃいけません。
おやさまに会うために苦肉の策であったと、そんな苦肉の策を用いてまでもおやさまに会いたい人が、明治17年には、天輪教会の大祭を26日にやって、お地場に来ない。
こういう白々しい解説は、なぜ不幸を見たかの、真の原因を見えなくさせる。
「天輪王の旗の威力を誇示したかった」。偉い!。
「袋井に本部を作りたかった」偉い!。
だって、諸井は弾圧されていない。
石工は、馬鹿です。ちっとも偉くない。それが証拠に、誰か見本にしようという日といますか、私以外に。
22:基本。
10/06/26 11:41:08 gHOeAhrO
言っておきますが、石工の七次郎さんは、未信者だったはずです。
だから、消息が分からなかった。百年は、悪口言われた。軽蔑された。
諸井国三郎は、もう教団のスターです。
官憲の目を欺いてあんな方法があると、皆に希望を与えましたからね。偉い!
石工のような事やってたら、そりゃ布教も出来ない。・・・
命あっての物だねですから。
23:基本。
10/06/26 11:50:49 gHOeAhrO
袋井にての諸井国三郎。
袋井とは、実は、宗教が観光になる街です。
URLリンク(magnoria.at.webry.info)
日蓮上人は貞応元年(1222)2月16日、当時の東条郷片海(今の安房小湊)で生まれた。
父は貫名次郎重忠、母は梅菊。重忠は”権頭”と呼ばれた有力漁民である。
もとは遠州貫名郡の小領主で、領地争いに敗れ、安房へ流されたものらしい。
(「各駅停車 全国歴史散歩14 千葉県」(河出書房新社 1983)より)
遠州貫名郡というとどこかしらと調べてみると袋井市でした。
袋井市には貫名山妙日寺という日蓮宗の古刹があり、日蓮上人の父貫名重忠と母の墓があります。
この土地は重忠の曾祖父まで4代住んだ屋敷跡と伝えられているそうです。
また境内には、遠州七不思議のひとつ『方葉の葦』があるのだそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここは袋井市東部のエコパのある愛野駅の北口で掛川市曽我に近いですね。
24:基本。
10/06/26 18:12:09 gHOeAhrO
明治になって、重忠の曾祖父まで4代がここに祀られるようになったとの事で、明治の時代の事ですから、諸井国三郎は日蓮のことも、当然地元の者の知識の範囲で知っていたと思われます。
「説法」による布教。これが日蓮の武器である事、これも十分に心得ていた。
諸井国三郎は「お話」が人を助けているとの旨、初代真柱への手紙にて語っています。
それは、袋井に教会本部をという提案の手紙の中ですが、お話で人を助けている、布教している。
布教出来る事が何よりも大切であり、お話を堂々と説くには、後で戻せば良いのだから、一時的に本部を移す事だと、そういう理論です。
つまり「方便」を使えばという提言です。
「天理王命」を何より大切に思っているとかも書かれてはいます。
「お話」が人を助けるという諸井国三郎の思想は、長男政一に、地場行きを命じ、神の話をきちんと集めさせていて、
それが集まって、後に正文遺韻と二代真柱様が名づけられた、記録の集成がある程度終わると、今度は、政一を袋井に戻して、山名の後を継がせようとしています。
さて、この書名「正文遺韻」、タイトルの「正文」とは、日蓮の宗派では、「日蓮を正と為す正文」と言う様に用いられています。
二代真柱様の東大時代の恩師は「姉崎正治先生」。
日蓮研究の第一人者です。
二代真柱様が、日蓮関係で用いられる用語を「正文」と承知で、「正文遺韻」と名づけられたという事は、そう認識して間違いではないでしょう。
25:基本。
10/06/26 18:22:51 gHOeAhrO
>>24
> 二代真柱様が、日蓮関係で用いられる用語を「正文」と承知で、「正文遺韻」と名づけられたという事は、そう認識して間違いではないでしょう。
さて、日蓮が「正文」と用いるのは、「正法」であるという証明のための文という事で、
宗教の優劣を判断していくのが、日蓮の論です。
そこで、正文遺韻にはこのような内容があることを認識しておいていただきたい。
URLリンク(www.geocities.jp)
今迄の修理こえのみちは、一時の理 (『正文遺韻抄』p237現代文に書換)
今までに、教え来たる修理、肥の道というは、ちょうど、田んぼにある道のようなものや。
道と思って、伝って(通って)いても、道は区切れてある。
また、その間には、溝もあれば、堀もある。危なきところもある。それで、これは一時の理。時々の理。
この度、神の諭す道は、一時の道や、時々変わる道ではない。
末代、絶えず、末代変わらず、どこに危なきも、案じもない。
この道は、昔からも変わらねば、これから先も変わらぬ道、変わらぬのを天理という。
なれど、今まで、知らず知らず細道に迷って、難儀、不自由をしていたのを、
このたび、聞かして下さる、話の理によって、この大道へ出たならば、「誠、安心、日々通る」という。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しっかりと読んでくだされば、国三郎の「お話が人を助ける」という思想と、
日蓮の「正か邪か」「優か劣か」という思想の語り口と似ている事が見えます。
もう一例、続けます。
26:基本。
10/06/26 18:38:25 gHOeAhrO
URLリンク(www.geocities.jp)
今迄の仕込で、十のものなら、九つまで教えてきた (『正文遺韻抄』p237現代文に書換)
今までの、長い年限のうちに、知恵も仕込み、文字も仕込み、また、その上に、教えというものも、神が入りこんで仕込み、幾重の道もみな教えて来たから、そこで、ものの善し悪しは、大抵、わからぬ者はないであろう。
なれど、九分九厘まで、教えて来たけれども、今、一厘のところがわからぬ。
これをこの度、教えるという。
それ、かりものの理という。そこで、どのような事も、みな足りているけれども(26)、
たった一つ、心で思うようにならんという。これが、不足やろ。
これが不足でなかったら、それで十分。この十分の道を、それ、どうしたら、通れるやろうか。
それ、かりものという理を、聞きわけさえすれば、善し悪しわかっているから、悪い処へ踏み被らず、神様のご恩を知って日々通るから、そこで、誠、一つの理になってくる。
誠は天の理、天の理なれば、神様が受けとって下さって、自由自在の働きを下さる。
思うような、守護を下さる。これで、十分というであろう。
そこで、それ、「自由自在はどこにあるとは思うなよ。銘々、心の理にある」という。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しっかり読んで下されば、「地場の理も天理王命の理」も、説くべき一点が説かれていないと分かります。
日蓮が、妙法蓮華経を仏法の究極として語った手法が真似られていて、
おやさまの原典とは、少し違っていると、分かります。
ようするに、天理教は「最後の教え」。「神の話とは貸し物借り物の話」と、そういう語り口だと言う事です。
そういう日蓮の影響、遺韻をもった「正文」、つまり正当性を語った書物と言う事に、なります。
27:基本。
10/06/26 19:01:22 gHOeAhrO
諸井国三郎が、一時的には地場に長男政一をよこすけれど、それは、「お話収集」のめく敵であり、暫くいても、返すと言い出す事は神は見抜き見通しでした。
天理2のスレにも書いておきました。
そこに紹介したおさしづをここでも、示します。
スレリンク(psy板)l50
明治二十一年十二月五日(陰暦十一月三日)
諸井国三郎の忰政一に付伺
さあ/\尋ねる処/\、よく聞き分けねばならん。
何程の年と言うたとて、さあさあ先ず/\暫く/\/\。
さあ/\どういう心/\、暫く/\/\心一つの定め、さあ/\親々の心定め。
さあ/\居ろうと思もうても居られん/\。
来まいと言うたとて来んならん/\。
さあ/\往のうたとて往ならせん/\。
さあ/\うたに諭しやうで。先にも知らしてある。
さあ/\所々には、深き者には、所々には一つの雛形が拵えてある。
又暫くの間一寸戻りたい。
さあ/\心に深いというのは、一方には分かりはせん/\。
さあ/\まあ/\暫くの処は、置こうと思うて居るがよい/\。
28:基本。
10/06/26 19:06:21 gHOeAhrO
山名さんは、逸話偏について語られた三代真柱さまの言葉を、諸井国三郎さんの失敗にまでも引用して、
諸井国三郎は間違っていなかったと、そんな語り口ですが、
神のお指図では、明確に「違いがあった」と知らせています。
それが、>>27にて、又天理2にて紹介したお指図にあります。
山名さん、分かりますよね。
どこのどんなお言葉に、国三郎違いありと、知らされているのか、分かりますよね。
あなたの知識なら、十分、簡単に分かるはずです。
お返事待ちます。
29:基本。
10/06/26 19:09:09 gHOeAhrO
誤字のはなはだしいものがありましたので、訂正します。
>>27
> それは、「お話収集」のめく敵であり
↑ これは、「お話収集の目的」の、誤字でした。訂正します。
30:神も仏も名無しさん
10/06/26 20:43:54 vftB1TWp
>子供が死んでも結構な道、結構なご守護。
>奥さんが半身不随となっても結構な道、結構なご守護。
>教会内部で揉めても、結構な道、結構なご守護・・。
>
>こりゃなんなのだ。
>ほら、大勢と会って、酒飯をあげてるでしょ。
>逮捕された、直後ですよ。
>
>明治16年には「毎月26日参拝者多数」です。
>明治17年には、もっと増えている。講も増えている。みんな参拝に来て、講元クラスはおやさまに会っている。
>山名さん、見てきたように嘘ついちゃいけません。
>おやさまに会うために苦肉の策であったと、そんな苦肉の策を用いてまでもおやさまに会いたい人が、明治17年には、天輪教会の大祭を26日にやって、お地場に来ない。
>だって、諸井は弾圧されていない。
基本。の旦那のオカルト話や日蓮解説はよくわからんが、
事実を淡々と並べたところの破壊力は凄いな。
……山名さん、なんで勝算があると思ってスレをたてたんだろう。
31:山名
10/06/26 21:12:16 UcE8JP1R
このスレは、基本ちゃんの嘘つき教理解説を指摘して、2ちゃんを覗く天理教徒が間違わないようにと立てたスレです。
>つまり、旗ならば「フラグ」あるいは「フラッグ」と呼ぶべくである。
>おやさまは「フラフを立てて」と言われている。
>「フラク」ではない、「フラフ」。
>この違いは、何なのであろう。濁点を付けると、「フラク」なら「フラグ」。
>旗である。
>「フラフ」なら、「フラグ」である。
>つまり、おやさまは、心の濁りとはみなされていなくて、「フラフ」。
>ブラフ - Wikipediaブラフ. bluff. はったり、威嚇、こけおどしのこと。
このギャグ漫画の解説を未だ訂正していません。
この解説は間違いだと認めて訂正記事を出されたらどうでしょう。
それとも、フラフはブラフを清音にしたもので「山名はブラフ」なのだを続けるつもりなのでしょうか。
>山名さんは、逸話偏について語られた三代真柱さまの言葉を、諸井国三郎さんの失敗にまでも引用して、
>諸井国三郎は間違っていなかったと、そんな語り口ですが、
作文の上手な基本ちゃん。「諸井国三郎さんの失敗にまでも引用して」とそのような誘導には引っかかりません。
いつ何処でそのような引用をしたのでしょう。嘘をつくなです。もう一度言います。嘘つき教理解説取り消しますか、嘘つき教理解説の基本ちゃん。
32:山名
10/06/26 21:21:34 UcE8JP1R
>>30
>……山名さん、なんで勝算があると思ってスレをたてたんだろう。
勝ち負けで立てたスレではありませんので誤解無く。嘘は嘘。訂正もせず放置しておけば、皆が間違えるでしょう。
33:神も仏も名無しさん
10/06/26 21:28:26 vftB1TWp
>嘘は嘘。訂正もせず放置しておけば、皆が間違えるでしょう。
なるほどね。
>おぢばに帰参しても参拝できないそんな状態であった。
>ましてや、教祖にお目にかかれるかどうかなどわからない。
>それでも静岡からおぢばまでの道中で官憲に応じる為に天輪王のフラフを用意して、
>なんとか教祖にお目にかかりたい諸井さんでした。
これは間違いではないの?
