【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】2at PSY
【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】2 - 暇つぶし2ch557:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/14 21:21:16 QHAylIUK
ただのレッテルだよ。
タイヤキと今川焼きの違いを議論するようなもんだ

558:神も仏も名無しさん
09/12/14 21:24:58 aS7RZm3c
>>1
ダメ
日本の仏教界の連中は一人残らず地獄行きww

559:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/14 21:27:20 QHAylIUK
>>556
そう、苦しいのは当たり前。
その当たり前の苦を甘受し、それを原点として解脱する。


560:神も仏も名無しさん
09/12/15 00:03:15 1StLWAVO
仏教では大乗とか小乗とかないの
師が悪いとかいちいち愚痴るのも間違い、他人をよりどころとするのが間違い

そもそも出家者のみに説いたレベル高い教えだからさ

だから自らをよりどころとして、悟れなかったら、それは自分が悪いの

561:神も仏も名無しさん
09/12/15 00:45:09 4SV+JsVY
大乗仏教の誕生は、根本分裂からと思われます。
その原因は、塩だったらしいです。
それまで僧侶は、托鉢した食料をそのつど食していたのが、かんばつや飢饉のため食料が不足したらしいです。そこで塩を使い食料を保存する者とそうでない者に別れたらしいです。
食物を保存するという態度をとった僧侶達は、言い訳が必要だった。

単なる物質にも魂が宿っているという解釈です。こうして北伝は、幽霊や死後の世界という仏教とは全然違う物に変わってしまったらしいです。

南伝の特徴は、もちろん瞑想法もありますが、物質と生命をはっきり分けている点があります。



562:神も仏も名無しさん
09/12/15 01:31:18 BOVNvFOG
>>560
なるほど

563:肝心要
09/12/15 01:51:22 S+Nj7RtR
>>561塩浄は些細なことでしょう、供養として受けた塩を捨てるかどうかを議論に
しただけと思いますよ。
大乗教開始の起源として有力なのは[法師]だと考えます。
この人たちは仏塔に止住して、世襲で塔の管理をしていたのですがこの人たちが
お参りに来た信者の接待をしたり、お経を解説したりしていたのは事実だったのです。
この人たちが在家の人たちとは違う、法衣を身に着けてしまえばどうなりますか?
お供物も頂く身分であり、また<仏様のありがたい話を聞かせる人達でした。>
この人達でも矢張りもっと自分達の生活を向上させる工夫はすると思います。
ゆえに、在家でもない僧侶でもない身分の 法師なる人達が出現してお経を製作
し始めたのだ という説も有ります。
信者に対して供養の布施の功徳を強く説く人達が居たのです。
私はこれを強く支持せざるを得ません。
ついでに言うなら 写経、読経は有力な宣伝手段だったといえましょう。
ここまで書いて現在の日本僧侶の原型がここに在ります事に気がつきました。

564:神も仏も名無しさん
09/12/15 02:12:03 xTeYdGMN
>>563 本当だ。
日本の住職さん達そのままですね。

565:神も仏も名無しさん
09/12/15 03:38:50 4SV+JsVY

日本の僧侶で布施の功徳ばっか言う奴やだな。

葬式は、音楽葬とかにしよう。

日本の坊さんなんかに一銭も払いたくないわ。



566:神も仏も名無しさん
09/12/15 04:25:34 Z6coBYJV
肉くう奴はだめ
空海は絶対許さんだろうよ

567:析空
09/12/15 12:08:20 WrRX97kp
>>566
スッタニパータでは、肉を食うから「なまぐさ」なのではないと、肉食を禁じてはいません。
一方で「生き物を殺してはならない」とも説いています。
ただ、完全な菜食主義では栄養失調になるようです。

568:神も仏も名無しさん
09/12/15 16:28:48 nltnB4ik
>>567
托鉢生活では
好き嫌いは言えん。

569:神も仏も名無しさん
09/12/15 17:17:15 /50NtRXG
>君も、東南アジアの人間か。

>>551じゃないが、どう見ても蔑称として使ってるよね。

570:神も仏も名無しさん
09/12/16 19:17:24 lC1Gwf5U
元がいい加減だから教えが変わったり分裂したりするの?

571:神も仏も名無しさん
09/12/16 19:20:09 7DSJWnyx
しょぎょーむじょーなんですよ。

ぶっだより。

572:肝心要
09/12/16 20:18:13 5Zyp58Zi
>>570 いい加減と言うよりも、釈迦自身が明確な「成仏方法」を記録として
   遺していない、初期からの伝承された経典は私見であるが真実の半分のみある。
   後の半分は教師が実地に教えたのだろう。
   修行者の皆にそれぞれの差が有るのだから一律には教授出来ないのは道理である。
   釈迦が成仏した事実は疑いなく有るが、ご自身の体験談が不足し過ぎである。
   

573:神も仏も名無しさん
09/12/16 20:28:33 lC1Gwf5U
>>572
ありがとうございます。

釈迦が悟りに導いた人達の個人差で教えが変わったり分裂したりしたんですね。
でも、個人個人が悟りへの方法が異なるのは普通ですから釈迦は成仏の仕方を定めなかったと思います。


574:肝心要
09/12/16 20:56:45 5Zyp58Zi
>>573 多分としか言えないのですが 釈迦ご自身が直接弟子に向いまして諮問しまして出来てる
出来て無い、つまり最終の審査してから許可を出した筈です。
孫弟子つまり始祖の釈迦から三代目くらい迄は、それがあったらしいのですが。
その後はどのような状態が「成仏した」かが不明になった様子です。
其の後はいたずらに釈迦を超人として、又神としてあがめる対象と化して行くのです。
この上記の説は妄言として捨てられても一向に私としては構いません。

575:神も仏も名無しさん
09/12/16 21:02:26 pyn0C6e3
本居宣長先生はかう仰ってゐる

さとるへき事もなき世をさとらむと 思ふ心そまよひなりける
死ねはみなよみへゆくとはしらすして ほとけの國をねかふおろかさ
佛ふみよめはをかしき事おほみ ひとりわらひもせられけるかな

日本は神國。
ゑびすの佛など何故拜む。


576:肝心要
09/12/16 22:24:14 5Zyp58Zi
>>575 双六なんどと言う遊戯を昔はした物でした。
アレは上がりになって抜けてゆくのでして、負けは最後に残った人です。
これが一つのたとえであります。
神では上がりにならないのです。
何度までも双六をして居なければならないのです。
神とは上古の人なり、先祖の方々ですと宣長大人の申されるとうりです。
神で有る限りは輪廻転生を繰り返し、上がり抜けになることは無いのでした。
たとえそれが何十万年の間隔で転生するとしても涅槃とは言えないのです。
 現世で立派な行いを成し遂げて「霊界に入り神様の地位になった」としても
何時かは転生すると言うのがインド人の宗教上の常識でした。
 釈迦の発見した涅槃の教えは私にはまだ理解できませんが原子物理学の原理を
発見したアインシュタインの地位に釈迦は居ると思っています。
原子爆弾の爆発原理です私は理系に弱いので説明は不可です。

577:神も仏も名無しさん
09/12/16 22:27:19 lC1Gwf5U
>>574
ありがとうございます。

釈迦も弟子を悟りに導いて悟らせなければ、ここまで仏教が広まる筈はありませんね。
後の世の教えの劣化が今の仏教なんですね。
葬式で御金儲けなどしないで、悟りを目指す教えに戻って欲しいです。

578:神も仏も名無しさん
09/12/16 23:33:29 bKvBuTzk
35万請求されたw

579:神も仏も名無しさん
09/12/16 23:39:24 NVj4/yG1
むしろ現代は充実してるでしょ?
所属してるのが、創価学会であろうと大乗であろうと
自らをよりどころとして歩むのが仏教であり
持ってる経典が気に入らないなら個人的にスッタニパータとか
買って読めば良いだけ、悟れないなら自分が悪いのだ。

580:神も仏も名無しさん
09/12/17 04:51:14 E+ve1opy
>>577 戒を守ることってかなりの修行になると思いますが、
それをやりたがらない仏教徒の堕落・怠けがあります。
釈迦「修行すれば悟れます。」
日本信者「修行したくないけど悟りたいんです。」
釈迦「悟りたいなら修行しなさい。修行しかた教えてあげるから。」
日本信者「あ、そうですか。でも修行はいやなんです。」
釈迦「修行しなさい。」
日本信者「話にならねぇなぁ。ぜんぜん悟り方教えてくれないじゃないか!」
釈迦 「修行しかた教えてます。」
日本信者「修行はいいから、悟りを教えてくれって言ってるんだよ!」

581:肝心要
09/12/17 12:48:11 jvnpNwqh
>>580 四分律の現代語訳が面白いのでお読みください。
 人間集団に必然として、ルールが発生しますことが納得できます。
 いろいろな場面で釈迦が弟子を直に叱りつけています。
       
 シュウリハンドクは、修行の始めは愚者であった人ですが、とうとう阿羅漢に
 なったお方でした。
 この人の逸話はよく知られた物と思っていましたが、一読して大事な箇所を
 巧みに省いて語られて居た事が判りました。
 なかなか坊さんも隠蔽が上手なものです。



582:神も仏も名無しさん
09/12/17 20:23:57 aqR1Tfde
輪廻転生がインド人の宗教上の常識であっても、ここは日本。
東アジアには輪廻転生の考え方はない。
輪廻転生をするのなら、物故者の供養自体が無意味であるし、
所謂お盆に先祖を迎えることも不可能。
地球上の生命体の総数は一定であるはず。
現在の日本仏教は、そんな小学生にでも分かる矛盾すら
説明できていない。

死ねば皆、黄泉の国へ行っておしまい。
時々、草葉の陰から私たちを見守り、我々がお呼びした時に
この世に降りてこられる。

大体、位牌なんて神主のパクリだし、輪廻転生を説く仏教に
なんで憑代が必要なのだか?



