【仏教】99%の経典は偽経・偽書です!at PSY
【仏教】99%の経典は偽経・偽書です! - 暇つぶし2ch292:神も仏も名無しさん
11/09/12 12:23:28.96 /guscYSA

> 仏を超能力者とか霊能者とか神様とかって厨二な考えだと、殆ど全てが偽物って話な訳だ


例えば、私の場合は

『この世の中には、物理学の言葉で説明できない、不可思議のこともある』

と考えているので


神通、神変、中有(幽霊)、輪廻の肯定派で、ございます

293:神も仏も名無しさん
11/09/13 11:01:35.89 MpVkG5n7

>>187 >>188 の続き

現存する漢訳仏典は
古典サンスクリットではなく
俗語の特徴を反映している

漢訳仏典は
時代としては
より古いものを直接に
反映している可能性が高い

らしいので

 - - -

私、個人としては

◎『 スッタニパータ 』も
◎大乗経典の『 般若経 』なども

『 ブッダの言葉を伝えている可能性がある 』と考えています

294:神も仏も名無しさん
11/09/15 06:56:08.33 apNDX6h7
教祖が実際に言ったことと一言一句一致しているかどうかが大事なんじゃなくて、
真理が反映されているかどうかが大事なんじゃないの?

295:神も仏も名無しさん
11/09/15 17:35:06.09 8mJ7koTY

>>1 真仏教徒
> 現在最も古い経典と言われるパーリ5部ですら
> 釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るのみだろうという研究結果すらある


>>1 真仏教徒さんの場合は
『 現在最も古いと考えられている経典ですら
   釈尊の直接の言葉は数行しかないかもしれない 』
と言う(ごく一部の学者の)研究結果に衝撃を受けたのかもしれない

 - - -

  ☆  おすすめの書籍  ☆

新アジア仏教史 02  インド 2
仏教の形成と展開
奈良康明、下田正弘
出版社: 佼成出版社 (2010/10/30)

並川孝儀

63ページ参照

スッタニパータの第4章と第5章は
ブッダに最も近い時代を伝えているとされている

64ページ参照

スッタニパータの第4章と第5章の中に
ブッダの金口直説もあるとの指摘もある

296:神も仏も名無しさん
11/09/15 17:53:15.55 8mJ7koTY

  ☆  おすすめの番組  ☆

2011年9月21日(水) 午前5時30分から

NHK - Eテレ

ブッダ“真理のことば” 第2回『 うらみから離れる 』

 - - -

『ダンマパダ(Dhammapada)』は、原始仏典の一つで、釈迦の語録の形式を取った仏典である

語義は「真理のことば」といった意味であり、原始仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである

『スッタニパータ』と共に原始仏典の、最古層の部類とされている

297:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/09/17 09:57:39.55 VurTcabR

私は不死の境地を知った。「イエスは神への信仰はできない」を教えようとしたが、釈尊はそれがなく直接的。

―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい―(コリント)―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉
どおりになるであろう―(ルカ)―「主よ、主よ」と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが―(マタイ)

  ―イエスは聖霊に満ちて~荒野を四十日のあいだ―断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな~あすのことを思いわずらうな~一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(マタイ)
  ―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色は明朗~未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(神々との対話)

 雑務から離れ、貪りという思いも行為も全く無く、世捨て人のように世の中の思い煩いと自己への思い煩いを離れた人々は、神通力の領域に近い。―軽安―(ブッダ最後の旅)心を軽やかにすれば長寿が容易となる。
 病気の人が世の雑務から離れて、五欲の貪りから離れて、病気の治療に役立とうとするように、全世界であらゆることで貪りは人類に不利益をもたらし、与えることで益をもたらす。神通力が隠されているから、正反
 対の努力をしても、無駄である。

  『今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった~煩悩の汚れのなくなった覚った人にわれらは見えたからである』人々は世の益のために、神通力の領域に近い心をよしとし
  なさい。人々が健康的だなと思う宗教行為は、神通力に近いものであると教えること。安らぎは虚妄ならざる真理であり、釈尊は人々に完全な清浄行を顕示させた。


298:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/09/17 10:02:24.06 VurTcabR
       ―貪りと憎しみにとりつかれた人々が~欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ~ああ、この世は滅びる。ああ、この世は消滅する―(悪魔との対話)

―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して~一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ~母が己が独り子を命を賭けても護るように~上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意
なき慈しみを行うべし~この世では、この状態を崇高な境地であると呼ぶ―(ブッダのことば)
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない。かれに過失(道から外れること)は存在しない―(神々との対話)
―学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ~貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ~ことばと心を正しくするようにこころがけ、身に悪事を
なさないで、もしも飲食豊かな富んだ家に住んでいるならば、信あり、柔和で、よく分かち与え、温かい心でいるならば、これらの四つの事柄に安住している人は―(神々との対話)
これが仏の教え―すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが仏の教えである。わかち与える人には功徳が増大する―(感興のことば)

