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第173回年次総大会大会PDF文書
引用は78ページ(PDF文書では76ページ)
モルモン教大管長ゴードン・B・ヒンクレー
「戦争と平和」より引用
URLリンク(www.ldschurch.jp)
民主主義において,わたしたちは戦争を放棄して平和を宣言することができます。
反対する機会があります。
多くの人々が自由に意見を述べ,力強く述べてきました。
それは特権です。
合法的に行われるかぎり、権利なのです。
しかし、わたしたちは皆、さらに重要なもう一つの責任を心に留めなければなりません。
現在の状況において、このもう一つの責任がわたし個人の感情を支配し、わたし個人の
忠誠心を促しているものである、と付け加えたいと思います。
ニーファイ人とレーマン人の問で戦争が激しくなったときのことについて、記録には次のように書かれています。
「ニーファイ人はもっと良い動機に励まされていた。
彼らは… … 権力のため〔に戦ったのでは〕なく、自分たちの家と自由と、妻子と、
自分たちのすべてのもののために、特に礼拝の儀式と教会のために戦っていた。
彼らは、神に義務を負っていると感じていたことを行っていたのである。」(アルマ43:45、46)
主はニーファイ人に次のように勧告されました。
「血を流してでも自分たちの家族を守りなさい。」(アルマ43:47)
そしてモロナイは「自分の衣を裂いて、その一片を取り、それに『我々の神と宗教、自由、
平和、妻子のために』と書いて、さお竿の先にしっかりとくくり付けた。
それから、彼は自分のかぶとと胸当てと盾をしっかりと身に着け、よろいを腰にまとい、先端に
裂いた衣を付けた竿を取って(彼はそれを自由の旗と呼んだ)、地にひれ伏し、そして… …
自分の同胞に自由の祝福をとどめてくださるようにと、熱烈に神に祈った。」(アルマ46:12-13)
ほかの文書からも、国家が家族と自由のために独裁政治や脅威、抑圧に対して戦うことが正当
とされる、あるいはむしろそうする義務が生じる時や状況があることは明らかです。