583:神も仏も名無しさん
09/12/17 20:30:19 aqR1Tfde
拝観料を取らなければ参拝もさせない。
国や自治体からの補助金がなければ伽藍も維持できない。
寺の境内を他宗派の信者に切り売りし、宗派不問の墓地造成。
葬式や法事の法話も、当り障りのない世間話。

日本の伝統仏教の使命は終ってる。


584:肝心要
09/12/17 20:59:38 jvnpNwqh
>>582 輪廻転生と、初期仏典に釈迦が説く<後有を受く>は、ほとんど同一の
 事です。
 これはいささかでも霊的に感知能力を持つと首肯出来るのですが、貴方には
 無理なだけです。(言説不可得と言うと逃げですが、實力が無いものは仕方なし)
 生き物の総数は無量無数に近いではありませんか、貴方のご自分のお腹の中の
 大腸菌の数を考えた子と有りますか?
 よりしろは、大昔の方が慰霊供養のための方便(手法、作法、心の助け)として
 考え出したことです。
 私は其のときに死者のお名前を呼ぶだけですから全く不必要です。
 

585:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/17 21:09:09 7GpmGMAJ
西田無学を知っていますか?
霊友会の源流となった人物です。
彼の功績は、「有難いお経」を「理解し実践できる経典」とした事です。
彼の評価は不当に低いと思います。


586:肝心要
09/12/17 21:22:13 jvnpNwqh
>>585 西田無学さんグーグルで調べました。
   なるほどこれは立派な方です 私見を少し申しますと
   先祖供養というのは環境整備で必要事項、本工事着工に取り掛かれる様に
   する前準備なんですがね。

587:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/17 21:30:18 7GpmGMAJ
彼と彼の後継者は経典を訓訳で読みます。
今の日本で漢語の素養がある人がどれ程いるでしょうか?
訓訳をテキストとした功績は大きい。
ちなみに先祖供養を提唱したのは、霊友会の久保です。
西田は万霊供養です。

588:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/17 21:39:52 7GpmGMAJ
念仏を本来の意義を作為的に唱名にした親鸞。
その影響を受けた日蓮。
何れも仏教としては、異端であり新興です。
西田も同等ではないでしょうか?


589:神も仏も名無しさん
09/12/18 00:56:21 qjRA4fSA
>>580
ありがとうございます。

修行だけでは悟るのは難しいと思います。
悟り自体が何なのか解らないので悟れません。
悟りを開いて成仏したそれなりの師に導いてもらわないと無理かと思います。
過去も含め悟りを開き仏になった人は日本にはいないと思われます。
修行も大切ですが師もとても大切だと思います。

590:神も仏も名無しさん
09/12/18 03:02:41 AVA+6ONz
お経やら念仏は
釈迦にとってはどうでもいいことなのにね。

占いや儀式に囚われてはいけない、何事にも執着してはいけないが
教えだったから、師である釈迦にも頼らず、自らをよりどころとしろとさえ言っている。

591:神も仏も名無しさん
09/12/18 10:17:43 AVA+6ONz
お経やら念仏でも
たとえば般若心境の空など、内的意味である法を学ぶなら良いけど
ただくどくどと唱えるだけならば儀式では悟りに導かれないと
釈迦も説いている。


592:神も仏も名無しさん
09/12/18 10:31:20 AVA+6ONz
釈迦の教えとは
基本的に非常にレベルが高く、出家者メインに法を説いたので
一般大衆向けになりにくい部分があると思うな。

593:析空
09/12/18 10:46:07 P/RFwKrl
>自分が悪い

そのように自分を責めてはいけないとスッタニパータに書かれています。

594:神も仏も名無しさん
09/12/18 11:36:20 fKwx7BhN
>>582
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
仏教の正しい先祖供養―功徳はなぜ廻向できるの? (サンガ新書)

いっけん「自業自得」と矛盾することから、初期仏教にあとから混入した異物 or 土着信仰との習合と貶められてきた「功徳廻向」理論による先祖供養が、
実はパーリ増支部のジャーヌッソーニ経に説かれた由緒正しい仏事作法だったことを論証している。

595:析空
09/12/18 14:38:11 P/RFwKrl
>>594
スッタニパータでは、死者は林に打ち捨てられて「親族もかえりみない」とあるように、釈尊在世のインドでは死者に供養という概念は無かったのでは?

596:肝心要
09/12/18 15:41:47 a9tUOArH
>>595日本では、埋め墓と参り墓、大昔と言っても平安時代の京都では野原に
 放置して置き去りとか一概には言えませんでしたが、先祖の供養はありました。
インドでは衛生上の問題が日本より大きかった様子で、荼毘、水葬、土葬など
死体の処理は早めに行ったようです。
 さてインド人の先祖の祭祀です。
お釈迦様の男弟子が夏安居でしたか失念しましたが、里帰りをしたときに両親から
こういわれました「我が家は、跡継ぎには男がお前しかいないからこの先には
先祖の祭祀が絶える、よってお前が今家に居るから子供を作れそれは出来るだろう」
息子が答えて曰く「いと易き事なり」
それで目出度くも交わった女が妊娠したのでした。
が然し其のことが出家として正しかったのか、慙愧の念にとらわれたこの修行者が釈迦に
打ち明けて呵責される件が有ります。
これで一つ戒律の文が増したわけです。

故に死んだ先祖「死者」の供養(プージャ)をするのは当然過ぎることでした。


597:創価学会は
09/12/18 15:44:35 V0xFHtBf
非 学会員に対して 踏みつけ同然

598:神も仏も名無しさん
09/12/18 18:36:28 a9tUOArH
>>597全く意味不明

599:神も仏も名無しさん
09/12/18 23:06:31 qjRA4fSA
位牌は神道からでは無いと思います。
儒教からではないかと思いますが。

600:肝心要
09/12/19 00:02:01 a9tUOArH
位牌は室町時代の始め位に<雲付き型霊牌儒教式>のものが禅宗寺院に現存している。
亡者の供養は弘法大師が筑紫に滞在していた頃に御自身の記録が在る。
これは依頼した施主の名前も残っているものだ 多分アルバイト的な法要だろう。



601:前世は一在家
09/12/19 14:50:58 iTe0Nt8L
>>595 析空氏
>スッタニパータでは、死者は林に打ち捨てられて「親族もかえりみない」と
>あるように、釈尊在世のインドでは死者に供養という概念は無かったのでは?

横レスで失礼します。

春秋社「長部経典Ⅲ」には第24経から第34経までが収められており、
第31経の「善生経」では、釈尊は比丘たちに対して、
「また祖霊に対して適当な時々に供養を捧げよう」と子の父母に
対する奉仕を説かれております。

現代日本の仏壇や位牌を通しての供養のルーツかも知れませんね。


602:析空
09/12/20 13:20:44 PlLmW/Dt
>>596
>>601
先祖供養(祈祷)については、増谷文雄訳 相応部経典に、湖に沈んだ大石はいくら祈っても浮かばないという例えで、供養は不可能という話があります。

「佐倉哲」「相応部経典42.6」でググってください。

つまり、原始経典中に【供養可能】と【供養不可能】というまったく反する教えが説かれていることになります。

603:神も仏も名無しさん
09/12/20 15:55:21 WBAkiAQp
テーラワーダなどをありがたっているのは、
ただの原理主義。

テーラワーダ系の本読むと「お釈迦様がこう言ってるんだから正しい!」
「大乗の教義はお釈迦様の言葉と違うから間違ってる」
なんて山ほど書いてるけど、そんなの思考放棄そのもの。

自分で考えることを止めて、それが本当に仏教の精神か?