 貪欲のためにあくせく(過労)しても、地球環境破壊、非我である経済に仕えても大借金。大借金があるにもかかわらず、震災でも盗みや暴動を起こさず、所有物がなくとも耐え、失望せずに前向きに生きようとす
 る被災者と、貧窮・宿無き人々に配慮ある人々・政府に国民は助けられている。国民は日々の暮らしでも、見る働きを具え、過労をなくし、貧窮なる人々に与える国なら、
  ―愚劣な人が富を得ると、自ら用いることなく、他人にも与えない―(神々との対話)人々より、借金もできず、人々は苦労も少なく、適度に幸せを得て、何も問題なく暮らせるであろう。

 仏の教えに従わず現実に起きた、起きている問題と、従いそれらの問題解決への智慧。崖っぷちに立たないと、仏の教えに従うことができない愚鈍な国民。

299:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/09/17 10:03:33.22 VurTcabR
―法にしたがって生き、恥を知り、真実を語り、自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす。他人に愛される人は、また自分のためにもよいことをするのである。この世では人々にほめたたえられ、死後に
は天上に生まれる。他人を訓戒せよ、教えさとせ~悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく。悪人は地獄におもむき、善人は天上に生まれる―(感興のことば)

 ―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い―(ブッダのことば)をせず非我であるものに苦しんでの自殺。非我である経済や物質的な喜びにあくせくしての地球環境破壊。
 非我である経済に仕えての大借金。愚劣な人が富みを得て、貧窮なる人々に分け与えず不景気に。
  しかし、崖っぷちに立たされてからやっと、「一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者」のように、道を行った人々。震災で宿無く、貧窮なる人々に施し与えることを、悪いと言わなかった。施し与える
  ことにより、世の秩序は保たれた。

   真実を語り、恥を知り、法にしたがって生きることの大切さを人々に説く。これが仏の教えである。言語表現だけのものとしての教えの伝えは、貪欲にあくせく仕え、生ける者の安穏と安楽を無視すれば、どうい
   う現象になるかでわかる。

300:神も仏も名無しさん
11/09/17 13:23:01.96 7eSFsDqp

>>299
> 真実を語り、恥を知り
> ○○○法にしたがって生きる

三十七菩提分法(三十七道品)
中阿含経などに説かれた、仏教で
悟りに至るための三十七の修行法

四如意足(四神足) 四つの自在力
◎欲(すぐれた瞑想を得ようと願う)
◎精進(すぐれた瞑想を得ようと努力する)
◎念(すぐれた瞑想を得ようと心を集中する)
◎思惟(すぐれた瞑想を得ようと智慧をもって思惟観察する)

 - - -

四如意足(四神足) 四つの自在力 と
信仰、念(おも)い、精神統一、意欲、努力によって
輪廻から解脱する

301:a
11/09/17 13:30:24.39 NX6ooYrc
阿含経の止息法と「深秘法」 北澤米吉著と

金剛頂ユガ中略出念誦経第三 一切成就三摩耶契の関係の秘密を世界に公開する男


302:神も仏も名無しさん
11/09/17 13:34:37.38 7eSFsDqp

『 金剛頂瑜伽中略出念誦法 』

303:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/09/17 21:08:40.33 VurTcabR
>>300
―如来なる仏はこの世で自ら現れたものであり、闇を除き、彼岸に達した大仙人であるが、かれに二つの思いがしばしばはたらきかける。一つは安穏という思いであり、他の一つは人を離れて孤独をたのしむことと結び
ついている―(感興のことば)

不死の境地ニルヴァーナを知ってからの仏教

 ―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々との対話)
 ―世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ~この身は泡沫のごとしと見よ。この身はかげろうのごとしと見よ―(真理のことば) 世捨て人のように人の活動(業)を捨て去るように努め、
 五欲の対象の享受の喜びを一切捨て去る。静けさを楽しみ瞑想などにより安らぎに安住しようとすれば、身体が無くなった後、妄執を乗り越え、この世に再び戻ることはない。

 ―信仰あり在家の生活を営む人~誠実、自制、施与、耐え忍びよりもさらに勝れたものがあるなら―(ブッダのことば)
 出家修業により森や林の中で静けさを楽しみ、世の中のことを捨て去り、諸々の感官を静め、瞑想などにより静けさを目指し、自己への迷いも捨て去るように日々努めないと、輪廻から離脱することはできない。
  過去も現在も未来も、この法(出家修行僧が輪廻から離脱する)は変化しない。

304:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/09/17 21:10:03.44 VurTcabR
―われらは一物をも所有していない、大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―(真理のことば)