34:山名
10/06/26 21:46:10 UcE8JP1R
>ほら、大勢と会って、酒飯をあげてるでしょ。
>逮捕された、直後ですよ。
それから
>明治16年には「毎月26日参拝者多数」です。
>明治17年には、もっと増えている。講も増えている。みんな参拝に来て、講元クラスはおやさまに会っている。
>山名さん、見てきたように嘘ついちゃいけません。
嘘つき教理解説の基本ちゃんに嘘つきと呼ばれてどうしたものかと。明治17年といえば、
山名大教会史より引用。
「(前略)前にも再度記した如く、天理教に対する官憲の圧迫は益々苛酷となり、大和一円の地は云う迄もなく、明治十七年の頃には大阪府下に於ける、天理教の取締は一段厳重の度を加えた。当時大阪府警察部長であった大浦兼武氏(後の子爵)は、
大阪府下一般の警察へ左の如き布達を発している。
神降又ハ稲荷下ゲノ類ハ予テ不相成旨布達モ有之候処近来天輪王ノ命ト称シ之ヲ信仰スルモノ諸人ヲ集メ神ノ告ゲ抔(など)ト
怪異ノ説ヲ唱へ人ヲ眩惑セシムルモノ有之既ニ和泉国北郡豊中村ニ於テ人ヲ死ニ至ラシメタル義モ有之候條各署ニ於テ一層注意シ右等衆ヲ集メ眩惑セシムルノ処為
アルモノハ布達違背ノ廉ヲ以テ処分可致此段及通達候也
事情、既に此くの如くであった、その中心たるお地場の上にあらゆる手段の干渉、迫害、圧迫の手が打続き下された事は述べる迄もない。
明治17年とはお屋敷に人を寄せてはならぬという通達が警察からあった真っ只中です。官憲の取り締まりは昼夜を問わずというのが史実です。
監獄からでてこられた教祖を門前で多くの信者が出迎えた。それを基本ちゃんは、まるでスルーでお屋敷参拝OKという作文。さすがです。
35:山名
10/06/26 22:39:34 UcE8JP1R
スレリンク(psy板:629番)
>現実に神名の問題は、おやさまを「天理王命」とお呼びしていなかった道があります。
>天理教の学園で教育の現場で「おやさまは月日の社」、「天理王命は地場」、「だけどその理は一つ」と、教え込んでいた事実の歴史があります。
>学校の天理教の教科書そのものも、そういう方向で書かれている。
>この事実は、正直がよろしい。
>ちゃんと、認めることです。
御自分の嘘つき解説「山名はブラフ」を訂正することなく、地場から教えられている、「天理王命、教祖、ぢばはその理一つ]と言う真柱が示された教義を嘘つき教義だと言う基本ちゃん。嘘つきは果たしてどちらなのでしょう。
>天理教の学園で教育の現場で「おやさまは月日の社」、「天理王命は地場」、「だけどその理は一つ」と、教え込んでいた事実の歴史があります。
「だけどその理は一つ」の「だけど」は基本ちゃんのお得意の作文です。「だけど」ではなく、「そしてその理は一つ」と言えないブラフの基本ちゃんです。曲げて説く。得意です。
「教祖」は月日のやしろ、「ぢば」は「天理王命」の神名が授けられたところ。そして「天理王命、教祖、ぢばはその理一つ」(天理教教典第四章)
これは天理教の基本教理です。
中山正善著「ひとことはなし」から抜粋。
親神は教祖の体内に在した。即ち『月日』は教祖を〝やしろ〟としていられたのである。
『我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一列をたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい』(教典第一章)と、
教典の冒頭にあるが如く、親神は刻限の到来と共に、みき即ち教祖が、〝神のやしろ〟である事を啓示されたのである。
(引用つづく)
36:山名
10/06/26 23:31:37 UcE8JP1R
引用続ける前に、基本ちゃんは、山名はブラフ- Wikipediaブラフ. bluff. はったり、威嚇、こけおどしのこと。
、フラフはブラフを清音にしたものという解説を訂正できないようです。
基本。というハンドルでギャグ漫画の解説やっちゃったから、そりゃ、訂正できないのです。
37:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/26 23:35:55 gHOeAhrO
間違っていないものは訂正しませんよ。
38:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/26 23:39:33 gHOeAhrO
現実には、監視カメラも無い時代です。
見張りの目をぬって、教祖に会えた。
そうですよね。
それよりも、神の守護、信じていなかったという諸井さんだから、「天輪講」名乗ったのです。
39:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/26 23:46:50 gHOeAhrO
「神のやしろの、名は天理王命。」
それを、教えていないのですよ。天理学園では。二代真柱は、教義講習会でそう説いているが、諸井系学者、学校の先生、
それを教えていない。
ひどいでしょう。
40:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/26 23:50:28 gHOeAhrO
教典に何が書いてあったって、神名が誰のものか学校ではそう教えない。
おやさまは月日の社とは、教えていたでしょう。
だが、おやさまの神名「天理王命」は、教えてこなかった。
山名さん、もう白日に晒されているのです。
41:山名
10/06/26 23:57:26 UcE8JP1R
引用続けます。少し長くなりますので分けています。
しかし当初にあっては、人々はみき教祖を親神のやしろたることを信じようとはしない。そこでおふでさき第六号で、
いままでも月日のやしろしいかりと
もろてあれどもいづみいたなり 六 59
このあかいきものをなんとおもている
なかに月日がこもりいるそや 六 63
と教えられている如く、赤い衣物を着用に及んで、教祖の体内に『月日』即ち親神のいますことを人々に鮮示された。
尚、第六号五五は『明治七年十二月廿一日よりはなし』と題される下りで、此処に、親神が神の用語より、『月日』の文字に用語を代えて、自らを説述され始めた時と、
期を一にして、赤い衣物につつまれた月日、即ち親神を意味されている。
(引用つづく)
42:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/27 00:05:09 SxJ7tEt6
旗の話しましょうか。
旗を立てるというのはシンボルです。
オランダの商船が旗を立てて長崎に入港した。旗は国籍や組織や立場を示すものです。
例を見ましょう。
オランダ東インド会社の「長崎入港手続き」に関する命令
URLリンク(www.japanusencounters.net)
フランクリン号がオランダ傭船としてバタビアから長崎に向け出航するに当たり、バタビアのオランダ東インド会社からデヴェロー船長に宛て、長崎入港手続きが細かく指示された。
いわく、
北緯26度から27度に達した時(筆者注:沖縄近辺を通過する時)、日本の役人が習慣と定めたオランダ船の全入港手続きを行う準備を整える必要がある。
1.入港に際し船を飾る万艦旗を調えること。
2.乗り込んでくる役人用に、後甲板に布で覆ったテーブルを一脚と座布団を2枚準備すること。
3.乗客や士官を含め、全乗組員の名前、所属と年齢を書き込んだ表を必ず準備すること。
4.士官も含め全員の持つ書籍、特に宗教関係の書籍は樽に入れ、樽の口を上にして置くこと。日本役人がそれを封印し陸揚げする。船の出航時には、封印したまま再び船に積み込み返却する。
5.日本到着前に全員の現金を預かり、出航するまで保管すること。日本では自国の現金で何も買えないから不便にはならない。物品購入は各自が自国通貨を脇荷金(Cambang money)に換えて買うが、この通貨交換は船長によってだけ許される。
6.日本が見えてきたら、オランダ船の如く、オランダの旗艦を示す小燕尾旗とオランダ国旗を適切に掲揚すること。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、旗・オランダ語でvlag とは、鎖国の日本にはこういう形でしか登場していないという事です。
43:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/27 01:38:20 SxJ7tEt6
>>42
> 旗の話しましょうか。
米国の旗が日本に入港したのは、ペリーの黒船が、最初です。
ペリー・フラッグ(Perry's flag) と呼ばれています。
連邦31州の星が描かれた星条旗で1853年の黒船来航で江戸沖に現れた、旗艦の蒸気外輪フリゲート「サスケハナ」が掲げていた物だそうです。
日本では長崎の出島以外には、オランダのvlag見る事は出来なかった。
そして、ぺりーが来るまで、米国の flagも、影も形も無かった。
つまり、江戸時代には、フラフという言葉は、土佐の大漁旗を指し示していた。
基本の説明には、なんの誤りもありません。
44:山名
10/06/27 01:46:33 egcAf91a
>>42
???。だからなんなのでしょう。それでどうしたのでしょう。笑
>>35 >>40の続き。引用続けます。「ひとことはなし」親神の所在最後の下りです。
かくて、信奉者は往々にして、親神と教祖を混同視する。
親神即教祖、教祖即生神様即おや様と観ずる。
しかし、その点については、教祖は、赤い衣物により親神がその身体内鎮まりますと啓示されているとは云え、
『中に月日がこもりいる』と云い、月日のやしろである教祖は、現実には即ち親神にあらず、
理は月日たりと現実はそのやしろである点を強調されたのである。
いまなるの月日のおもう事なるわ
くちわにんけん心月日や 十二 67
しかときけくちハ月日がみなかりて
心ハ月日みなかしている 十二 68
と第十二号に誌されている如く、信奉者の観念とはことなり、月日親神と教祖との関係を、月日の心を教祖にあたえて〝やしろ〟となし、
教祖の肉体的な口を月日親神が借りて、それにより親神の思し召しが人間に伝えられる事を教えられ、語りだされる教祖の口はかりものである人体の一部に違いないが、
その思想は、月日の心即ち親神の思し召しであると教えられている。
かくして、人々は教祖の口を通じて親神の思し召しを耳にした。換言すると、教祖の口から親神の声を聞いたのである。
即ち教祖は、生神様の通念に相応しく、月日親神は月日のやしろとしての教祖の体内に所在されるのである。
以上が二代真柱中山正善が示された教義です。
45:山名
10/06/27 01:56:34 egcAf91a
>>43
>つまり、江戸時代には、フラフという言葉は、土佐の大漁旗を指し示していた。
>基本の説明には、なんの誤りもありません。
と嘘つき教理解説を続けるブラフ- Wikipediaブラフ. bluff. はったり、威嚇、こけおどしのこと。
の 基本ちゃんでした。
46:おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk
10/06/27 02:00:37 SNS48st4
美良布(びらふ) あげ
47:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/27 02:27:50 SxJ7tEt6
山名さんはこう言われた。
> 一体この無茶苦茶な論理展開はなんなんだろう。江戸末期から明治にかけてオランダ語の「VLAG(フラフ)」を音源として、