その思考停止から脱却して果敢に真理の追究をし続ける大乗こそ釈尊の精神と合致するだろう。

そもそもテーラワーダの仏典はどこまで本当に釈尊の言葉かも怪しい。

日本の仏教はこれからも、大乗でなければならない。

604:神も仏も名無しさん
09/12/20 19:05:17 iKMKWirD
>>603
途中まではいいんだが、最後の一行で飛躍しすぎw

大乗仏教などをありがたっているのは、
ただの現状肯定主義。
大乗系の本読むと「慈悲の精神あふれる大乗は素晴らしい!」
なんて山ほど書いてるけど、そんなの思考放棄そのもの。
大乗の精神をいかに現実の社会に適応していくかについてがまったくかかれていない。
自分で考えることを止めて、それが本当に仏教の精神か?
その思考停止から脱却して果敢に真理の追究をし続ける事こそ釈尊の精神と合致するだろう。

現在の日本においては、大乗でもテーラワーダでもない、新しい仏教が求められている。

605:603
09/12/20 21:38:15 WBAkiAQp
>>604
いや、俺も現状の大乗仏教をそのまま肯定する訳ではないよ
ただ、新しい仏教は大乗の精神を継承した物になると思う。

606:神も仏も名無しさん
09/12/20 22:34:01 0rd7PkeM
日本の仏教は実質的には在家仏教になってしまった。
特に、僧侶の結婚・飲酒。

607:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/20 22:42:30 NbzYGm2z
真宗は元々在家だし、これからの日本仏教を考える点での前提として、
①大乗仏教
②在家
③仏教学の排除

以上が、宗教として日本仏教が存続するキーワードだと思うよ。

そうでないと、習俗としての葬式仏教と観光仏教、文化財仏教。
それに趣味人の哲学仏教という現状は打破できないよ。

608:肝心要
09/12/21 02:06:35 LX0c7IZj
>>607
1、今更と言うのも何でしょうが、大乗精神、来るものは拒まず、去るものは
  追わず 道を知りたいものはここに来て学び体得せよならば納得です。
2、在家、出家、無軌道人間、アノミーにいたるまで仏道発心させる何かがあったら
  納得しましょう。
3、教と学が円満してまさに行の基になるような仏教学なら納得、所謂宗派の学門
  のみでは現代人の知性を満たすことは出来ない。
私事になります,観法と瞑想、毎日短い「15分程度の勤行」を行っていた頃
の体験になります事を少々語ることにします。
毎日一定の事を繰り返すのですが、修観中に心の奥から様々雑多な記憶やら妄想が
止めどなく沸き起こります。
これが私の人間性の苦しみと弱点でも有ることだと気が付き、妄想とガップリ組み合ってみたのです。
解く努力の結果は心のゴミ掃除に相当に成功しました。
妄想 妄心の取り扱いこれは禅宗の師家が堅く戒めるところで在りまして、間違うと発狂すると言う
事です。
暫くの間、自己が奇妙な妄想の虜のようになるのですが、これを意識的に引き起こせるようになれば
それは面白いものでした。
本当に幼児期,胎内、他人の心、前世かもしれないな?等とバラエテイに富んだものでした。
これを丹念にやり続けます。
すると有る日大きな障害が取れる段階に至って、気がつくと供養法がそれなりに自然と
出来るようになっていました。
 <心のゴミが取り除かれると体力が増強する現象が
 現れます。これは思いがけぬ利益でした>数息観、密教のアジカン。などの 
観法テキストは必要条件を満たせと記入されていますが其の前に深い心のゴミ掃除が
大事です、殆どゴミ掃除も出来ぬのが今のお寺の修行体系になっているようです。

609:析空
09/12/21 11:54:59 M3Llwair
大乗仏教の問題点は何と言っても【本覚思想】でしょう。
「衆生が、そのまま仏である」という、訳の分からない思想です。

610:神も仏も名無しさん
09/12/21 12:53:40 Dnl7w7Wr
悟る可能性が誰にでもある、という程度ならわかりますが。
四諦を無視したら仏教じゃなくなる。

611:神も仏も名無しさん
09/12/21 14:32:09 kUibZAeU
>>609
衆生以外に仏を認める「根拠」は一体何かね。単なる「独りよがり」ではないか。

真如としての「衆生心」に思い至ったのが、大乗仏教による釈迦佛教のコペルニクス的転回であり、
釈迦佛教の根本的誤りを訂正したものである。

「真理」とは、「すべての人間、すべての事物に通用する原理」をいう。その意味で、釈迦佛教
には、真理は存在しない。

612:神も仏も名無しさん
09/12/21 18:12:30 3/mJ8Fkh
タイとか、テレビ見てたら
一般人も瞑想したりしてたな。

ともあれ、瞑想や心の観察をしないで
仏教を学びたいなら、父母を大切にしろとか
当たり前の道徳部分をメインに学ぶのがいいと思うな
これは聖書にも言える。

613:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/21 20:03:16 cTnMafJb
>>609
本覚論は「気付き」に意義があると思います。

614:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/21 20:05:57 cTnMafJb
>>612
道徳だけなら宗教にならない。
聖書は道徳部分を通して読むと誤解しますよ。

615:析空
09/12/21 21:11:46 M3Llwair
>>611
>>609
>衆生以外に仏を認める「根拠」は一体何かね。単なる「独りよがり」ではないか。
→「衆生以外に仏を認める」?
→いやいや、そんな話はしていません。
→覚った人が仏であって、覚っていない人を衆生というのですよ。
→こんな当たり前のことが、大乗仏教だと意味不明の【衆生も仏も無い】=【本覚思想】になってしまう。
>真如としての「衆生心」に思い至ったのが、大乗仏教による釈迦佛教のコペルニクス的転回であり、
→「衆生心」は縁起性ではないのですか?

>釈迦佛教の根本的誤りを訂正したものである。
→根本的誤りとは何ですか?

>「真理」とは、「すべての人間、すべての事物に通用する原理」をいう。
>その意味で、釈迦佛教には、真理は存在しない。
→釈尊の仏教に無いなら、大乗にある訳ないですね。→「釈尊の仏教に帰れ」が、大乗の基本では?

616:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/21 21:30:40 cTnMafJb
釈尊の仏教?
それは大乗でも、今求められてはいないでしょう。

難解な教学より、心の平安、拠り所を求めているんじゃないですか?

経典を現代訳で読み、日々の生活の中で生かす事
功徳や利益。後生を信じる事

頭でっかちでなく等身大の生きた仏教が求められていると思います。

617:肝心要
09/12/22 01:32:13 v1Rd7/Zn
>>616私どもの行っていることは、貴君の理想をほぼ満たしているようです
 此れはこれで釈尊在世の佛教にきわめて近いと思っています。
 心の平安は得ましたから次に行くべき所存です。
 心の平安を求めて得ようとするならば「各人の性格と心理に応じた修行」は
 必ず有るべきですし 其の方法も示すべきでしょう。
 
 

618:神も仏も名無しさん
09/12/22 03:56:03 Y7mKRWrx
私度僧、うばそくうばいの復権
肉食厳禁
現代の学校教育、学問への異議
私塾興隆

619:析空
09/12/22 06:40:42 VFUbTNDT
>>616
>釈尊の仏教?
>それは大乗でも、今求められてはいないでしょう。
→元々は、説一切有部が釈尊の仏教から掛け離れたために、釈尊の仏教を復興しようとして、大乗仏教が生まれました。
→しかし、その大乗仏教も時代が下るにつれて、また釈尊の仏教から離れてしまいました。
→それで、今は釈尊の仏教を求めていないと?
→それは言い過ぎでしょう。

>難解な教学より、心の平安、拠り所を求めているんじゃないですか?
→それは、その通りでしょうね。
→今は大乗仏教も難解な宗学を整えていますよね。

>経典を現代訳で読み、日々の生活の中で生かす事
>功徳や利益。後生を信じる事
→細かなところは疑問もありますが、おおむねその通りだと思います。

>頭でっかちでなく等身大の生きた仏教が求められていると思います。
→それこそが、一般に「釈尊の仏教」のことですね。

620:析空
09/12/22 06:52:57 VFUbTNDT
経典の現代語訳については、おおむね賛成しますが、現代語にする場合、訳者によって元の意味がガラリと変わります。

最近出版された、【「仏陀語録」オリジナル 島田裕巳著】と、【仏陀のことば 中村元著】を比べて見ると、かなりの相違が見られます。
一部の文章など、意味が違っています。
読み比べて見ると、なかなか勉強になりますが、やはり【原典に当たるべき】と感じます。

621:析空
09/12/22 07:15:40 VFUbTNDT
6 内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世をともに捨て去る。 ー 蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。(仏陀のことば)

6 怒りをなくし、来世にどんな存在に生まれ変わろうとも、それに頓着しなくなった修行者は、蛇が脱皮して古い皮を脱ぎ捨てるように、この世もあの世も捨て去っていく。(仏陀語録)

622:神も仏も名無しさん
09/12/22 08:55:36 HGRRJuym
>>614
聖書こそ道徳を重んじてる
それが律法、イエスはその律法を完成させたのですが
完成された福音の実践によってのみ祝福が与えられる。
それは瞑想を実践することでしか、釈迦の教えが理解できないのと同じ

