10/09/19 03:41:16 o8UJmG3u
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さて、プレイヤーがAという身体でプレイしたゲームが終了したとする(つまりAという身体が死を迎えた)。
すると、さっきも書いたように、希望すれば、もう一度同じDVDで人生ゲームをプレイすることが可能だが、別の身体を選ぶことも
できる。次は、Aという身体ではなく、Bという身体(前回のプレイで選んだAという身体の友人)を選ぶこともできる。
で、次のプレイでBという身体を選んだ場合、プレイヤーはBという身体に意識を投影し、Bという身体が知覚者となる。
前回のプレイで知覚者だったAという身体は、今回は知覚者とはならず、知覚能力を持たないただの身体となるわけだ。
そして、プレイヤーは、今回のプレイでは、Bという身体とともに一生を過ごす。
ここで一つ、大事なことなので補足しておきたいが、Aという身体とBという身体が友人であり交流があるからといって、
Aという身体でプレイした時の体験と、Bという身体でプレイした時の体験が、そのまま1:1の関係でリンクしているわけではない。
たとえば、Aという身体でプレイした時には、Bという身体と大喧嘩したことがあるが、次にBという身体でプレイした時に、
必ずしもAという身体と大喧嘩するとは限らない。
以上が、転生のシステムとメカニズムの簡単な説明であるが、今後も何度か補足事項を書く予定でいる。
それと、この「転生のメカニズム」は、それ単独では赦しの実践には結びつかず、単独ではあまり役に立つものではない点を
ご了承いただきたい。ただし、人生で起きるすべての出来事が、事前に自分でプログラムしたものであることがわかれば、
より簡単に赦しを実践できるようになるであろうことを考えれば、赦しに貢献するであろうことは期待できる。