> フラフと呼んでいたのでした
江戸末期前には、「フラグ」「フラフ」米国オランダ、どちらも日本国内本土には、不存在。
あったのは、大漁旗のフラフが、四国土佐地方にあっただけです。
幕末になって、オランダの船ではなく米国の船が来た。「フラグ・フラッグ」が登場した。
江戸末期前には、「フラフ」が語源で、土佐の漁師は旗を「フラフ」と、土佐地方で、郷土色として呼んでいて、大漁旗を制作していた。
江戸末期には、黒船の「フラッグ」が語源で、「フラグ」或いは「フラフ」と呼ばれた。
近藤勇と佐久間象山が黒船のフラッグを奪おうとしたという話も、江戸末期の話です。
基本的には、何の間違いもありません。
ちゃんと読んでますか、私の投稿では、その区別ちゃんとしてますが・・。
48:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/27 02:38:13 SxJ7tEt6
音源の問題も、私はちゃんとした考察を示してあります。
山名さんはこう言われた。
オランダ語の「VLAG(フラフ)」を音源として、
> フラフと呼んでいたのでした
「VLAG(フラフ)」、これが、「VLAG(ヴラフ)」との音になるという問題です。
オランダ語のVをカタカナ表記にすると「ヴ」か「フ」か。
「ヴィンセント・ヴァンゴッホ」ではなく「フィンセント・ファン・ホッホ」であるべきなのだろうか
これを、語ってあります。
スレリンク(psy板)
結論は、基本的にVは「ヴ」だが、ハ行を用いても問題ない。
あえてハ行の多数派に合わせる必要もないということだった。
音声学的に考えると、オランダ語のVの音素は/v/で、発音は[v]だ。
ただ、時々無声化して[f]の発音となることがある。
・・・・「ヴァン・ゴッホ」、「フェルメール」、「ベートーヴェン」の表記については
「気になるカタカナ語」で同じ議論をしている方々がいた!
[v]を「フ」とするのは「ドイツ語流の発音」とのドイツ文学の先生のご意見。
「フェルメール」の表記に従えばvan Beetovenは「ファン・ベートーフェン」。
・・・やはり、外国語をカタカナにするのは難しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
オランダ語の発音としても、「ヴ」なのだ。
このようにちゃんと説明してある。
きちんとした反論ではなく、うろたえるのでは、山名さんの聡明がさび付く。
49:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/27 04:05:22 SxJ7tEt6
旗について、もう少し述べておこう。以前にもふれてあるが、「改定天理教辞典」には、旗について、こう述べられている。
『天理教旗と一般教会の旗に大別される。・・・献旗の歴史は古く、教祖(おやさま)一年祭(明治21年3月8日)には、各講社取扱所の門前に、講の徽章入りの提灯と旗が掲げられた記録がみられる。
・・
つまり、天理教では、山名諸井のフラフは、特別に珍しかったという事である。
天理教では珍しいとしても、いわゆる「講旗」は、普通に、色々な神社や信仰団体では用いられていた。
その例をあげよう。
お伊勢講・・伊勢講に際して船主は旗を献納した。などなど、多数あるが、明治17年という時代性を考慮し、この頃から天理教と関係を有していた大神神社の例を紹介しよう。
教会本部のまさに身近に、宗教団体の「旗」ははためいていた。
「山之辺の道 大神神社から玄賓庵まで」に写真がある。
辰五郎大明神
URLリンク(naranokoto.seesaa.net)
大神神社から山之辺の道に入ってすぐに、「辰五郎大明神」という不思議な名称の社がある。
江戸・元禄時代大阪の豪商「淀屋」を祀った神社のようだ。・・・
「だいみょうじん」とはすごいね。
神様の中でも最も高い位をさすようだ。
商人が神様? いや「商人の神様」?
信仰の世界、自分の概念とかけ離れた価値観にいつも驚かされる。・・
辰五郎神社参道の旗指しもの
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大神神社では七五三に旗が立てられる。
URLリンク(matyupityu-1.at.webry.info)
大鳥居の前には、しっかり七五三詣りの旗がたなびいていました~
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
奈良、京都、旗を立てる宗教団体は数ある。
季節の風景にすらなっている。
50:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/27 04:10:24 SxJ7tEt6
>>49
仏教では「仏旗」。
URLリンク(naraguide.jugem.jp)
東大寺の「お水取り」のように、薬師寺さんでも、 「花会式が終わると奈良に春が来る」とおっしゃっていました。 仏旗と五色の吹流しがお出迎え。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なぜ教祖は、旗が使われていた風土に居て、旗にまつわる呼び方も知っていたのに、お指図では「旗」と呼ぶのに、
山名のフラフ、これは「旗」を意味する日本語を使われていない。
どうして、直ぐ身近な旗という言葉を使わなかったのか、その意味は何か。
普段は日本語なのに、旗、とも旗指物、とも、「講旗」とも、言われなかった。
山名さん、冷静に、思慮すべきです。
おやさまが、旗だと思っていなかったという事です。
51:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/27 04:15:14 SxJ7tEt6
そりゃそうですよ。
神名が違う。「天輪講」。
これ、旗ですか。天理王命の旗ですか。
違う。
騙しのブラフだけど、「濁り」ではない、故意の間違いの「はったり」。
要するに「嘘つき神名派」らしい旗つくり。
おやさまは、残念だったという事です。
52:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/27 06:03:12 SxJ7tEt6
慶安三年(1650年)は江戸時代最初のおかげまいりでは、 人々は白装束を着て組ごとに旗を立てて歩いた。
おかげまいりの絵馬は、伊勢太神宮の旗を立て、40人ほどの人たちが三味線などにあわせて踊りゆく姿は当時のおかげまいりを偲ばせる。
山名さんは、教祖伝でおやさまがおかげ参りに付いて述べられた事を知っている人だ。
おかげ参りには、旗が立てられていたことも知っているはずだ。
そしたら、おやさまが、みんなの知っている「旗」という言葉を、避けたという事は、承知の上だ。
ネットを見ている人は投稿者の持っている情報を持っているとは限らない。
まして、山名さんは、二代真柱の著作や三台真柱の著作の細部まで語れる人。
その人が、ちゃんとした論理で語らないでは、真柱に失礼ではないか。
53:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/27 06:19:57 SxJ7tEt6
おやさまに神名があるなんて、習ったことも無い天理学園の卒業生。
それが殆どであるはずだ。
おやさまの神名が「天理王命」だなんて、教えた事の無い天理学園の先生ばかりだ。
「月日の社」は「現実には親神ではなかった」と、それは真柱の言だと、すりかえる為の引用は、まさに失礼そのものだ。
>>44
> しかし、その点については、教祖は、赤い衣物により親神がその身体内鎮まりますと啓示されているとは云え、
>『中に月日がこもりいる』と云い、
> 月日のやしろである教祖は、
> 現実には即ち親神にあらず、
> 理は月日たりと現実はそのやしろである点を強調されたのである。
全く、この文章で、何が語られているのか、山名さん、分からないのではないか。
「月日」と「親神」は、別。
これは教理の常識である。
親神とは「中山みき」なのだが、あくまでも「地上の月日」。
おやさまは親神天理王命様だけど、月日ではない。
月日がいりこんでいるから月日の社。なのだ。
「月日」より「おやさま」に神名を授けたのだから、「月日の社」でなければ「天理王命」。
この違い、真柱様はきちんと教えられただけの事である。
> しかし、その点については、教祖は、赤い衣物により親神がその身体内鎮まりますと啓示されているとは云え、
>『中に月日がこもりいる』と云い、
> 月日のやしろである教祖は、
> 現実には即ち親神にあらず、
> 理は月日たりと現実はそのやしろである点を強調されたのである。
誰でも分かる基本です。
54:神も仏も名無しさん
10/06/27 07:07:10 iwyabRy3
>山名大教会史より引用。
んー、「山名大教会史」って
割り引いて読まなきゃいけないんのはよくわかった。
おやさまをヤクザに例えれば、
「兄貴、お勤めご苦労でございやす」っていう
舎弟がムショ前に勢揃いしていて
出所記念に「人力車(今でいえば自動車?)」が
「数百台」でついてくるボスなわけだよ。
サツに捕まる前に、誰も寄りつかない状況なんて考えられないね。
(てか、そんな危険人物だから当局も逮捕するわけだけれども)
当局の監視があるからって、ボスに不義理をはたらいたりしないよなあ。
55:山名
10/06/27 10:44:03 egcAf91a
>>48
>きちんとした反論ではなく、うろたえるのでは、山名さんの聡明がさび付く。
うろたえ続けているのは、基本ちゃん、多分貴方です。基本。を名乗って嘘つき教理解説指摘されちゃったんだから、そうでしょ。
ゴメンネ。でも嘘は嘘。天理教の基本を名乗っているのだから、指摘しないで放置していては教祖に申し訳ないでしょ。笑
聡明が錆付くとはご大層な心配ありがとう。山名は、聡明でも何でもありません。
でもね、誰が読んでも分かる嘘つき教理解説を、さも「こういう読み方が基本的な解釈なんだよ。」と基本を名乗って語れば中には間違う人もでてくるでしょ。
ただそれだけの事です。
逸話篇の中でフラフはオランダ語vlagを語源に広くしようされていたと書かれている。再度抜粋します。
註 フラフは、元来オランダ語で、vlag と書く。旗の意。 明治十二年、堺県令に対して呈出した「蒸気浴フラフ御願」の中にも「私宅地ニ於テ蒸気浴目印フラフ上度候間」という一文がある。
これを見ても、フラフが、旗を意味する帰化日本語として、コレラ、ガラス、ドンタクなどと共に、当時、広く使用されていたことを知る。
基本ちゃんはフラフは、
>フラフは、本場の高知でも、明治17年頃には、生じていなかった可能性があります。。
>おやさまの「フラフ」のお言葉が、大量旗の土佐式「フラフ」だったという根拠は、かなり怪しいものです。
と、フラフと言う言葉は逸話篇の明治17年に生じていなかったと嘘の解説をしました。そして、英語では「フラッグと呼ぶべきである。」だから、
澄むと濁るで思案されて、wikiからブラフ- Wikipediaブラフ. bluff. はったり、威嚇、こけおどしのこと。 と引っ張ってきて、山名はブラフだという教理解説。
もうそろそろ、いい加減に嘘は嘘と認めたらどうでしょうか。基本ちゃん、認められますか。それとも、どうしても認められませんか。
お返事お待ちしています。
56:理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX.