それらは書物からは得られない知識、だから聖書での道徳こそ基本

623:神も仏も名無しさん
09/12/22 09:08:14 HGRRJuym
釈迦の教えを一般大衆化するのが、そもそも無理があるのだと思う。
スッタニパータを読んでごらん、下手な住職でも逃げ出すくらいの苦行を説いてる。

しかし釈迦の教えからニルヴァーナを無くすなら、道徳部分しか残らない。
だから聖書でもそうだが、福音の実践や瞑想をやりたくないなら道徳でもいいのかも知れない。

霊性の低いものが涅槃がどうとか、復活がどうとか下手に興味持つから変なことになるわけで
瞑想とかをやりたくないなら道徳でもいい。

624:神も仏も名無しさん
09/12/22 09:12:42 HGRRJuym
神や仏を信じてる
イエスや釈迦や昔の立派な人が説いた道徳でも良い。

625:神も仏も名無しさん
09/12/22 09:18:04 HGRRJuym
仕事中でも、心の観察とか
したいなら別だけど、普通の一般人は
そこまで熱心でもないだろうし

626:神も仏も名無しさん
09/12/22 12:34:22 82Z7fE8t
>>622
>イエスはその律法を完成させたのですが

「律法を完成させる」とは、「律法が不完全である」ことを意味する。律法は、
創造主が創った法のはずである。イエスは、何様の積りなのか。

627:神も仏も名無しさん
09/12/22 14:27:25 HGRRJuym
>>626
いや、だから道徳でいいと
言ってる訳なんだが、福音を実践しないキリスト教とか
ニルヴァーナを求めない仏教は、神仏を信じるだけの道徳でいい。
難しくする意味がわからない、道徳ならイエスが架空の人物であるとか
聖書に深い意味を求める意味も無くなる。

628:析空
09/12/22 14:52:28 VFUbTNDT
>>623
前にも同じ質問をしたとおもいますが。
スッタニパータに書かれているという【苦行】とは、何ですか?

そんなものは、書かれていないとおもいますが?

629:神も仏も名無しさん
09/12/22 15:06:51 HGRRJuym
>>628
苦行と言うか、特に心の節制
生きていくうえでの不動心は
それくらいに難しいと思いますけど
これが苦行で無いと思うならば、たいしたものですね。

630:神も仏も名無しさん
09/12/22 15:17:47 HGRRJuym
まあ、確かに高野山で修行してる僧から
見たら苦行では無いかも知れない。

しかしスッタニパータの場合は
行為でなく不動心のような心を鍛えろと言ってるから
これが出来るようで、やってみたら難しいとは思うけど

631:神も仏も名無しさん
09/12/22 16:03:57 5etwD6eb
>624
>神や仏を信じてる
>イエスや釈迦や昔の立派な人が説いた道徳でも良い。

宗教は、「人間にあらざる」神や仏と人間との関係。道徳とは、「人間同士」の共生の技術。
従って、宗教と道徳とは本質的に異なる。たとえ、一部共通しているところがあったと
しても、それは単なる偶然の一致。宗教は、道徳の基盤にはなり得ない。それどころか、すべての
宗教は、反社会的・反人間的である。史上そして現代における、宗教の信者同士の殺し合いや争いを見よ。


632:析空
09/12/22 17:53:58 VFUbTNDT
>>629
なるほど、そういうことであれば、「苦行」という表現は適切ではないようです。
どちらかといえば「難行」でしょうか。これもあまりしっくりとはしませんね。
結局は「難しい」などと考えずに努力の積み重ねしかないということでは?

633:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/22 18:10:02 tBGokePc
原始仏教っていうか、釈尊の言葉に拘ると大衆から解離した、
学問仏教になるのでは?
大乗経典に立ち返るので十分だと思います。
煩雑な宗学は無視して、自由に読めばいい。

634:神も仏も名無しさん
09/12/22 19:56:23 HGRRJuym
>>631
福音の実践で神の国は近付くのがイエスの教え
瞑想の実践や不動心でニルヴァーナに近付くのが釈迦の教え

瞑想や福音の実践を行わないのであれば
神の国やニルヴァーナは遠いわけだから、不可知な事柄はいっそ排除しても良いと思う。
現実的な道徳や忍耐、神仏を信じるのも大地の恵みや死後の魂を信じて、安らぎを得るだけでも良い。

635:神も仏も名無しさん
09/12/22 19:59:17 HGRRJuym
>>632
まあ、そういったことになりますね。
悟りを開いた、解脱した僧侶など
めったやたらに居ない以上、そのようになりますね。

636:神も仏も名無しさん
09/12/22 20:04:37 HGRRJuym
>>633
瞑想とかやりたくもないのに
仏教に関心を持つのが、そもそも
おかしいのですよ、だからこそ涅槃や生まれ変わりとか
不可知な事柄はまとめて排除して、釈迦の教えの中から
現実的な忍耐力や道徳部分など、万人に理解できる範囲で
経典を読むほうが無難ではあると思いますね。

637:神も仏も名無しさん
09/12/22 20:33:56 HGRRJuym
山上の説教やスッタニパータで
かなりハッキリ救いに至る方法を
イエスも釈迦も提示してますからね。

こういった実践をやりたくないのなら、私は断見ではありませんけど
自然と唯物よりな信仰にならざるを得ませんね。救いが遠いのを承知で
世俗的な仏教やキリスト教を学んでいる訳ですから
当然祝福もそういった人には少なめになるはずです。

638:神も仏も名無しさん
09/12/22 20:45:58 HGRRJuym
カルトになるのは、楽して救われたいエゴの願望があるからだと思いますね。
聖書を読むと、山上の説教がパウロの手紙、黙示録になる頃には
すっかりこうなったら良いといった願望に変ってますから、大乗も似たような進化をとげてますね。

639:肝心要
09/12/22 23:29:23 v1Rd7/Zn
苦という事についての実例報告、これも10人十色と言うもの
山梨県で有名な寒中荒行で知られる修行寺院が有る。
ここでの修行中に先達から当日一つのお達しがあったそうで。
「ここに桶が一つ有る、これに井戸から水を汲んで一杯にするものはいるか
出来るなと思うものが居たら前に出てきなさい、但しそれに使う汲み桶には
底がない、人間の一念が何をなせるかを知るこれも修行です」
「ハイ、私がやります」と言って出て来た彼はおよそ1日掛けて ひとしずく ずつ
汲んで桶を満たしたそうだ、手の皮が向けしまいに肉が出てきたとか。
やり遂げた僧侶の彼は、故郷に還ってから町のはずれに小さな寺を持った。
何年か経過して、生命保険の業務も手がけるようになった頃に
女遊びを覚えて仕舞い、寺も信用も何もかも棒に振ると言う状態に成ったとか。
 彼にとって、手の皮がすっかり向けてしまうくらいの事は「苦行」ではなかった。
女遊びを止めることが本当の「苦行」だった訳で、前もって彼に合った修行を授ける
人が居なかった。
彼には女遊びという心癖を掃除するための指導が必要だったのだが(運が悪いため)に
出会えなかった。
修行と言いつつ現実はかくも凄まじいものだと言う実例。

640:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/22 23:57:43 tBGokePc
>>634
福音の実践という言葉は無いです。

このスレで他宗教を比較の対象とするなら、誤解をされたまま、レスされないよう、
慎重になさってください。

それから、どうもスレの趣旨から外れてきていないですか?


641:神も仏も名無しさん
09/12/23 10:57:46 WGyF8Jum
>>640
マタイ7、24
「家と土台」で聞いたことを行うようにと
イエス・キリストは言われました。

それと福音の実践とは、正しくは福音書の言葉を文字通りに実践することです。

カトリックの聖人アッシジのフランチェスコはこれらを徹底して
イエス・キリストと同じ受難を乗り越えた証しである聖痕を身体に授かりました。

山上の説教部分などは、スッタニパータと同じく
おそらく最古の部分でしょうから、原型に近いイエスの言葉であろうと
思われますし、

聖痕など神の奇跡が示すことは、福音書の言葉どおりに神の国は誰でも入れない
実に狭いという事実ですね。


642:神も仏も名無しさん
09/12/23 11:03:19 WGyF8Jum
>>639
そうですね、苦行の行為というよりも
心や想念のありようを戒める内面の修行ですよね。
それが難しいのは確実ですけど

643:神も仏も名無しさん
09/12/23 11:19:57 WGyF8Jum
>>640
釈迦のもともとの教えから
照らし合わさないと
方向性が定まらないと思いますけどね。

日本仏教とか全体を包括するなら、実に膨大になります。

644:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/23 23:19:49 c9sqDCtx
ここも原始仏教志向ですか。
どうも違和感があった。