 神々という人格も存在し、在家の生活を営む人は輪廻から離脱することはできないし、人々の労力で得た物を必要とし暮らしている人々は、輪廻から離脱することができない法をつくられたのである。
 無所有で人々の労力で得た物を頼りとせず、わずかな食物で暮らす生活を喜んでいる人々は、輪廻から離脱することができる。瞑想は意向や思考を抑制し、常に静けさを喜べる存在となれるような者となる修行法。
 労働もなく世間もなく、人の労力で得た物もなく、欲求もなく、わずかな食物で暮らす生活を守り、この世で既にそのことを楽しんで、人間の身体となって生まれることはない。

―世間は妄執によって導かれる~妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話)
  妄執は―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
 
 身体と清浄な境地、「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」が結びついて、身体世界を安穏、安楽な暮らしにするため。人々の安穏、安楽な暮らしに努めるのも法で、他人に愛される。
 出家修行僧が他人に愛されることはない。労働もなく世間の労力でつくられたものを貪ることなく、ただ安らぎを楽しみ、妄執を乗り越え、完全で清浄な者となれるよう目指す。

305:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/09/17 21:10:41.00 VurTcabR
この世は不完全で苦しみも多く、重い荷に耐えねばならないが、生ける者の幸福と安穏と安楽とを思い、他人に愛される人は法にしたがって生き、
 この世は不完全で苦しみも多く、妄執によって導かれた世界であるから、世捨て人となって世間の人々が耐え忍んで幸福のため安穏のため安楽のため労力で得たものを享受せず、わずかな食物で暮らすなら、輪廻しない。

 『人間という状態に戻らず、喜びを食む光り輝く神々は、世捨て人となって人の労力で得たものを享受せず、わずかな食物で暮らし、輪廻しない人格を得た』そのように説明され、出家修業という釈尊と修行僧は、人間と
 いう状態に戻らない行いということで、間違いはないと。重い荷を下ろす世界もある。


306:神も仏も名無しさん
11/09/17 21:46:15.34 7eSFsDqp

  ☆  ウィキペディア参照  ☆

空無辺処(くうむへんしょ)

無色界の(下から数えて)第1天

無量空処(むりょうくうしょ)とも言う
物質的存在がまったく無い空間の無限性についての三昧の境地

物的存在たるこの肉体を厭い
無辺の虚空の自在を欣び
空無辺の理(ことわり)を解し
修行して生ずる処である

欲界と色界とにおける一切の物質的な形を離れ
一切の作意のない、無辺の空を観じる禅定

形のあるこの肉体を厭い
大空は無限であることを達観すること

無色界には空間的な場所はないが
果報の違いに依って感じるので「処」と名付ける

 - - -

『無辺の空を観じる』禅定(瞑想)によって

『空無辺処(くうむへんしょ)』に到達することができる

307:神も仏も名無しさん
11/09/17 21:49:20.98 7eSFsDqp

ワイド版 岩波文庫
ブッダのことば
スッタニパータ
中村元
出版社: 岩波書店 (1991/01/24)

1119
つねによく気をつけ
自我に固執する見解をうち破って
世界を空(くう)なりと観ぜよ
そうすれば死を乗り超えることができるであろう
このように世界を観ずる人を
<死の王>は見ることがない

 - - -

空観 - 空を観察する禅定(瞑想)

308:神も仏も名無しさん
11/09/17 21:56:59.49 7eSFsDqp

『 <死の王>は見ることがない 』とは

『 <死の王>に、うちまかされることがない 』という意味

309:夜行牛
11/09/18 02:36:49.21 /T+jgMoi
諸行無常、生者必滅
仏教そのものも例外ではない
って話?

310:神も仏も名無しさん
11/09/18 04:17:51.98 nHufzNYL

禅定(瞑想)によって

『 この世のものすべては、無常(変容、変化するもの)である 』という

『 心の働き 』に到達するのである

311:神も仏も名無しさん
11/09/18 04:26:13.71 nHufzNYL

禅定(瞑想)によって

輪廻から解脱する事が出来るなら

仏教じゃなくても良い


ただし、今のところ

『禅定(瞑想)によって輪廻から解脱する』という概念は

バラモン(ヒンドゥー)とか

仏教の、南伝と、北伝と、チベット伝などに

限定されると思います

312:神も仏も名無しさん
11/09/18 10:42:27.67 nHufzNYL

ブッダは

バラモンなどの概念を批判しているところも有るけど


バラモンなどから

空無辺処(くうむへんしょ)などの禅定(瞑想)法を受け継いでいる

可能性が有るかもしれない

 - - -

だから

バラモン(ヒンドゥー)とか

仏教の、南伝と、北伝と、チベット伝など

幅広く勉強する必要がある


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