10/06/27 11:18:38 A0ggexZR
>>55
どうでもいいけど、違反スレなんだから、削除依頼してきなよ。
57:理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX.
10/06/27 11:19:31 A0ggexZR
山名の気違い、いつまでやってるわけ?
58:理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX.
10/06/27 11:35:49 A0ggexZR
>>1
このスレは要削除です。
PC向け削除ガイドラインURLリンク(info.2ch.net)
携帯向け削除ガイドラインスレリンク(guide板)
59:山名
10/06/27 12:09:11 egcAf91a
URLリンク(info.2ch.net)
確かに、削除ガイドラインでは固定ハンドルのスレッド名への使用は削除対象ですが、
ただし書きがあります。
>板の趣旨に関係する職業で責任問題の発生する人物
以上悪しからず。
60:理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX.
10/06/27 12:26:50 A0ggexZR
>>59
では、基本さんの本名でスレ立てしてください。
このスレは削除です。
コテハン山名、気違い過ぎるよ。
61:山名
10/06/27 12:40:30 egcAf91a
>では、基本さんの本名でスレ立てしてください。
>このスレは削除です。
個人名ではスレ立てしません。そして、このスレは継続します。
>誰が読んでも分かる嘘つき教理解説を、さも「こういう読み方が基本的な解釈なんだよ。」と基本を名乗って語れば中には間違う人もでてくるでしょ。
>ただそれだけの事です。
それが、このスレの主旨です。わかりましたか、のぞみちゃん。
62:理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX.
10/06/27 12:53:24 A0ggexZR
>>61
あんた、2ちゃん初心者でしょ。
先輩に文句、言うな、気違いっ!
63:理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX.
10/06/27 12:57:21 A0ggexZR
基本さんはね、本名や電話番号、奥様の電話番号、ケー番ね、それまで晒した人なんだよ。
お助けのために。
気違い山名、おまえ、そこまで出来るかよっ?
基本さんみたいに、本名と電話番号、書いてみなっ!
基本さんみたいに、お助けできないから、妬んでスレ立てしたんでしょうが。
気違い山名っ!
64:理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX.
10/06/27 13:03:18 A0ggexZR
希美は天理教会に行き、おぢばも何回か団参したよ。
でも、それだけ。
天理教はよく知らない。
でもクリスチャン希美から見たら、基本さんの書き込み、イエスについて誤りあるの感じる。
でも2ちゃんねるだよ、ここは。
2ちゃんに沿うなら、基本さらしスレは間違い、立てる気さえしない。
っていうか、間違いだよ、気違い山名っ!
65:理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX.
10/06/27 13:05:28 A0ggexZR
まぁ、山名大教会の系統は、やめたほうがいいみたいですね。
66:山名
10/06/27 13:46:28 egcAf91a
先輩に文句言ってすみませんでした。でも繰り返します。
指摘しても、嘘を突き通すのでしょうがないでしょ。
>誰が読んでも間違いと分かる嘘つき教理解説を、さも「こういう読み方が基本的な解釈なんだよ。」と基本を名乗って語れば中には間違う人もでてくるでしょ。
そういう間違う人があったはならないのでこのスレを立てました。のぞみちゃんも
スレリンク(psy板:2-12番)
の基本ちゃんの解説をよく読めばわかります。だれでもわかる嘘つき解説です。
67:基本。
10/06/27 16:15:34 SxJ7tEt6
つまり、山名さんの言いたい事は、
psy/1277001717/2-12 2から12までに、きちんと反論しなさいと言う事なんですね。
その前に、誰が読んでも間違いと分かると、そういう嘘が説かれていると山名さんは言ってまして、
もう一方では、中には間違う人もいると、い言ってもいる。
誰が読んでも分かる間違いなら、誰も間違えないわけで、(笑)、・・
普通に表現すると、ちょっと読んだら正しいと思うけれど、実は間違いというのが「嘘」と、そういうものだと思いますよ。
誰でもわかるような事実無根は、ネット上時にあふれてもいますが,普通は相手にしないものです。
68:基本。
10/06/27 16:37:50 SxJ7tEt6
相手にして頂けると言う事は、山名さんは良い人です。
では、>>2、から、基本が誰でもわかるような嘘を書いているのかどうか、
山名さんのご指摘があるなら、それを調べてみましょう。
>>2
> 改めて自称「信仰的天才さん」がやってしまった教祖伝逸話篇139の「あれがフラフでは土佐の男達に申し訳が多々布だ。」というギャグ漫画の解説を指摘しておきます。
基本は、信仰的天才??
そう自称している??
何時の投稿でしょうか。
基本は、自分は「オカルト」である事、「ただ一人の天理教中山みき派」という「カルト」であること。
「天理教団改革のテ○リスト」 である事は、自称していますが、信仰的天才とは、・・
勤行しない、お供えしない、参拝しない、信者作らない、のが基本だから、「信仰的天才」と語ったとしたら、誰でも分かる嘘ですが、
本人、自称していない。
数年前に、偽者が基本と名乗って、色々書いてましたし、もし山名さんが偽者の基本と知らないで、あの頃から読んでいたのなら、その時点で批判したでしょうから、
ま、阿呆だとか、愚かとか、嬉しくて自称しています、それが基本です。
69:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/27 17:27:01 SxJ7tEt6
さて、>>2
註 フラフは、元来オランダ語で、vlag と書く。旗の意。
明治十二年、堺県令に対して呈出した「蒸気浴フラフ御願」の中にも「私宅地ニ於テ蒸気浴目印フラフ上度候間」という一文がある。
これを見ても、フラフが、旗を意味する帰化日本語として、コレラ、ガラス、ドンタクなどと共に、当時、広く使用されていたことを知る。
********************
以上が、逸話篇139の全文です。(続く)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、フラフというのは「嘘つき神名派」のお一人、「秀司」が、堺の県令に提出した書類にあるという。
そういうことが、逸話編には書いてある。
だから、教祖も知っていたはずだと言いたいのだろうか、山名さんは(笑)・・。
「これを見ても、フラフが、旗を意味する帰化日本語として、コレラ、ガラス、ドンタクなどと共に、当時、広く使用されていたことを知る。 」
これは、秀司の提出文書を根拠に、論を述べたものである。
「フラフ」とは、四国の漁師の用語として、存在していた。それで江戸期船乗りは「フラフ」を用いていたという。
逸話編で言うと、種市さんの布教先には、船乗りの寄り合い所があった。
また、そこから伝道された土佐卯之助はまさに、「フラフ」という言葉の四国の船乗り。
当然、その関係の信者・講元は「フラフ」を言葉として知っていたと、合理的に推理される。
お屋敷の内内、真明組関係は、「フラフ」を言葉として知っていたという事で、
それは、おやさまが語る言葉との因果関係を示すものではない。
おやさまの「フラフ」を、そのように聞いたという、「嘘つき神名派」(秀司・真明組関係など)の面々の、事情説明に過ぎない。
例えば、お屋敷で護摩をたいた金剛院は、神名「てんりんおう」を語っていた。
それを根拠にして、おやさまの教えは「てんりんおう」だと、そう人集めてたと、摩り替えるようなものである。
フラフを立ててサウナ経営していた秀司たちや、従業員・常連客には、
おお! フラフ立ての、お仲間嘘つき神名が、評価されたと、錯誤したと、それだけの事の、根拠にはなっている。
70:山名
10/06/27 19:24:14 egcAf91a
>>68
信仰的天才との投稿は恐らく偽物さんのやった事との事ですので、お詫び申し上げます。
>>69 ですが、
山名は、逸話篇に書かれている事を根拠に嘘つき教理解説と指摘しているわけで、
逸話篇の注が教祖の「フラフを立てて」との因果関係を示すものでないと逸話篇そのものを否定するのであれば、
又、フラフは、「Wikipediaブラフ. bluff. はったり、威嚇、こけおどしのこと。」 を清音にしたもの、「山名はブラフだ」という教理解説、
それが正しい理解だと言うのであれば、どうぞ、自論をお続け下さい。
71:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/28 00:49:26 nwt5Bfg6
有難うございます。
お指図では、そうしたいらぬ所に目をつけての「偽計工作」も、それは善とご認定ですが、理の間違いは多くの信者を惑わします。
親神様が善とご認定になったのは、嘘つきそのものが「理に適っていた」という意味に誤解してはならないと思慮します。
「布教の手段」「お上を欺く偽計工作」のはずが、本末転倒となり、教団内の高山と化します。
諸井系は、理の親信仰の中枢として、豊富な資金力から、山名系が天理教の組織の実権を掌握しました。
山名に都合よく説く教団教理の中心に、山名そのものがおさまると言う事態となりました。
戦争協力を海外布教に活用とした「教庁」は諸井系の支配となり、戦後にも支配は続きました。
戦後復元教典の時代となっても、諸井系知識人は、自分達の間違いを正しませんでした。
教理教義の研究の中核・天理教校、本科、別科、人材育成の専修科、
さらには天理大学宗教学部、又研究機関おやさと研究所、
教育の場である、天理高校、天理中学、
信者に教えを学ばせる天理教修養科、・・。
これらは、人的資源の育成の場は、山名系の指導一色に染め変えられて
山名系は、フラフを立てた山名こそ正しいと、神名を正しくおやさまにお呼びせず、
天理教知識人の総本山と化して、誰も、批判する人はいなくなった異常事態。
どこにも「天理王命」はおやさまの名と、教える天理教の先生はいなくなってしまった。
復元の後は、西洋かぶれの「一神教・天理教」という「天理神学」「天理教学」を、教え続け、説かせ続けている。