645:肝心要
09/12/24 03:11:13 KOVSQ5xw
>>644 原始佛教志向と言うも、宗教の復興を目指すときには必然的に開祖、宗祖の
原点に立ち戻る動きがでてくる、完全に復興するなど当然それは在りえないものだ。
然し時代を隔てながらも釈迦自身が目指した事を腑分け、解剖して見るならば
最初に釈迦個人の苦悶を解決する為の方法を追求した過程が見えてくる筈だ。
それが私たち現代人の苦悩解決するための方法と一致するならばもっと研究するべき。
釈迦ご自身は苦行で殆どの悩みを克服したらしい そして まとめとして長い時間の
瞑想と定に突入して涅槃を得た。
 注、私自身は現物主義の立場で考えています。
   生きている私の問題を解決できないものを研究しても無駄です。
   

646:神も仏も名無しさん
09/12/24 03:37:04 Wz9FaFrd
>>645
王子として、何不自由なく贅沢三昧に暮らした釈迦の「苦悩」など、
単なる自己中心主義、我がまま、または鬱病という精神病の症状。

この世には、もっと苦しい人々が無数にいるが、苦と真正面から
立ち向かい、闘い、そななかに大きな喜びもまた見出している。
釈迦のように、苦をすり替え、逃避することによっては、他者の苦
を理解、共感する能力の向上、即ち人間の成長はない。

苦があるからこそ、喜びが存在し得る。苦の無い世界は、涅槃ではなく、
地獄である。いい加減で悟れ。

647:セブン
09/12/24 03:41:22 BEDG00Tf
>>646が書き込まれたんで、バランスを取るために投下。

>>645
不本意ながら、ほぼ同意。

法(≒おしえ)とは、そのように【利用し続け得るもの】であるべきだと思っている。
釈尊の教えは、時代や環境がどう変わろうとも、
ヒトがヒトとして生きざるを得ず、且つ「ヒトであるだけでなく人であらねばならない」ならば、
参照し、望むならば追従し得る在り方(≒生き方)の一例を提示したものと言える。

それを、どう読み、どう受け留め、どう受け入れるか、は個々のスタンスに委ねられる。
が、少なくとも、ゴールでなくとも、その途上の在り方でさえも、
他の世界観よりは、有意義で魅力的だと思う。

648:神も仏も名無しさん
09/12/24 04:14:03 Wz9FaFrd
>>647
君の洗脳状態は、他のカルト連中よりも特に深いと思われる。

649:神も仏も名無しさん
09/12/24 08:02:24 91tiUagy
>>646 悩み苦しみを感じないなら地獄とはいえない。


650:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 08:14:01 Tpq4sGYY
>>645
釈迦までもどれないでしょう。
僅かに残るおそらく釈迦の言葉だろう。レベルを、どう体系化する。
大乗と称しながら、大乗仏典否定?
まず自分のたち位置を明確にしないといけません。

651:神も仏も名無しさん
09/12/24 09:32:53 AoNQEKTg
ひとくくりに大乗といいますけど
その範囲は膨大でピンからキリまでありますから


652:神も仏も名無しさん
09/12/24 09:42:58 AoNQEKTg
釈迦は自らをよりどころとして歩めといったんですよ。

瞑想したくないけど、仏教を学びたい

心の安らぎを求めて禅を学びたい

どちらの人にも大乗は答えてくれますから
後はその人次第でしょうね。

そもそも我々という視点が、仏教的ではない、仏教は私なんですよ。

653:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 10:02:29 Tpq4sGYY
>>651
ピンキリ?それは宗派の事言ってるのですか?
だから原始仏教から始めると
壮大な計画ですねぇ

654:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 10:05:15 Tpq4sGYY
三宝も否定ですか?
どうやって大乗として他者を救済する?
私だけなら大乗ではありません。

655:神も仏も名無しさん
09/12/24 10:17:52 U51GdsNA
>>649
苦の無い世界には、喜びもないから、同様に地獄である。従って、涅槃とは、
地獄の別名である。

656:神も仏も名無しさん
09/12/24 11:09:57 TsTOttTx
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

657:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 11:39:50 Tpq4sGYY
>>656

> 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

その祈願の対象は何ですか?
また祈願が有効であるとする根拠はなんでしょう?

658:析空
09/12/24 11:54:55 BFeXX+//
>>644
「原始仏教指向」に何か問題点でもありますか?

659:神も仏も名無しさん
09/12/24 12:01:10 +IBvGdOJ
対象は、自分とそれを取り巻く生命すべてです。単なる祈願ではなく、こうしたイメージを常にもつ事で自分の中に安定と調和が生まれます。


660:神も仏も名無しさん
09/12/24 12:12:45 MeVO+rFG
>>658
原始仏教は、専ら「自己中心主義」の思想。「人間は独りでは生きられず、
先人を含む無数の他者の『行為』によって『生かされている』」という
事実に思い至っていない。

共同体においては、個人が心中で何を考えようとも、他者の知ったこと
ではない。問題になるのは、他者に対する「行為」のみである。

原始仏教は、他者の存在を忘れた精神的オナニーに過ぎない。オナニー
は、人前ではなく、隠れてやるものであり、共同体にとってはクソの役
にも立たないことを自覚すべし。

661:神も仏も名無しさん
09/12/24 12:30:55 +IBvGdOJ
自己中心と言われたらそうかも知れません。幸せを感じるのも自分だし修行し成長するのも自分です。自らの幸せを求めるからこそ、あらゆる生命も自らの幸せを求めてると理解できます。
優しさは、他を害さない態度であり おせっかいや恩着せがましいものとは違います。


662:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 12:42:41 Tpq4sGYY
>>658

>>644
> 「原始仏教指向」に何か問題点でもありますか?

大乗じゃないから、スレ違いです。

663:神も仏も名無しさん
09/12/24 12:46:34 91tiUagy
>>655 眼耳鼻舌身意・色声香味触法の一切の現象が苦です。
苦が滅びるときには、眼耳鼻舌身意・色声香味触法も滅びる。
ですから、地獄も何もありません。
滅びる、消えてなくなっておしまい。

664:神も仏も名無しさん
09/12/24 12:53:16 +IBvGdOJ
デタラメばっか。もう勝手にせいや。

665:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 12:59:17 Tpq4sGYY
>>659
それ仏教なんですか?


666:神も仏も名無しさん
09/12/24 13:06:51 +IBvGdOJ
慈悲の瞑想と言われます。知恵だけでは不十分で慈悲を育むものとして存在します。

667:神も仏も名無しさん
09/12/24 13:11:37 uFdgotFo
>>661
人間界は共同体だから、他者の幸せなしでは、充実した自己の幸せは
ありえない。

「人間の成長」とは、「他者の苦楽を理解し、共感しうる能力の向上」
をいう。

いずれも、「自分の輪廻からの解脱」という「恐怖」と「我欲」に基づく
原始仏教からは、絶対に得られない。そこには「我執」のみで、「他者」
の姿はどこにもないからである。

668:神も仏も名無しさん
09/12/24 13:18:34 +IBvGdOJ
他者を幸せにしたいなら、まず自分が幸せになりなさい。
他者を解脱に導きたいならまず自分が解脱しなければなりません。



669:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 13:23:52 Tpq4sGYY
>>668
やっぱり大乗じゃあないですね。

大乗は「先度他」ですから。

670:神も仏も名無しさん
09/12/24 13:28:50 +IBvGdOJ
自己満足やおせっかいとは違います。

671:肝心要
09/12/24 14:25:16 KOVSQ5xw
>>669 先度他ですか、貴方が迷える衆生の誰かをどこかに渡すのですね。
  佛教をまず論じているのですから、涅槃の地だろうと思います。
  多分貴方は優秀なコーチ役が出来る筈です。注コーチとは運び役の意味
  どこかの男に(この俺を渡してみろよ)って言われたらどうしますか?
  理想と現実の違いは ほれこのとうりです。
  渡す場所を知悉しているのは涅槃を得た人です。
  生死に関わらず渡すが故に田や畑を作らずして、この人は供養を受ける資格を持つ
  のです。

672:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 14:51:54 Tpq4sGYY
>>671

他者を救うという行為自体が発菩提心なんですがね。
救うと言うのがおこがましいなら、同苦でも

解脱と成仏の区別が曖昧ではないですか?

673:析空
09/12/24 15:11:41 BFeXX+//
>>660
いやいや、その認識は、一般的な釈尊の仏教ではなく、釈尊滅後、およそ300年ころの仏教の話ではありませんか?

個人主義というより、まず【自己の完成】を成し遂げ、他人に関わるのは、それからではありませんか?

それをしないのが大乗ですよね。

674:析空
09/12/24 15:30:53 BFeXX+//
>>662
大乗でなければスレ違いではなく、日本の仏教が大乗だから「このままで良いのか」と問題になっているのですよ。

このスレを建てた人は、大乗より原始仏教に価値を認めています。

675:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 15:45:29 Tpq4sGYY
>>674
大乗の全否定ではないでしょう。
日本の仏教史を否定し現在を否定することになりますが、
あなたは具体的なビジョンをお持ちでしょうか?

