11/09/17 13:23:01.96 7eSFsDqp
>>299
> 真実を語り、恥を知り
> ○○○法にしたがって生きる
三十七菩提分法(三十七道品)
中阿含経などに説かれた、仏教で
悟りに至るための三十七の修行法
四如意足(四神足) 四つの自在力
◎欲(すぐれた瞑想を得ようと願う)
◎精進(すぐれた瞑想を得ようと努力する)
◎念(すぐれた瞑想を得ようと心を集中する)
◎思惟(すぐれた瞑想を得ようと智慧をもって思惟観察する)
- - -
四如意足(四神足) 四つの自在力 と
信仰、念(おも)い、精神統一、意欲、努力によって
輪廻から解脱する
301:a
11/09/17 13:30:24.39 NX6ooYrc
阿含経の止息法と「深秘法」 北澤米吉著と
金剛頂ユガ中略出念誦経第三 一切成就三摩耶契の関係の秘密を世界に公開する男
302:神も仏も名無しさん
11/09/17 13:34:37.38 7eSFsDqp
『 金剛頂瑜伽中略出念誦法 』
303:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/09/17 21:08:40.33 VurTcabR
>>300
―如来なる仏はこの世で自ら現れたものであり、闇を除き、彼岸に達した大仙人であるが、かれに二つの思いがしばしばはたらきかける。一つは安穏という思いであり、他の一つは人を離れて孤独をたのしむことと結び
ついている―(感興のことば)
不死の境地ニルヴァーナを知ってからの仏教
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々との対話)
―世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ~この身は泡沫のごとしと見よ。この身はかげろうのごとしと見よ―(真理のことば) 世捨て人のように人の活動(業)を捨て去るように努め、
五欲の対象の享受の喜びを一切捨て去る。静けさを楽しみ瞑想などにより安らぎに安住しようとすれば、身体が無くなった後、妄執を乗り越え、この世に再び戻ることはない。
―信仰あり在家の生活を営む人~誠実、自制、施与、耐え忍びよりもさらに勝れたものがあるなら―(ブッダのことば)
出家修業により森や林の中で静けさを楽しみ、世の中のことを捨て去り、諸々の感官を静め、瞑想などにより静けさを目指し、自己への迷いも捨て去るように日々努めないと、輪廻から離脱することはできない。
過去も現在も未来も、この法(出家修行僧が輪廻から離脱する)は変化しない。
304:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/09/17 21:10:03.44 VurTcabR
―われらは一物をも所有していない、大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―(真理のことば)
神々という人格も存在し、在家の生活を営む人は輪廻から離脱することはできないし、人々の労力で得た物を必要とし暮らしている人々は、輪廻から離脱することができない法をつくられたのである。
無所有で人々の労力で得た物を頼りとせず、わずかな食物で暮らす生活を喜んでいる人々は、輪廻から離脱することができる。瞑想は意向や思考を抑制し、常に静けさを喜べる存在となれるような者となる修行法。
労働もなく世間もなく、人の労力で得た物もなく、欲求もなく、わずかな食物で暮らす生活を守り、この世で既にそのことを楽しんで、人間の身体となって生まれることはない。
―世間は妄執によって導かれる~妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話)
妄執は―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
身体と清浄な境地、「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」が結びついて、身体世界を安穏、安楽な暮らしにするため。人々の安穏、安楽な暮らしに努めるのも法で、他人に愛される。
出家修行僧が他人に愛されることはない。労働もなく世間の労力でつくられたものを貪ることなく、ただ安らぎを楽しみ、妄執を乗り越え、完全で清浄な者となれるよう目指す。
305:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/09/17 21:10:41.00 VurTcabR
この世は不完全で苦しみも多く、重い荷に耐えねばならないが、生ける者の幸福と安穏と安楽とを思い、他人に愛される人は法にしたがって生き、
この世は不完全で苦しみも多く、妄執によって導かれた世界であるから、世捨て人となって世間の人々が耐え忍んで幸福のため安穏のため安楽のため労力で得たものを享受せず、わずかな食物で暮らすなら、輪廻しない。
『人間という状態に戻らず、喜びを食む光り輝く神々は、世捨て人となって人の労力で得たものを享受せず、わずかな食物で暮らし、輪廻しない人格を得た』そのように説明され、出家修業という釈尊と修行僧は、人間と
いう状態に戻らない行いということで、間違いはないと。重い荷を下ろす世界もある。
306:神も仏も名無しさん
11/09/17 21:46:15.34 7eSFsDqp
☆ ウィキペディア参照 ☆
空無辺処(くうむへんしょ)
無色界の(下から数えて)第1天
無量空処(むりょうくうしょ)とも言う
物質的存在がまったく無い空間の無限性についての三昧の境地
物的存在たるこの肉体を厭い
無辺の虚空の自在を欣び
空無辺の理(ことわり)を解し
修行して生ずる処である
欲界と色界とにおける一切の物質的な形を離れ
一切の作意のない、無辺の空を観じる禅定
形のあるこの肉体を厭い
大空は無限であることを達観すること
無色界には空間的な場所はないが
果報の違いに依って感じるので「処」と名付ける
- - -
『無辺の空を観じる』禅定(瞑想)によって
『空無辺処(くうむへんしょ)』に到達することができる
307:神も仏も名無しさん
11/09/17 21:49:20.98 7eSFsDqp
ワイド版 岩波文庫
ブッダのことば
スッタニパータ
中村元
出版社: 岩波書店 (1991/01/24)
1119
つねによく気をつけ
自我に固執する見解をうち破って
世界を空(くう)なりと観ぜよ
そうすれば死を乗り超えることができるであろう
このように世界を観ずる人を
<死の王>は見ることがない
- - -
空観 - 空を観察する禅定(瞑想)
308:神も仏も名無しさん
11/09/17 21:56:59.49 7eSFsDqp
『 <死の王>は見ることがない 』とは
『 <死の王>に、うちまかされることがない 』という意味
309:夜行牛
11/09/18 02:36:49.21 /T+jgMoi
諸行無常、生者必滅
仏教そのものも例外ではない
って話?
310:神も仏も名無しさん
11/09/18 04:17:51.98 nHufzNYL
禅定(瞑想)によって
『 この世のものすべては、無常(変容、変化するもの)である 』という
『 心の働き 』に到達するのである
311:神も仏も名無しさん
11/09/18 04:26:13.71 nHufzNYL
禅定(瞑想)によって
輪廻から解脱する事が出来るなら
仏教じゃなくても良い
ただし、今のところ
『禅定(瞑想)によって輪廻から解脱する』という概念は
バラモン(ヒンドゥー)とか
仏教の、南伝と、北伝と、チベット伝などに
限定されると思います
312:神も仏も名無しさん
11/09/18 10:42:27.67 nHufzNYL
ブッダは
バラモンなどの概念を批判しているところも有るけど
バラモンなどから
空無辺処(くうむへんしょ)などの禅定(瞑想)法を受け継いでいる
可能性が有るかもしれない
- - -
だから
バラモン(ヒンドゥー)とか
仏教の、南伝と、北伝と、チベット伝など
幅広く勉強する必要がある