こうなる事は、おやさまは見抜き見通しであり、それゆえに諸井の立てた物は「旗」とは呼ばれなかった。
「フラフ」と、「唐人の言葉」で、呼ばれた。
そういう、ダイナミックなおやさまの見抜き見通しを、百年後までも見えていたと理解しなければ、とても世界一列をたすけるおやさまだと、理解できるものではないと思慮します。
獄死した、石工の七次郎さんという「未信者」と、諸井国三郎さんという「信者筆頭」の山名大教会初代会長さん。
百年以上過ぎなければ、真の評価はなされるものではないけれど、おやさまだけは、見ていてくださる。
天理王命の旗、立てられる日。おやさまの赤、一段と色鮮やかに映える事でしょう。
それは、神名の「復元」です。
72:山名
10/06/28 02:20:52 hJOODec0
>>71
>教理教義の研究の中核・天理教校、本科、別科、人材育成の専修科、
>さらには天理大学宗教学部、又研究機関おやさと研究所、
>教育の場である、天理高校、天理中学、
>信者に教えを学ばせる天理教修養科、・・。
>これらは、人的資源の育成の場は、山名系の指導一色に染め変えられて
>山名系は、フラフを立てた山名こそ正しいと、神名を正しくおやさまにお呼びせず、
>天理教知識人の総本山と化して、誰も、批判する人はいなくなった異常事態。
天理教校の講義録の「おふでさき概説」中山正善著 に、教祖の神名は天理王命とちゃんと語られている。見てきたような嘘は付くなです。批判の為の作文です。
抜粋します。
「・・・・。即ち〝ぢば〟に神名を授けようというお話の事柄である。教祖に神名を授けると、人間のねたみ、そねみもあろうから、ぢばに神名をさずけておくと仰言った話が、
おふでさきには無いがこふき話の中に出てくる。〝ぢば〟は、人間宿しこみの元の地であって、そこにかんろだいをすえて〝よろずたすけ〟のための〝かぐらづとめ〟が行われる処である。
この神名が授けられた〝ぢば〟ということと、〝月日のやしろ〟であった教祖の肉体と言う点を少しお話したい。
親神様は、教祖の御身体を社としてその中にお鎮まりになっておられたのであるから、この地上に於ける親神様のご住居は、教祖の御身体であった。つまり教祖は生き神様と言うに全く相応しい御存在であられたのである。
まあ、人の妬み、そねみ云々の説明はあるけれども、これはこふき話によるものであるから、人間に解るようにつけられたとかんがえてよいであろうから、その説明を飛ばしてしまうと、教祖に授けた神名を〝ぢば〟に転ずる。
つけ変えるというような意味になる。で、私たちが現在の〝かんろだい〟の据わる地点を親神様の御社と拝するのである。〝神のやかたのぢば〟と言うお言葉があるが、「神のやかた」「神の社」「月日のやしろ」
と言う事は、一貫して永続性を持った一つのものを指しておられることが此処で理解できるのである。(続く)
73:山名
10/06/28 02:39:50 hJOODec0
「言葉に多少の綾があるにしても、親神様のお住まいという上で〝ぢば〟と教祖は同じ意義の下に考えられる。
そこに今度は御存命のご守護と言うものが加わって、現在の教祖が説明されるのである。次に考えられるのは、
教祖は母なる魂の理を持たれた方であって、〝ぢば〟の理は、人間宿しこみの時の本真ん中の地点であるという点である。
一方は元々母親の役割を果たされた理、一方は人間が宿った処、どちらも人間の発生という一点で同じ一つの理に帰すると言える。
一つは人間であって一つは場所であるけれども、人間の生命の発生という事柄の元である点で同じである。
天保九年を境に魂の理に相応しい方は〝月日のやしろ〟となられた。
その魂の理の方がつけて頂かれた名前が、実は〝ぢば〟の理と同じものであったのだ。私達の理解力で得心できるようにご説明くだされてある。」
以上抜粋しましたが、おぢばの学校でちゃんと教えられている。基本ちゃんは、変な風説を流さないほうが宜しいと思います。
74:山名
10/06/28 02:49:42 hJOODec0
>>72-73
この「おふでさき概説」の前書きによると、この天理教校義録を本にして出版を
思いついたのは、基本ちゃんの大好きな諸井慶徳氏でした。
75:山名
10/06/28 02:52:13 hJOODec0
>>74
ちなみに諸井慶徳氏は出版当時の天理教校の校長でした。
76:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/28 02:55:43 nwt5Bfg6
山名さんは、人がそんな説明で理解できると思われているのですか。
真柱様は、ちゃんとした事書いていると、それは、言い訳です。
その解説書が問題であり、実際に習った人が、「おやさまの名」分かってますか。
それに、天理の学校の天理教の教科書、ほんとに読んだ事ありますか。
真柱の著作を上げたり、教典を例に上げて、ちゃんと教えてますよと、うわべを繕って、ちょっと恥かしいですよ。
山名さんはどうして、基本が書きたくてたまらないけれど、誰も聞いてくれなかったから書けないでいた話題に誘導してくださるのでしょうか。
有難い限りです。
77:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/28 03:09:57 nwt5Bfg6
教祖に授けた神名を〝ぢば〟に転ずる。
つけ変えるというような意味になる。
で、私たちが現在の〝かんろだい〟の据わる地点を親神様の御社と拝するのである。
・・・・・・・・・・・・・・・
これは二代真柱様の教義ですが、
では、「地場は親神様のお社」と、天理教の学校では教えていますか。
て、その親神様は「教祖殿に存命の天理王命」だと、教えていますか。
教えていないと思いますよ。
「地場は親神様」と教えていて、「教祖は存命」と教えている。
「地場は社で、教祖は親神」だと、教えていない現実は、天理教の修養科、学校で学んだ人は、みんな知ってる事ではないですか。
78:山名
10/06/28 03:19:13 hJOODec0
>>76
あるきっかけで、真柱の著作漁って読んでいますが、学園の教科書は読んでいません。が、
少なくとも、天理教校では、「おふでさき概説」用いられているはずである。
大事な事は「その魂の理の方がつけて頂かれた名前が、実は〝ぢば〟の理と同じものであったのだ。」
と教祖の神名は天理王命と二代真柱は少なくとも天理教校では講義されていたと言う事実でしょ。
79:山名
10/06/28 03:26:04 hJOODec0
今からテレビ見るから続きは明日書きます。
80:神も仏も名無しさん
10/06/28 03:33:29 c6WWR7Ym
質問です。
教祖の肉体がやしろであるということは、今の教祖は存命のをやであって月日のやしろではないということですか?
以前基本さんは、教祖の神格と人格がどうのと、月日のやしろという事について説明されていたように思うのですが。
81:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/28 04:20:26 nwt5Bfg6
もう一つ、山名さんは「原典」からではなく真柱の教義書なら色々と書く。
そして山名さんは、現場でどう教えられているかではなく、真柱の教義書を例に上げて説く。
これでは、実際の事分かりませんよね。
というより、現実を見えないようにしているわけです。
人間の本音は、表の教義書に書いてあるから、正しく教えていたとは、なりません。
その教義書を使って説く人の問題です。教える人の問題です。
例えばこんな講話があります。教会長、天理教の専門の人に教えるための講話です。
『この道の真髄は、ただ元の親の神がおられる、また日々夜々にお働き下さっている事をしらしていただくだけの道ではない。』
『知るだけだったら耳にはさんでおけばいい。』
『単にこれを知るだけではない。この、元なる親神様が、先刻も一言ふれましたけれども、
旬刻限の到来によりまして、我らの教祖(おやさま)を通じて、
真実たすけの親として御現れ下されていることを本当に確信させて頂く道であります。』
(p130)
これの、どこに、『「地場は社」「教祖(おやさま)は親神天理王命」』と、教えた内容との一致があるのですか
一万三千人のプロの受講者ですよ。
全員が、誤解した。
基本なら、こう説きます。
『この道の真髄は、おやさまが、元の親神様だという、ただ一点です。』
『その一点こそ、これまで説き明かされなかった究極の一点です。』
82:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/28 05:04:05 nwt5Bfg6
ご質問ありましたので、届く範囲で、お答えします。
ウィキペディア(Wikipedia)』の説明を先ず参照下さい。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
・・『古くは社殿がなくとも「神社」とした。山(火山)、瀧、岩、森、など多く自然を畏れ「神社(=信仰対象、神)」とみなしたのである。』
『すなわち現在の社殿を伴う「神社」は、これら神々が祭祀時に御神体から移し祀られた祭殿があって、これが常設化した物だと考えられている。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「やしろ」というのは、「山が御神体」というように「もともとは神の体」と言う意味です。
ところが、神殿を「やしろ」と呼ぶようになったのは、例えば山の神様が、その宗教施設に「移し祀られた」結果、神殿も、神が住むから、「やしろ」だと、そういう意味に使われるようになったということです。
「神社に参拝に行く」というのは、「神様に参拝に行く」のですが、「神体」ですから、神社に参拝でも、神に参拝でも、実は一緒だと、それが、世間の常識です。
そこで、「みきを神の社にもらい受けたい」というお言葉は、普通には、「みきを神のご神体に貰いたい」という意味です。
それで、言われた一同は驚いた。
これが、「みきを通じて神の教えの取り次ぎ役に」なら、一同驚かなかったでしょう。
その場面、秀司の足が治るにはどうしたら良いのかと、「みきを通じて」、質問中なんだから、驚く道理が無い。
が、御神体となったら、これは、大変です。粗末にも扱えなくなるわけで、人間神社では一大事と、
それだ三日三晩かけて、なんとかお断りしようとしたわけです。
御神体として『差し上げます』と決まりました。
「通行許可」ではなく「ご進呈」です。
つまり、ご神体は「社」であるという事、ご理解頂けたでしょうか
83:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/28 05:16:59 nwt5Bfg6
>>80 >>82
> 教祖の肉体がやしろであるということは、今の教祖は存命のをやであって月日のやしろではないということですか?