676:肝心要
09/12/24 16:33:28 KOVSQ5xw
>>672 物事には順番が有ると思います。
 一人の人間が菩提心を起こしそれを得た境涯、涅槃を得るつまり成仏です。
 これで得た仏の悟りの慈悲を衆生の求めに応じて施す。
 仏が菩提心を得た境涯を一般衆生が見聞して,吾もまた得ようとする心を起こす。
 この次第になると思います。
 解脱と言うも煩悩、随眠 各人持分それぞれで有りますが苦行を行わずにはなんとも
 なりません。
 自己の深層意識の発見やトラウマは瞑想により掘り起こし、解消 和解 開放します。
 気長な作業になりますが精神分析や精神科の行動療法の知識が必要です。

ここまで書いて思うことは大乗佛教は一名表題佛教です。
一切衆生悉有仏性、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、皆となえごとをして
事たれりとしているようです。
 学校の生徒が教科書を南無英語、南無数学と科目名ばかり言い立てて
 身につくものは無いと言えば例えとしてはきついようですがそんなものでしょう。
 

677:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 17:13:10 Tpq4sGYY
>>676

あなたは大乗仏典を読まれた事がありますか。

題目や念仏に至った祖師の思想。その時代背景を思えば、
そんな浅はかな事はレスしないでしよう。
今は経典をみなが読める時代です。

678:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 17:20:52 Tpq4sGYY
精神療法としては、森田式が有名です。

とても優れたものですが宗教ではありません。
あなたの思想は哲学でしょうか?宗教でしょうか?

679:析空
09/12/24 18:42:30 BFeXX+//
>>675
具体的には四諦・八正道ですね。

「犀の角のように、一人歩め」ですよ。

そしてときどき「本覚思想」は間違っていると指摘する位でしょうか。

680:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 18:49:53 Tpq4sGYY
>>679

>>675
> 具体的には四諦・八正道ですね。

> 「犀の角のように、一人歩め」ですよ。

> そしてときどき「本覚思想」は間違っていると指摘する位でしょうか。


今時、天台本覚論を支持する宗派なり個人は居ないでしよう。

681:神も仏も名無しさん
09/12/24 20:03:04 yZAn04+s
>>679
「四諦・八正道」は間違ってはいないのかね。今時、いや歴史を通じて、苦を
それほど苦と感じるのは、鬱病患者だけ。すべての健常者は、苦の中に喜びも
見出している。

その「四諦・八正道」も批判できなければ、「犀の角のように、一人で」歩ん
でいることにはならない。

682:神も仏も名無しさん
09/12/24 20:04:47 AoNQEKTg
>>654
聖書での印刷技術による
宗教革命は、仏教にも起こりました。
個人的にそう思います。

現代では大乗の僧も原始仏典を読む時代
万人救済は文明の進歩により成し遂げられたのですから
瞑想などニルヴァーナを求める努力を
その上で無視するならば、それは仏教に似ているだけの
釈迦を離れた似て非なるものであると思いますけどね。

683:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 20:10:15 Tpq4sGYY
>>682

天台は止観、禅宗はもちろん禅
他の宗派も三昧を実践している。



684:神も仏も名無しさん
09/12/24 20:17:47 AoNQEKTg
>>683
もちろん
大乗と言っても、ひとくくりにするのが間違い
ピンキリあるし、その範囲は膨大
ただ現代では大乗発祥当時とは訳が違う
小乗、大乗の垣根は無いに等しい。

685:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/24 20:24:23 Tpq4sGYY
>>684

何がしたいのかわからなくなってきました。
今までの日本仏教というインフラを破壊するのか?
改革するのか?
新興宗教を創設するのか?

686:神も仏も名無しさん
09/12/24 20:35:58 yZAn04+s
>>684
>小乗、大乗の垣根は無いに等しい。

果たしてそうか?竜樹前後では、佛教は根本的に異なっていると思うが。

奈良氏は、いみじくも、「両者は異なった宗教」と述べている。

小乗は、開祖盲信、原始仏典盲信の、自己中心的カルト宗教に過ぎない。
思想的に、それ以外のものは見当たらない。

印刷術の普及による、ルターの「聖書のみ、信仰のみ」の宗教改革が、
一体何をもたらしたか。現代まで続く、新旧両派間の「血を血で洗う」
争いだけではないか。

687:神も仏も名無しさん
09/12/24 20:38:56 AoNQEKTg
>>685
スッタニパータで
私の真理は正しい、あなたの真理は間違ってるなどの
議論を釈迦はかなり嫌ってますからね。
それと他人をよりどころとしないでと、死の間際でも語ってましたから
大乗の万人救済は、現代の印刷技術で成し遂げられたのであって
もはや過去の遺物なのではないでしょうか?
信仰の自由とも、このような考え方のほうが合致するように思いますね。


688:神も仏も名無しさん
09/12/24 20:41:26 AoNQEKTg
>>686
もちろんその気があればですよ。
現代では原始仏典も簡単に揃えれますし、空海の時代のように
危険な旅をしなくとも、インドに渡れます。

689:神も仏も名無しさん
09/12/24 20:46:29 AoNQEKTg
もちろん現代に釈迦が居るなら
教え方は変っていたかも知れませんが
基本的に、世俗を断った修行僧相手の法が仏教であり
「仏教に拘る」のなら、その教えを遵守する必要があります。



690:神も仏も名無しさん
09/12/24 21:05:46 yZAn04+s
>>689
日本の圧倒的多数の佛教信者は「在家信者」なのだから、「世俗を絶った
修行僧相手の法」などは不適当。日本の仏教徒は、「世俗の生活」の中で、
佛教を生かしている。つまり、苦をいたずらに苦にすることなく、よりよく
「生きる」ための宗教としてである。

その意味で、日本の宗教は、葬式仏教としてであっても、その「社会的機能」
を果たしている。

何よりも「開祖と経典盲信のカルト」である原始仏教の進入は、絶対に防がな
ければならない。歴史を通じて大乗仏教に培われた日本人の精神と文化が、
破壊される恐れが極めて大きい。

691:神も仏も名無しさん
09/12/24 21:14:35 yZAn04+s
ダニヤは、釈迦によって洗脳され、入信した後は、彼の平和な家庭は一変した
であろう。釈迦は、ダニヤばかりか、その家族の人生まで破壊したので
ある。「大雨が降ってきた」だの、洗脳のための背景まで、ちゃんと設定
されている。

ダニヤの章のみでも、スッタニパータが、人間にとって有害な、発禁処
分にすべき悪書であることが、明らかである。

692:肝心要
09/12/24 21:29:03 KOVSQ5xw
>>678唯識は、認識論と心理分析を基調にしています。
  佛教心理学と言うべきでしょう、参考文献になるものは遠慮なく使うべし。
  ヨガの整体体操とて長時間の座には必要ですがこれも一助です。
>>685インフラとは寺院の設備のことですね。
   先日ヤット建築したばかりの建築物をみて、形有るものは必ず滅す
   等と言うのも大人気ないから口はつぐみます。
   縁が無い私も貴方も関係ないですよ。
>>689 釈迦は在家の信者にも丁寧に指導しています。
   ただ布施のみをばかりとは言っていません。
   修行の深浅は有りますがね。
   出典の場所は忘れましたからもう詳細は不明です。

693:神も仏も名無しさん
09/12/24 21:46:01 yZAn04+s
「大乗仏教に至ると積極的に仏の境涯や仏国土が説きだされるようになり、
煩悩も苦も悟りも無自生・空であって固定性をもたないという見方が基準
となったため、煩悩即菩提、娑婆即寂光といった言葉も生まれた。そこで
苦が最大の関心事ではなくなり、大乗の涅槃経では、仏は「常楽我浄」と
して逆に「楽」が強調されている。こうして苦を中心課題とした四諦説も
小乗の教えとして次第に顧みられなくなり、中国や日本の仏教ではさらに
現実肯定的な傾向が強くなって、苦という言葉の比重も軽くなったと
いうことができる。」(岩波佛教辞典)

大乗によって、釈迦の「病的心理」からようやく解放されたのである。
これは佛教の巨大な進歩といわざるを得ない。

694:肝心要
09/12/24 23:10:39 KOVSQ5xw
>>693 随分以前になるが、僧侶方が釈迦仏よりも自分のところの開祖,宗祖を
尊んでいると大いに憤慨している人物に出合った事が在った。
釈迦あっての佛教なのに何ゆえ?と言うがこれは最もなことである。
 さて貴方は全く苦しんだことが無い幸せな好人物です。
 今後の人生を道徳を論じるがごとくに思いのままに歩めばよろしい。
 先に私が書き込んだ、問題を抱えて自分の寺を波乱してしまった僧侶の精神の苦痛
 を貴方は、多分「病的な男だなあ」などと言う感想で思考停止してから改めて
 己の信奉する大乗精神の発展経過にうっとりと満足するのでしょう。
「判っちゃ居るけど止められない人物」道徳や教育で抜けられない問題をどうにかするのが
 宗教の役目です。
君がもしも、僧侶なら私が気絶するぐらいの目にあわせますよ。

