エクレシア《神の教会》at PSY
エクレシア《神の教会》 - 暇つぶし2ch455:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
10/09/26 11:53:49 /9dxOiBL
「トマスとアリストテレスの関係」トマス・アクィナス
トマスの業績を哲学と理論学に分類した場合、哲学の分野ではアリストテレスの影響が
きわめて強い。しかし、彼は新プラトン学派にも造詣が深く、哲学の蓄積を踏まえていた。
そうでなければ、彼が「哲学者」として歴史の一ページに刻まれることはなかった。
しかし、トマスはアリストテレスに直接影響を受けていたのだ。

456:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
10/09/26 12:14:01 /9dxOiBL
「哲学の探求の意味」トマス・アクィナス
トマスにとって、哲学は「科学を覆う傘」であった。数学にせよ、理論物理学にせよ
心の働き=考えるという作業が基盤になければならないとした。しかし、トマスは
理論物理学にも「経験」を要求していたのだ。実践がなければ科学は意味を成さない。
一方で、トマスは形而上学を、神聖なるもの、の発見をするうえで、哲学のゴール地点
ですらあるとする。

457:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
10/09/26 17:07:04 /9dxOiBL
「物理的存在について」トマス・アクィナス
この、トマスの物理学に関しては、時代の制約もあり、かなり陳腐化しているのは
否めない。しかし、アリストテレス哲学にもとづいて物理的存在の定義を行っている。
物体がどのような過程を経てどのように変化するかは、我々の認識にかかっている
とする。物があることが知覚でき、その「物」が我々の知っている法則によって支配
されていることを物理学と呼んだようだ。
物が混乱の中から分類可能になるのは、まるで赤ん坊がすべての男性を父親だと思い、
すべての女性を母親だと思うことから、やがて特定の男女を、父親・母親と見分けが
つくようになるようなもので、人間は物体をそのように認識しているのだろう、とする。
この記述は、トマスもアリストテレスの解釈で非常に悩んだそうだ。
時代の制約というものだろう。

458:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
10/09/26 19:23:33 /9dxOiBL
「神」トマス・アクィナス
トマスは「神は存在する」ということばを問題にする。神が存在するかは「分かるわけがない」
しかし、この「神は存在する」という言葉自体が神の存在を前提にしているではないか
とする。神の存在がどのように証明されるかは「5つの方法」をトマスは発表している
らしいが、結局は、キリスト教であれ、ユダヤ教であれ、イスラム教であれ、各自の
「信心深さ」に求める以外にないとするのだ。
世の中にはいろんな経験が満ち溢れている。その中で各自が見出せばいいだけの
ことだとする。
非常に頭のいい人ですね。

459:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
10/09/27 10:27:47 RHYcdCs9
「トマス道徳哲学」トマス・アクィナス
人間は、どんな職業についていようが、その役割をしっかりと果たそうとする。
その職業においては、彼の健康状態がいいか悪いかなどは問題にならない。
役割を立派に果たすことが「良きもの」とされる。人間は良き人間になろうと
思うし、幸せになろうと願う。しかし、忘れてはならないのは、現世での幸福
は不完全であるということだ。人間は理性と美徳にしたがって生きることにより、
現世では不完全な「幸福」が、来世では完全な幸福になる。
しかし、どんな人間も完璧に理性と美徳にしたがって生きることは出来ないのだ。
それは人間が天使に劣る部分でもある。誰だって間違いは犯すものだ。
聖人君子のように生きれば来世に完全な幸福が得られるとまでは要求しない。
もっと緩やかに「理性と美徳」を念頭においておけば、来世には完全な幸福が
得られるようになっているのだ。
これが「トマス道徳哲学」の概要だ。

460:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
10/09/27 16:28:26 RHYcdCs9
俺も断片的にしか知らないのだが、少なくとも、トマス・アクィナスは「神は不合理」
「現世では完全な幸福は得られない」ということは認識している。
それではあまりにも救いがないので、キリスト教に基づく「来世」というのを想定
している。
しかし、時代が下り、キルケゴールなどは率直に「死とは虚無を見つめることであり、
そうであるからこそ『生』のありようも分かるはずである」としている。
現代人にはキルケゴールの方が説得力があるのではないだろうか。
「来世」という「空手形」を切るカトリックの「死」が「神は死んだ」ということの意味である
気がしてならない。

461:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
10/10/01 23:05:22 RgogpI+H
「弱いものは常に間違っている」ヒューゴー・グロティウス
グロティウスは、実務を熱心にこなした研究者だった。
代表的著作は「戦争と平和の法」(DIP)「海洋自由論」(DIB)の二つだ。
哲学者としては、ルソーが「ホッブスは哲学的に語り、グロティウスは詩的に
語っただけで、同じことを言っている」と辛らつに批判している。
たしかに、哲学の分野でグロティウスが引用されることは少ないのだ。
しかし、彼は7人の子供を育て、収入を求めて実務をこなしたのだ。
彼は、戦争はなぜ起きるのか、富は何に由来するか、など、現代においても
非常に論争的な議論の端緒を開いていることは見逃してはならない。

462:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
10/10/01 23:08:07 RgogpI+H
「自然法の論争の幕開け」グロティウス
自然法という言葉がまず問題となる。「自然」というのは人間の本質・本性を
意味するのに対し、「法」というのは文字に書かれた規範を意味する。
この二つの言葉をつなげたことから、この「自然法」という言葉は、歴史的には
カントよりも長い期間、哲学の世界に存在することになった。
しかし、この言葉の抽象性は無限定であり「神にしたがわなければ罰せられる」
とすら言えてしまうのだ。キリスト教社会とその他の社会での自然法は同じなのか?
そのような議論もあった。
グロティウスは、人間の自己保存の欲求と、人間が社会に依存している現実に
目をつけた。人間が社会で生きていくうえでの「調和」を自然法に求めたのだ。
トマス・アクィナスは「義務とは優れたものに劣ったものがしたがうことである」
と言ったが、グロティウスはこの考えとは一線を画している。
あくまでも、自己保存の欲求と、人間が社会で生きていかなければならない現実
という観点から義務は生じると考えたのだ。

463:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
10/10/28 16:31:48 YNzhXJ12
「エホバの証人Jehovah's Witnesses」は、1870年代にアメリカで生まれた
キリスト教系の宗教団体(団体自体は「ものみの塔watchtower」と称している)
である。世界各地に広がっており、日本でも戦前の1920年代から「灯台社」
という名のもとで活動していた。「兵役を拒否した日本人~灯台社の戦時下抵抗」
という稲垣真美という人の著作がある。団体自体の発表している統計によれば、
現在、日本には22万人弱の信者がいるという。「王国会館」と呼ばれる施設をもち、
二人一組で個別訪問を行っていることはよく知られている。
聖書中にある「血を食べてはならない」(創世記9章3,4節や申命記12章23-25節
など)という教えは輸血によって血を体内に取り入れることにも当てはまるとする。
「命を創造者からの賜物として尊重する人々は、血を取り入れることによって
命を支えようとはしない」というのだ。
平成4年に悪性の肝臓血管腫との診断を受けたエホバの証人の主婦が、
輸血をしないで手術が行えるのは東京大学医科学研究所付属病院だけだと
考え、9月に手術を行ったが、手術の際に出血がひどく、医者は輸血を行った。
患者がこの事実を知ったのは、本件輸血の事実があったことを知った週刊誌の
取材申込みが10月に病院にあったことから、11月の退院時に病院側が輸血の
事実を告げたのだ。


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