「>教祖の肉体がやしろであるということ」とは、教祖は「ご神体に差し上げられた」と言う事です。
アニメでバットマンとかジャスティスリーグとか、見た事ありますか、肉体を乗っ取ってしまうエピソード多いですよね。
肉体を月日が乗っ取ってしまうという事を、想起してくださると、意味、状態が分かりやすいと思います。
夫善兵様は悪霊に乗っ取られたかと心配して、白装束にて、家法の刀で、「つき物ならば去れ」と、悪霊退治しようとした。
こういう見方で見れば、
「>教祖の肉体がやしろであるということ」の意味が、映像的に理解できると思います。
悪霊の命令に従わないと、乗っ取られた人は苦しみだす、そんなシーンは日本のアニメにもたくさんあります。
84:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/28 05:24:51 nwt5Bfg6
>>80 >>62-83
> 今の教祖は存命のをやであって月日のやしろではないということですか?
今の教祖は、扉を開きました。つまり死んだ。
悪霊が、乗っ取っていた人の冷たくなった肉体から離れていくイメージして下さい。
そして、肉体の社は空になった。
その、肉体の社は空になったけれど、その悪霊は、地場という「聖地」を「やしろ」に用意してあった。
その、たたみ二枚分の広さの「聖地」をやしろとした。
こういう図です。
イメージしてみてください。
85:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/28 05:46:16 nwt5Bfg6
>>82-84
>>72
丁度山名さんが、教義書から引用してくれています。
それを使って説明します。
親神様は、教祖の御身体を社としてその中にお鎮まりになっておられたのであるから、
[ 親神はみきの体を乗っ取って]
この地上に於ける親神様のご住居は、教祖の御身体であった。
[ ご神体」にしていた。]
つまり教祖は生き神様と言うに全く相応しい御存在であられたのである。
[ 親神に乗っ取られたみきは、ご神体であり、神となった]
まあ、人の妬み、そねみ云々の説明はあるけれども、これはこふき話によるものであるから、人間に解るようにつけられたとかんがえてよいであろうから、その説明を飛ばしてしまうと、
教祖に授けた神名を〝ぢば〟に転ずる。 つけ変えるというような意味になる。
[ 親神は神体の神名・天理王命を、地場に、付け替える意味をつげた。 ]
で、私たちが現在の〝かんろだい〟の据わる地点を親神様の御社と拝するのである。
[ みきは扉をひらき、肉体のご神体は脱ぎ捨てられて、地場が現在のご神体となった。]
〝神のやかたのぢば〟と言うお言葉があるが、
「神のやかた」「神の社」「月日のやしろ」 と言う事は、
[地場は神の屋形 神の社であり みきは月日のやしろであったということは]
一貫して永続性を持った一つのものを指しておられる
[ (お筆先に、神・月日・おや と知らされた)、一貫して永続性ある「親神」を指している。]
こんな風に、理解したら、分かりやすいと思います。
86:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/28 09:09:50 nwt5Bfg6
>>80
> 質問です。
> 教祖の肉体がやしろであるということは、今の教祖は存命のをやであって月日のやしろではないということですか?
教祖の肉体はやしろで、教祖を不都合だと神名を平気で取り払った弟子達の望みが、「扉開いて欲しい」だったので、人間の肉体を脱ぎ捨てました。
今の教祖は、「神」「月日」「おや」の順序のままに、「親」としての「親神」です。
> 以前基本さんは、教祖の神格と人格がどうのと、月日のやしろという事について説明されていたように思うのですが。
申し訳ありません。私の記憶の中では、具体的にどんな言葉で語ったか、出てまいりません。
「神体」「身体」・・どちらも「しんたい」です。
「人格」「神格」・・どちらも「しんかく」と読むことが出来ます。
「人は神」。これはおやさまの教えです。
87:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/28 09:22:18 nwt5Bfg6
>>80 >>86
おやさまのお話に、おたまじゃくしと蛙の関係に比ゆして、人間と神の関係が説かれています。
お指図では、
本席一年程以前より左の耳聞え難くいと仰せられしに付願
明治三十二年三月五日 朝
さあ/\尋ねる/\、さあ尋ねる時/\、時を以て尋ねる。
・・・(中略)・・・ 前々諭した理、よう/\治まりたる。
珍しい事が出けたなあ。成程々々続くが一つの理や、と心に持ってくれにゃならん。
よう聞き分け。道理の理の弁え出けん間は、まあ三才の理である。
三才の理といえば心が浮かめばにま/\と笑う。気に合わねば無理を言う。
よう聞き分け。半分分かりて半分分からん。どういうものと思うやろ。理を聞き分けてくれたら分からんやない。
めん/\聞き分けて、心に思やんしてくれ。
もう良い加減になあと思うた。どうでも後々続く理治まり掛けたる。
ほんにこれも躱す事出けん。
一つの道なら、いつ/\までさしづの理は違わせん。
初めて教え掛けた、いつ/\理。心に理を違わせばどうもならん。
人は神という。人々めん/\に思うから、人は神とは思わん。
神と思えば、言うだけの理を言うて、めん/\の心に嵌まれば理である。
その間が難しい。悟りでは分からん。
幾度尋ねても、洗い切らにゃ分からん。
よう聞き分けてくれ。まあ半分分かりて半分分からん。
これがさっぱり分からんようになれば、通るに通られん。
これ聞き分けてくれ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このようにあります。
「人は神」であり、そこで教祖のひな型は、人としての神と、理解する場合に、「中山みきの思想、人格」を語る場合もあります。
人は神ですから、みな同じ因縁と理解して、「神格」「人格」を思案しないと、おやさまが「人」として残された「ひな型」が、全ての人のためのものと、理解できなくなります。
お指図↑では、「一つ」を「二つ」に思案してはいけないと示しています。
「どんな人も神」という、おやさまの教えです。
88:神も仏も名無しさん
10/06/28 11:03:31 zJ056UMC
基本さん、とても初歩的な質問させてください。
おやさまが天理王命なんですか?
親神様の名前は天理王命ではないということですか?
89:80
10/06/28 11:57:05 c6WWR7Ym
詳しい返信ありがとうございました。
基本さんは
>「月日」と「親神」は、別。
これは教理の常識である。
親神とは「中山みき」なのだが、あくまでも「地上の月日」。
おやさまは親神天理王命様だけど、月日ではない。
と語られていますが、>>85では
親神様は、教祖の御身体を社としてその中にお鎮まりになっておられたのであるから、
[ 親神はみきの体を乗っ取って]
この地上に於ける親神様のご住居は、教祖の御身体であった。
[ ご神体」にしていた。]
つまり教祖は生き神様と言うに全く相応しい御存在であられたのである。
[ 親神に乗っ取られたみきは、ご神体であり、神となった]
と発言されています。
[月日はみきの体を乗っ取って]
という表現にしないのはなぜですか?
90:基本。
10/06/28 14:48:42 nwt5Bfg6
>>88
> おやさまが天理王命なんですか?
おやさまが天理王命。地場が天理王命。二つ一つです。
> 親神様の名前は天理王命ではないということですか?
親神様の名前は天理王命です。
親神様とおやさまと地場は、その理一つで、「天理王命」と神名で呼びます。
>>89
「神」という事の基本は、第1号 3 のお歌です。
このたびハ神がをもていあらハれて なにかいさいをといてきかする
第1号 7に
かみがでてなにかいさいをとくならバ せかい一れつ心いさむる
と、あります「かみ」は、「平仮名のかみ・つまり親神様」です。
天理教は「かなの教え」と言われていますので、「かみ」はひらかなの神、天理教の親神様で、初出の神は、「神」は普通に言う「神様」です。
「委細を説く・神は、かなの神「かみ」。
表に出られた神は、最初は委細を説く「かみ」ではなく、その説ける道をつくっていますから、「神」として、お筆先には、六号52まで、「神」とかかれています。
いざなぎといざなみいとが一の神 これてしよこの大じんくゝなり 52
古事記に書かれている「いざなぎ・いざなみ」が一の神と、伊勢神宮にお祭りされているが、表に出た事がなくて、表に出た「一の神」、
それは、「立教の神・親神(いざなみ)」なんだよと言う事です。
それから、六号の56から「月日」と呼び名が変わります。
月日よりそれをみすましあまくだり なにかよろづをしらしたいから 56
これは、「神が表に出た事の説明」で、「月日が」ではなく「月日より」となっています。
このよふをはぢめだしたるやしきなり にんけんはじめもとのをやなり 55
月日よりそれをみすましあまくだり なにかよろづをしらしたいから 56
これが立教の時の、「神が表に現れた」その説明になっています。
「このよふをはぢめだしたるやしきなり」 これはおやしき・地場の事で天理王命の事です。
「にんけんはじめもとのをやなり」 これは中山みき様の事で、おやさまの事で、天理王命の事です。
すべて「ひらかな」だけになっているのは「かなの教えの神」の事だからです。
おやさまのこだわり、ですね。(笑)
91:基本。
10/06/28 15:08:13 nwt5Bfg6
>>91
> 月日よりそれをみすましあまくだり なにかよろづをしらしたいから 56
> これは、「神が表に出た事の説明」で、「月日が」ではなく「月日より」となっています。
「月日が見澄ました」と普通には理解されています。
第6号 56
月日よりそれをみすましあまくだり なにかよろづをしらしたいから
Tsukihi yori sore o misumashi amakudari Nanika yorozu o shirashitai kara
Discerning this, Tsukihi descended from the desire to teach about all matters.