695:神も仏も名無しさん
09/12/24 23:16:06 yZAn04+s
>>694
開祖の盲信は構わないのかね。釈迦は何のために「自灯明」を教えたのか。

優れた教師は、弟子が教師を超えてくれることが、最大の喜びであるはず。
釈迦は、優れた教師ではなかったのか。

696:肝心要
09/12/24 23:42:46 KOVSQ5xw
>>695 ピントが合ってませんからそれでは役に立ちませんぜ。
   君がそうなりゃ好いなあ と思ってるだけじゃないですか。
   

697:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/25 20:17:59 MkkI4FR2
>>694
馬鹿な僧侶ですね。
勘違いして悩む。


698:神も仏も名無しさん
09/12/25 23:39:12 nm0UNs7W
 ____
  Y/ニニ|>o<|\
 / //\___\
 |/ /  === |  ̄
 |  /   ・  ・ |
 \(6   (_λ_)\        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  /   _ ||||||| _|      <   これでいいのだ!!
  |(( \□ ̄□/|       |
  \   ̄ ̄ ̄ ノ        \__________
 / ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|了
/       |:  | ̄ ̄ ̄ ̄
|  |______|
|  | | | | | | |

699:神も仏も名無しさん
09/12/26 08:46:31 OO09QPmG
>>690 在家信者達が好き勝手な仏教解釈をしている日本に、
ちゃんとした出家者が渡来したのですから、
出家者の話に真摯に耳を傾けましょう。

私は、日本の住職さん達の存在も否定しません。
が、現状は、住職さん達も在家だと思います。
在家信者は、出家者の指導を受けるべき。

700:析空
09/12/26 09:08:34 1rmu51L7
>>699
その出家が、おかしなことを言っていたら、どうしますか?
たとえば、こころのスピードは光の何倍だとか!

701:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/26 10:30:49 ePQKJA7O
>>699

> ちゃんとした出家者が渡来したのですから、
> 出家者の話に真摯に耳を傾けましょう。

誰の事ですか?

702:神も仏も名無しさん
09/12/26 13:22:27 Tor3+iLa
出家者=正しい
という思い込みがすでに偏った物の見方であって仏教ではない

703:神も仏も名無しさん
09/12/26 13:35:48 K/eYM92X
だからね、出家や在家とか言うよりも
心のありようとゆうか、不動心なんですよね。ニルヴァーナとは
そこまで至るのには出家の方がより易しいだけで、在家も無視はしてない。

704:神も仏も名無しさん
09/12/26 17:13:41 OO09QPmG
>>702 出家者が間違っていたとして、
その出家者よりも正しい在家がありえるのか?
出家者に伝わる教えさえも間違ってるなら、
在家が正しい教えを伝承してる可能性は、それよりもさらに低い。

正しい出家者が世の中に一人もいないなら、
それはもう、正しい仏教が滅んだと諦めるしかないのでは。
出家者の教えに納得できないから、オレ達在家で好きな教えを実践する、
なんてことになると、もう、やってることが創価学会と同じ。

705:神も仏も名無しさん
09/12/26 17:23:05 OO09QPmG
>>701
少なくとも、結婚や飲酒を堂々とやってる人は在家だと思うので、
そうではない僧団の出家者。
師匠が在家なら、その弟子も在家なのでアウト。
弟子は結婚してなくても、
師に弟子入りした時点でその師が結婚してたら、
弟子は在家の師に弟子入りしたのだから、在家。

706:つきみ ◆5izEvL3bjE
09/12/26 17:47:06 ePQKJA7O
出家出家ってオームみたいやね。

707:神も仏も名無しさん
09/12/26 19:03:38 K/eYM92X
ニルヴァーナを知らないと
本当に話が始まりませんよ、私も結構色々な
書き込みを見てきましたけど、わかってるのか
わかっていないのか、わかってるようなことを言うかと
思いきや、すぐ無明の視点になりますし

聖者の本とかからの言葉を、おそらく拝借してるのでしょうけど
ニルヴァーナが何かを知らなければ、どうにもなりませんね。

708:神も仏も名無しさん
09/12/26 19:05:05 K/eYM92X
誤爆しました、すみません

709:析空
09/12/27 00:13:41 lHatvz1X
>>707
それでは、ニルヴァーナを説明してください。

710:肝心要
09/12/27 00:21:12 2+oJtKHz
>>707氏お待ちしてました。
 ニルバーナつまり涅槃を知るらしいのでご披露願います。
 

711:神も仏も名無しさん
09/12/27 01:17:24 JD+p2LwJ
>>703

712:析空
09/12/27 09:28:32 lHatvz1X
>>711
ニルヴァーナは【不動心】ということですね。

私からもいくつか。
ニルヴァーナは、漢訳では【寂滅】と訳されます。

雪山偈では、「寂滅を以って安楽となす」といいます。
また中村元氏は、ニルヴァーナは【止滅】および【安楽】と訳したほうが意味が通るといいます。

713:神も仏も名無しさん
09/12/28 00:55:40 IIYl2CDr
>>712
ニルヴァーナでは、少なくとも眼耳鼻舌身意・色声香味触法は滅ぶでしょうね。
「その先」に何かが「存在する」かどうかは不明。
なぜなら、意・法の対象外だから、
私達がそれを意(心)で考えたり感じたりすることはできない。
たとえばお釈迦様がニルヴァーナに入られたたということは、
お釈迦様はもう、私達の体や心が感じとれる対象(つまり三界)から
消え去ってしまったということ。

714:神も仏も名無しさん
09/12/28 00:59:53 GoUyPlek
>>713
ハァ?(゚д゚)

成道後45年の間、お釈迦さんは三界に居なかったのかい?
弟子たちの体や心で感じとれる対象ではなかったのかい?
それとも、般涅槃までお釈迦さんは涅槃を見ていなかったと?
自分で見てもいないものを弟子たちに説いていたと?

笑わせんなw

715:神も仏も名無しさん
09/12/28 04:08:29 Hkgt5Uwy
>>714  あ~、セブンよ。はっきり言うと、仏教徒ではない俺には、
この、涅槃というのが正直わからんわ。以前のリンク(片山氏のだったか?)
を読んでも、いまいちピントこん。
その他「自称、覚者さん」の説明は言うに及ばず。
何か分かりやすい解説はないものかな?

この涅槃というのを「自らの体験のみ」に限定してしまうと、覚者以外は
涅槃について語りえないものとなってしまう。(実際はこの宗教板の多くの
スレで「悟りとは~である」みたいな書き込みを多く見かけて、なんとたくさんの
覚者がいるものだと感心しているが)
言語による解説でも、ある程度は推測が付けられるような、すぐれた解説という
ものがあるのではないかな?

716:神も仏も名無しさん
09/12/28 04:29:07 Hkgt5Uwy
俺個人としては、仏教の提示する
一切皆苦→苦の原因=我執の消去→無我、無常の視点
という方向性は理解できるが、そのゴールである涅槃という境地が
理解できんわ。  そこに達するといったいどうなるんだ?
多くの仏典、および解説書が様々な表現を用いて語っているが、
どれも言葉だけが、上滑りしているように思えるのだけどね。
何かしらの解説を読んだだけで、すぐわかるようなものだとも思って
いないが、その片鱗くらい理解させるような優れた解説を期待するの
は間違っているか?


717:神も仏も名無しさん
09/12/28 07:54:08 IIYl2CDr
>>714 あ、ごめん、悟ってから生きてるうちは有余涅槃、
私が言ってたのは死んだあとの無余涅槃です。

718:神も仏も名無しさん
09/12/28 23:04:59 GoUyPlek
>>715
この辺はどうだ?w

スレリンク(psy板:180番)

719:神も仏も名無しさん
09/12/29 02:43:20 Q1EsA2yf
>>718  アートマンスレの8か。
初めから読み返してみたよ。俺がガラにもなく、形而上的な認識論を書き込んでた
のを見て、懐かしかった。ほんの数ヶ月前のことなのに、大分、昔のことの
ように思えたな。

「涅槃」については、セブンの書き込みを見て、俺なりに「頷く」ところは
あった。
うまく言えないが、涅槃とは「その境地に達するもの」「それを認識するもの」
は、誰なのか?  この問い自体が成立しないのだろう。
この問い自体が、二項相対に基ずくものであり、であるならば無常となり
涅槃足りえない。 すなわち、「全能なる存在」という表現と同じように
それ自体に論理矛盾を内包して自己否定しまうことになるわけだ。
  「涅槃」と「涅槃に入るもの」   これを「行為(或いは
現象)」と「その主体」という捉え方自体が、成立しない。
その認識は相依性によるものであり、よって縁起によるものとなってしまい、
すなわち「涅槃の否定」へと帰結することになる。
つまり、「涅槃に達する」「解脱する」ものはいても、
「涅槃に達した瞬間」「解脱した瞬間」に「その主体は存在しない」ことになる。
(何故ならば、そのような主体が存在するならば涅槃足りえない)
もちろん、これは解脱したら、「その者の肉体が消滅する」ことを意味しているのでは
ない。あくまでも「認識と認識主体」に関しての形而上的考察である。
うまく言えないが「非存在の存在」とでも言うものか?