親神がぢばのいんねん、教祖魂のいんねんを見澄ましてぢばに天降り、教祖の口を借りて教を説くのも、人間に何かとよろづ一切の事を知らしたいからである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑ こういう解説は、「こふき話」として信者・高弟によって書かれた色々な文章を共通した書き方です。
これは、「月日が」という意味の解説になっています。
しかし、お筆先原文は「より」です。
「父よりの伝言です」という文章は、父からの言葉を伝えたものと言う事ですから、「父よりの言葉」は、「父の言葉」です。
「月日より見澄まし」は、「月日の見澄まし」と置き換えても、間違いではありませんが、
「月日より見澄まし」は、「月日が見澄まし」とは、置き換えは、不自然です。
「より」とは、ネット上の国語辞典では、次のように記されている。
92:基本。
10/06/28 15:10:03 nwt5Bfg6
URLリンク(dictionary.goo.ne.jp)
より
(格助)
(1)比較の基準を表す。「よりは」「よりも」「よりか」などの形をとることが多い。
「富士山―高い山」
「思った―も立派なできばえ」
「人―は妹そも悪しき恋もなくあらましものを思はしめつつ/万葉 3737」
(2)一定の範囲を限定する意を表す。下に時間・距離・位置などに関する名詞がくることが多い。
「私の家は公園―手前にある」
「五時―後にしよう」
「これ―東、娑婆世界―西に、天上の人の植ゑし木の声すなり/宇津保(俊蔭)」
(3)(打ち消しの語句を伴って)ほかのものを否定し、それと限る意を表す。「よりほか」「よりしか」などの形を用いることが多い。
「ことわる―しかたがない」
「もろともにあはれと思へ山桜花―ほかに知る人もなし/金葉(雑上)」
(4)動作・作用の時間的・空間的起点を表す。現代語では、書き言葉的で、話し言葉では「から」を用いるのが普通である。
「神戸港―船出する」
「六時―開会の予定」
「いづく―来りしものそまなかひにもとなかかりて安眠(やすい)しなさぬ/万葉 802」
(5)動作の行われる場所・経由地を表す。…を通って。から。
「古に恋ふる鳥かもゆづるはの御井(みい)の上―鳴き渡り行く/万葉 111」
「かたゐのやうなる姿なる、この車のまへ―いきけり/大和 148」
(6)動作・作用の手段・方法を表す。で。にて。
「つぎねふ山背道(やましろじ)を他夫(ひとづま)の馬―行くに己夫(おのづま)し徒歩(かち)―行けば/万葉 3314」
「ただひとり徒歩(かち)―まうでけり/徒然 52」
(7)原因・理由を表す。のゆえに。によって。
「つはものどもあまた具して山へ登りける―なむその山をふじの山とは名づけける/竹取」
(8)(活用する語の連体形に付き)「…するとすぐ」「…するやいなや」の意を表す。
「命婦かしこにまかでつきて門引き入るる―、けはひあはれなり/源氏(桐壺)」
「名を聞く―、やがて面影は推しはからるる心地するを/徒然 71」
93:基本。
10/06/28 15:27:56 nwt5Bfg6
(4)動作・作用の時間的・空間的起点を表す。現代語では、書き言葉的で、話し言葉では「から」を用いるのが普通である。
「神戸港―船出する」
「六時―開会の予定」
「いづく―来りしものそまなかひにもとなかかりて安眠(やすい)しなさぬ/万葉 802」
この(4)の「より」の意味だとすると、「月日より」は、「月日が最初で」とか「月日から」とかになるが、一寸不自然である。
(7)原因・理由を表す。のゆえに。によって。
「つはものどもあまた具して山へ登りける―なむその山をふじの山とは名づけける/竹取」
この、(7)の意味用法だとすると、「月日より」は、「月日が原因で」「月日が理由で」となる。
この意味用法のほうが、自然だと感じられる。
などなど、考察しながら、月日とは何かを思案してみると、「月日」=時間という意味もあり、
天理教的には「月日=親神」という意味もある事に気が付く。
そこで「> 月日よりそれをみすましあまくだり なにかよろづをしらしたいから 56」とは、
月日(親神)を原因として、月日(時間)の経過を経て、親神の地、親神の魂を見澄まして天下ったという説明だと理解されます。
天理教で、三大因縁というのは「旬刻限」「地場」「教祖魂」の因縁と教えられているのは、この二首のお歌にて、知らされた事だと言う事です。
94:山名
10/06/28 22:52:36 hJOODec0
>>67
>その前に、誰が読んでも間違いと分かると、そういう嘘が説かれていると山名さんは言ってまして、
>もう一方では、中には間違う人もいると、い言ってもいる。
>誰が読んでも分かる間違いなら、誰も間違えないわけで、(笑)、・・
日本語の理解力の無い基本ちゃんです。山名は、「基本を名乗って語れば」と言っている。
常識では大量殺戮いけないとわかっていてもグルの唱えるポアは正しいやっちゃう。基本を名乗って語れば間違う人も出てくる。
「山名はブラフ」のギャグ漫画の解説でもおんなじ。わかるよね、基本ちゃん。基本ちゃんは御自分のハンドル「基本。」の重さが解っていないのです。
だから、山名はハンドルを変えたらどうでしょうと、別スレで最初からお勧めしています。
95:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/28 23:15:17 nwt5Bfg6
さて、神とは神が表に現れたという事で「神」、「かなの教えという事で」「かみ」。
それで、お筆先は説かれ始めまして、「月日」という呼び方が出てきます。
月日とは、
第6号 50
このよふのしんぢつの神月日なり あとなるわみなどふくなるそや
Kono yo no shinjitsu no Kami Tsukihi nari Ato naru wa mina dogu naru zo ya
The true and real God of this universe is Tsukihi. The others are all instruments.
6号29参照
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このように、お筆先には知らされてあります。
そこで、6号29参照します。
長いので、数回に分けます。
96:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/28 23:21:24 nwt5Bfg6
第6号 29
いまゝてにない事ばかりゆいかけてよろづたすけのつとめをしへる
Imamade ni nai koto bakari yui kakete Yorozu tasuke no Tsutome oshieru
I shall begin to tell you solely of that which had never existed before, and teach you the Service for universal salvation.
以下 52までのお歌は 「元初まりの話」となる。 ~51
今までにない事ばかりを言い聞かせて、よろづたすけのよふきづとめを教える、このかぐらづとめの十人のつとめ人衆の中には、元創めた親神である月日両神の理を受けたものもいる。
この月日両神が陽気ぐらしを見たい上から、人間世界創造を発意し、いざなぎのみこと、いざなみのみこと、を引き寄せて人間創造の守護を教えたのである。
その元はと言えば、泥海の中に、うをとみとがいた。それを引き出し夫婦を始めたのである。
抑々この世の元初まりは泥の海で、その中にどじょうばかりが泳いでいた。その中にうをとみとが混っていて、よく見澄ますと人間の顔をしている。それを見て思いついたのは月日の心ばかりである。
即ち、月日の思うには、「このものに、道具を寄せてだんだんと親神が守護を教えた事ならば、さぞ立派な人間が出来よう。」と。
そこで、月よみのみここと、くにざづちのみことを引き寄せ、それぞれ種苗代の身の内に仕込んで、
男女の性能並びに骨突っ張り、皮つなぎの道具とし、
くよもよみのみこと、かしここねのみここと、をみとのべのみこと、たいしよく天のみことを引き寄せて、
それぞれ、飲み食い出入り、息吹き分け、引き出し、切る事の道具としたならば、これでいよいよこの「人間の創造に着手出来ようと、月日両神の相談定まって、いよいよ人間創造に取り掛かったのであるが、
それから後の親神の守護というものは、実に並々ならぬものであった。(続きます)
97:山名
10/06/28 23:51:10 hJOODec0
>もう一つ、山名さんは「原典」からではなく真柱の教義書なら色々と書く。
と言いながら、
>>85
「概説の解説」をやってしまう基本ちゃん。そんな解説要りません。
98:山名
10/06/29 01:00:20 ufhDCi6E
>>94
ま、カルトのテ○リストを自称している基本ちゃんだから、ショウガナイのでしょう。
「基本。」の説く教理は、天理教の基本であると突き通すしかショウガナイ。
そういうことのようです。
99:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/29 01:19:04 0/hY5ioG
>>95-96
> 長いので、数回に分けます。
長いので、話題の中心部分だけ参照します。
・・総註 元の親とは月日両神であって、月様はくにとこたちのみこと、日様はをもたりのみこと、と申し上げる。ここにつとめと仰せられているのは、かぐらづとめの事であって、これはかんろだいをめぐって十柱の神名の役割を勤める十人のつとめ人衆によって勤める。
・・ 五尺になった時、速かに海陸分かれ、天地定まり、日月も明らかに現れて、人間は水中を離れ、それぞれ近くの陸へ上がり住んだ。
こうして、今日のように世界中の土地所々に人間が住みつくようになったのである。
であるから、世界中の人間は皆親神様の可愛いい子供、一列人間はお互いに同胞である。
この時まで、水中の住居は九億九万年、陸に上がってから六千年はちえの仕込み、三千九百九十九年は学問の仕込みをして下された。
かようにして親神様はだんだん人間を仕込んで下され、十中八九までお育て下さったのであるが、今一歩というところが仕込めてなかった。
ここに約束の子数の年限到来して、天保九年十月二十六日、この世人間を御創造下された元の親神天理王命様が元のぢばに天降られ、教祖様を月日のやしろとして、そのお口を通して今一歩という最後の仕込み、即ち世界一列たすけのだめの教をお説き下さる事となった。
・・即ち、天理王命様とは、万物を摂理し給う月日両神、
即ちこの世人間を創造し給い、守護し給、元の親神様であって、
この親神様の御守護の御理の一つ一つに神名をつけて、十柱の神名をお教え下されている。
十柱の神名とは、くにとこたちのみこと、をもたりのみこと、くにさづちのみこと、月よみのみこと、くもよみのみこと、かしこねのみこと、たいしよく天のみこと、をふとのべのみこと、いざなぎのみこと、いざなみのみことである。
まことに天理王命様は、全宇宙を創造し、全宇宙を身体として、普くひろく実在し守護し給う元の親、実の神であって、
この世に於ては、教祖様を神のやしろとして元なるぢばに直き直き現れ給う神様である。
(続きます)
100:山名
10/06/29 01:32:29 ufhDCi6E
監視スレまで来てやるんだから、存分にどうぞ
101:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/29 01:33:20 0/hY5ioG
>>95-96 >>99
>> 長いので、数回に分けます。
> 長いので、話題の中心部分だけ参照します。
・・ 即ち、天理王命様の神名はぢば末代の理に授けられ教祖様は生きて永えにぢばに留まり給う。
これを、教祖存命の理と言う。
まことに元なるぢばこそは天理王命様の現れ給う所、たすけ一条の根元であり、本数信仰の生命である。
(引用紹介を終わる)
長々引用しましてが、この解説は、現在の天理教団の説き方であって、原典に基づいた理解とは、食い違っています。
簡単な真実、「天理王命」は「おやさま・中山みき様」で、そのやしろ「地場」もご神体としての「天理王命」である。
この真実がぼかされて、さもそれらしく語られていますが、原典とは違っています。
おやさまがそれで良いとは言われなかった「こふき話」の内容の要約です。
でも、月日についての解説として読めば、月日とは、「元の親神」という肝心な事においては正解しています。
[ 全宇宙を創造し、全宇宙を身体として、普くひろく実在し守護し給う元の親、実の神 ]
[ 人間創造の元の親神は月日であって、その他のものは皆道具である。]
[ 月日が道具を寄せて人間創造の守護を教え、この創造の功能、守護の理にそれぞれ神名を授けたのである。]
102:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/29 02:13:48 0/hY5ioG
「神」(「かみ」) →「月日」と説かれたお筆先は、「神の話題」の中から「月日」の話題に入るわけですが、
「元の親神」の話題の時には、「月日」と説いているとは限りません。
「赤衣の神」=「おやさま」 この時にも「月日」と説かれています。
元の理関連の話題においての、「月日」という神名と、解説だけ見ると錯覚しそうですが、
それ以上に、
たすけの現場において「月日」と説かれている方が多いのです。
このたすけはやくりやくをみせたさに 月日の心せくばかりやで 第7号 29
月日よりこのせきこみがあるゆへに なにか心わいそがしい事 第7号 33
これさいかはやくぢうよふみせたなら 月日の心ひとりいさむに 第7号 34
月日よりたいないよりも入こんで ぢうよぢざいをみなしてみせる 第7号 37
つまり月日とは、この場合お筆先を書いている本人「おやさま」であり
「天理王命」そのものです。
「月日」というのは、「親神の理」を特に示す時の親神の呼称を意味します。
「神」は信心の対象としての存在で「神」。「不思議」な「利益」が、神です。
「月日」は、世界をあまねく照らすという意味ですが、
月日にハせかいぢううハみなハが子 かハいゝばいをもていれども 17号 68
月日とは、人間のおや、それがおやさまそのものだと言う事は、何より大切です。
103:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/29 02:29:15 0/hY5ioG
そこで、「表に現れた神」は「委細を説いて聞かせる神」「この世を治める神」ではあるが、
それは「月日」であると、
神名を説き分けた理由は、日本では「偉い人は神」、また「人格神」という思想があって、英雄や偉人は「神」であると、人を神と呼ぶのは普通だから、
普通ではない、お空のお月様、お日様なのだと、説かれているわけです。
「人間みき・それは神」と言葉にはしても、その認識の中に、「実は人だった」というような事実の誤解を持ち込ませない配慮と、理解されます。
「みきは月日だ」と示したから、「天皇陛下は現人神」と説いていた明治政府は「超常現象」を説いているから、弾圧せざるを得ない。
「私は人間ではなく、お月様・お日様」でとなると、「現人神は・ホントは人間」だから天皇以上の存在と、これは認められないわけです。
104:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/29 02:56:49 0/hY5ioG
第14号 29
いまゝでハ月日とゆうてといたれど もふけふからハなまいかゑるで
Imamade wa Tsukihi to yute toitaredo Mo kyokara wa namai kaeru de
Until now, I taught you by the name Tsukihi, but from today I shall use another name.
註 これまでは親神様の事を「月日」と称えて教を説いて来られたが、今後は主として親という言葉で御説き下されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑ お筆先の14号にて、今日からは名前変えるとの宣言です。
その解説で分かりますが、書いた教祖を、「月日本人」「をや本人」と認識していない書き方です。
『これまでは親神様の事を「月日」と称えて教を説いて来られたが、今後は主として親という言葉で御説き下されている。』
では、なく、
『自分の事を「月日」と名乗っていたが、今日からは「をや」と名前を変える』
と言う意味です。
山名系は「おやさま=神=月日=をや=親神」という、「親神は中山みき一人しかいない」という、お筆先に明白な理を、まげて説いて教団をミスリードしました。
26 :基本。:2010/06/26(土) 18:38:25 ID:gHOeAhrO
URLリンク(www.geocities.jp)
今迄の仕込で、十のものなら、九つまで教えてきた (『正文遺韻抄』p237現代文に書換)
今までの、長い年限のうちに、知恵も仕込み、文字も仕込み、また、その上に、教えというものも、神が入りこんで仕込み、幾重の道もみな教えて来たから、そこで、ものの善し悪しは、大抵、わからぬ者はないであろう。
なれど、九分九厘まで、教えて来たけれども、今、一厘のところがわからぬ。
これをこの度、教えるという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが間違い。基本的に正すしかないところです。
105:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/29 03:09:56 0/hY5ioG
>>89
基本さんは
>「月日」と「親神」は、別。
これは教理の常識である。
親神とは「中山みき」なのだが、あくまでも「地上の月日」。
おやさまは親神天理王命様だけど、月日ではない。
と語られていますが、>>85では
親神様は、教祖の御身体を社としてその中にお鎮まりになっておられたのであるから、
[ 親神はみきの体を乗っ取って]
この地上に於ける親神様のご住居は、教祖の御身体であった。
[ ご神体」にしていた。]
つまり教祖は生き神様と言うに全く相応しい御存在であられたのである。
[ 親神に乗っ取られたみきは、ご神体であり、神となった]
と発言されています。
[月日はみきの体を乗っ取って]
という表現にしないのはなぜですか?
////////////////////////////////////////////////
この事を説明するために、長々と書きました。
>>104
> 「おやさま=神=月日=をや=親神」という、「親神は中山みき一人しかいない」という、お筆先に明白な理」
↑ これは正しい。
そうなりますと、基本自身が書いた事、
>「月日」と「親神」は、別。 これは教理の常識である。
これに、不一致になるわけで、
疑問をもたれましたように、月日と親神は一緒なら成り立つ論も、一緒で無いなら成り立たないわけですから、
> [ 親神に乗っ取られたみきは、ご神体であり、神となった]
これは、おかしいと気づかれたのは、さすがと、思いました。
106:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/29 04:37:47 0/hY5ioG
> 「月日」と「親神」は、別。 これは教理の常識である。
> 親神とは「中山みき」なのだが、あくまでも「地上の月日」。 おやさまは親神天理王命様だけど、月日ではない。
この事の根拠は、次のお筆先です。
しかときけこのもとなるとゆうのハな くにとこたちにをもたりさまや 第16号 12
お筆先の執筆者・おやさまが「敬語」で呼んでいると、ご指摘は二代真柱様です。
くにとこたちにをもたりさま。
これが天にては月様、日様ですから、天にてはの「月日」とは「国常立」「面足」様ということで、天理教の常識として、
敬語を付けた側の教祖と、付けられた側の「月日」は違うと、言う事を常識としています。
問題は、天下った時の状態です。
泥海では「大蛇・大竜」であり、天にては「月・日」であり、世界にては「水、火」。
それが、「中山みきをやしろとして、天下った」、つまり乗っ取ったわけです。
考えて見ていただきたいと思います。
つまり、「くにとこたちにをもたり様」は、泥海では大龍と大蛇になる、天では月日になる。
それは人間を乗っ取れば、「神」になる。親神になったという事です。
月日に乗っ取られたみきは「親神になった」。そういう意味では、[月日はみきの体を乗っ取って] は、正しい。
間違っていない。
しかし、月日が乗っ取ったのは、乗っ取った月日は、泥海に居て「龍」や「蛇」としての存在であっただけではなく、
人間を初めかけた親神であったということです。
それで「月日はみきの体を乗っ取って」なのですが、月日は元始まりの親神だから、「親神はみきの体を乗っ取って」との表現を用いて、
「元の親神が親神の体をのっとた」と、そんな意味の表現で解説したわけです。
107:基本 ◆XE./kJ00CA
10/06/29 06:03:54 0/hY5ioG
「人間をはじめた」ということは、先ず「魂」を、次に「肉体」を準備した。
魂だけでは人間に成人しない。肉体を準備した。
月日は「魂の本質」であり、「道具の神」とは「肉体・身の内の守護の理」。
このように理解すると分かりやすいと思います。
親神が人間をこしらえたというのは、先ず最初の「親」人間を宿した親をこしらえたという事ですから、
人間は人間から生まれるものです。
最初に「おやさま・人間の親神」を「くにとこたち・をもたり」がこしらえたという事ですから、
「おやさま・人間のをや」は「元初めの月日の入り込まれた」その意味で、
「月日・くにとこたち・をもたり様」の「ご神体」になったと言う事です。
つまり、「しん」と「たい」は、セットですから、「しん」は体を持たねば、「神体」になれないわけです。
おやさまが、扉を開いて、「月日」は「しん」のみの状態のはずですが、「地場」を「たい」として、
おやさまは存命であり、地場はそのご神体になった。
この道理は、お分かりになったと思います。
108:基本。
10/06/29 08:23:17 0/hY5ioG
山名さん。二代真柱様の言われた事です。ご存知と思います。
『教祖のおっしゃっていることには絶対に間違いがないのだ、教祖の言葉こそ親神様のお心をお伝えいただく“月日”のお言葉である、
これを絶対に信頼すること、これがすべての根底なのであります。』
『 しかときけこれから心いれかへて にんけん心あるとをもうな(七 54)』
元なるのをやふたしかにしりたなら とんな事でもみなひきうける
天理教とはどんな教えですか。「元なるをや」を確かに教える教えです。と、これが天理教の基本です。
リラックマンさんが紹介の二代真柱様のお話には、こうあります。
URLリンク(geocities.yahoo.co.jp)
教祖の場合においても、前に申しましたように、“み”様の魂でのみおわした時と、
“月日のやしろ”にもらい受けられて、「心は月日みなかしている」と御宣言いただいて後からのお話と、これは違って解釈できるのであります。
われわれの慕うという情の上から見て、一貫した“ひながた”と考えることは、これは私たちの心一つの問題でありますが、しかしながら、教理論から申せば、おのずからそこに一つの区切りがあるということを、理において、教理論の上において、お含みいただきたい。
教祖の場合においても、前に申しましたように、“み”様の魂でのみおわした時と、“月日のやしろ”にもらい受けられて、「心は月日みなかしている」と御宣言いただいて後からのお話と、これは違って解釈できるのであります。
われわれの慕うという情の上から見て、一貫した“ひながた”と考えることは、これは私たちの心一つの問題でありますが、しかしながら、教理論から申せば、おのずからそこに一つの区切りがあるということを、理において、教理論の上において、お含みいただきたい。
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