もちろん俺自身が解脱したわけではないから、以上は当然、俺の推測、
または妄想と言っても良い。しかし、今は、なんとなく「そんなものなのか?」
という思いはある。


720:神も仏も名無しさん
09/12/29 22:32:20 ecfhO+XH
>>719
本当は、そうした「涅槃自体への考察」でなく、
その手前の「理(おしえ、四諦・縁起)」と「行(実践、八正道)」こそが重要なんだけどね・・。
だから、仏典には、涅槃自体のことよりも、その手前のことが多く書かれている。
或いは、「手前までのことを詳細に語ることで涅槃自体を語る」ような・・・。
語り(方)に関しても、涅槃自体に関しても、卑俗な喩えをすれば、
『ドーナツを作ることによってドーナツの穴を顕現させる(示す)』みたいなw
  (※だから、無時間的であり、論理的相依関係(→同義)として、「苦の滅直ちに(≒即ち)涅槃」という関係性となる。)

だから、以前引用した「田上の(若き)論文」や、禅の語録・公案の「国師良久」「外道問仏」が出てきたりする。
《「こういうことだよ」と、実際に目の前に存在してあげることで辛うじて提示しうる》みたいな・・。
 ※ドーナツや、この2行は眉唾で聞いといてくれw
  ただ、言語化困難であり、実際に提示するしかなく、また実際に体験(追体験)するしかないという点は、
  (外してないw)、大きな特徴だろうと思う。

ふむ・・、雑すぎるな・・・w
あとは、縁起馬鹿にでも聞いてみてくれw

721:神も仏も名無しさん
09/12/29 23:02:04 jSf3aGxB
白取春彦『仏教「超」入門』について(その1)
―実は驚くほど新鮮で、実際的なブッダの教え―
URLリンク(imadegawa.exblog.jp)

722:神も仏も名無しさん
09/12/29 23:12:36 +wYtgwSl
仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも旅するにも、常に人に呼びかけられる。
他人に従属しない独立自由を目指して、犀の角のようにただ一人歩め。

四方の何処にでもおもむき、害心あることなく、何でも得たもので満足し、
もろもろの苦難に耐えて、恐れることなく、犀の角のようにただ一人歩め。

金の細工人が見事に仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、
一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。
それを見て、犀の角のようにただ一人歩め。
このように二人でいるならば、我に饒舌といさかいが起こるであろう。
未来にこの恐れがあることを察して、犀の角のようにただ一人歩め。

実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで心をかく乱する。
欲望の対象にはこの憂いのあることを見て、犀の角のようにただ一人歩め。

(原始仏教の美しい言葉(ブッダの言葉・悪魔との対話・神々との対話 中村元訳/岩波文庫より))

723:神も仏も名無しさん
09/12/29 23:54:46 ZmNc26YV
>>720
>その手前の「理(おしえ、四諦・縁起)」と「行(実践、八正道)」こそが重要なんだけどね・

現代人なら、その「重要な教え」の中に、無数の矛盾、誤り、倒錯があることを看破できる知性
と批判力を養うべきだね。

小乗仏教(釈迦佛教)は、人間にとって極めて有害な要素を多数有する、開祖と原始仏典盲信の
カルト宗教に過ぎない。

724:神も仏も名無しさん
09/12/30 04:04:56 K2jWdf4b
>>720   難しいな。  その「行」とやらだが、これが実に怪しく思える。
これは様々なものを指して言うのであろうが、その主なものは「瞑想」
禅的に表現すれば「座る」か?  あるいは「観察」と言ってもよいかな?

この宗教板をみれば、わかるように「自称悟ったさん」が、驚くほど
たくさんいる。これらの人たちは、別にウソをついてやれ、あるいは
悟ったふりをしてからかってやろうというつもりなのではなく、何かしらの
体験により、「本当に自分は悟った。あるいは、そこまで行かなくとも、
少なくとも一般人よりは悟りに近づいている。」このように信じ込んでいる
のだろう。   セブンが以前、言っていたように、この「行」には、常に
このような「思い込み」という危険が付いて周り、必然的に「独我論」を超えられ
ないのでは?という危惧がついてまわる。
あるものは「だから師匠によるチェックが必要だ。」というが、師匠そのものが
悟ってなければ「全く悟ってない師匠が、弟子に『よし、お前はもう悟った』
などと印加を授ける」笑い話にもならない事態が起こる。
だから「師匠の選別が重要」と言ってみたところで、「悟ってない者」に
どうやって「この人は悟っている」と判別ができようか?

725:神も仏も名無しさん
09/12/30 04:06:31 K2jWdf4b
悟りというのが、あくまでも自己判断によるしかないのであれば、当然、
その基準となるもの、つまり「悟り、涅槃とは何か?」という問いが生じる。
そこをできるだけ自己の中で明確にしておくことこそ、一時的な精神異常を
もって「悟った」などとトンでもない勘違いをしてしまうことの危険性を
避けることができると思うのだが。
だから、俺は問うわけよ。この言語表記が不可能である「涅槃というのは何か?」と。

「まずは座れ。」  「とにかく座れ。」  「さあ、瞑想だ」
このように言うものが2ちゃんには、それこそ、掃いて捨てるほどいるが
彼らの書き込みを見ていても、とても覚者とは思えないが。

セブンは仏教に関わるものとして、涅槃を信じ、それに至る「行」を信じて
いるわけだろう?(実践しているか否かは知らんが)
隠居に言わせれば「そんな下らんものを信じるとは愚かである」と一蹴だろうな。
俺は正直、?だな。  つまり、よくわからん。 よって、今まで涅槃、悟りに
関する話題には参加してこなかった。
ただな、涅槃に達したからといって「空を自由に飛びまわったり」「何万年も生きる」
なんて与太話は信じてない。(笑)

726:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
09/12/30 12:01:46 VH72W0sR
>>725
>ただな、涅槃に達したからといって「空を自由に飛びまわったり」「何万年も生きる」
>なんて与太話は信じてない。(笑)

実に率直なご意見で私は良いと思いました。
ただ神通に関して言えば、これも単純にアレコレと述べられるものではありませんが、
しかし少なくとも、神通能力の獲得=覚者ではないけれども、
神通能力の無い覚者存在などというのは皆無ということ。
そんな話はこの世で聞いたことがない(どこにも在りませんよね?)。

濃密物質界での諸制約からの解放と物質の制御、
コントロール能力の獲得は結果として必然です。

信じない人はそれで結構^^

727:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
09/12/30 12:17:22 VH72W0sR
追記:

仏教書ではありませんが、
偏見を捨てて読んでみることをお奨めします。
蜘蛛の巣が取り払われることを請け合います。

ポール・ブラントン著『秘められたインド』日本ヴェーダーンタ協会刊
 URLリンク(horologion.up.seesaa.net)
パラマハンサ・ヨガナンダ著『あるヨギの自叙伝』森北出版刊
 URLリンク(ecx.images-amazon.com)
ベアード T.スポールディング著『ヒマラヤ聖者の生活探究』(全5巻)霞ケ関書房刊
 URLリンク(dokusume.com)

728:神も仏も名無しさん
09/12/30 16:33:07 OYBNJd10
>>724-725
正常な反応、感想だと思いますよ。

ですから、今度は僧伽の側に「誠実さと真剣さ」が要求されるわけです。
まさしく「未信者に信を生じせしめる」要素が必要なわけです。
  ※このことの(一例としての)具体的列挙が、梵網経(沙門果経)で触れられる、
   (縁起馬鹿氏が「“凡夫が”知り称賛するとこと」と強調・注意喚起するw)如来や比丘の
   「戒」(≒(目に見える)具体的在り方)なわけです。

戒定慧の三学と言いますが、その内実としては「信・戒・定・慧・信」と進むのです。
舎利弗がアッサジを尾行したように、五比丘が、無視しようとした釈尊のもてなしをしてしまったように、
スジャータが乳粥を捧げたように、パセーナディ王が再会・説法を約させたように、
そのように、(阿羅漢は勿論)、修行者は(比丘は、僧侶は)あらねばならないのです。
また、律や学処もこの側面を有しているわけです。勿論、本人の向上の為であるのは当然としても、
紙の表裏の如く、不可分な要素なわけです。
(その具体性・中身は、状況によってバリエーションを持ったとしても・・・。)

その意味で、このスレのテーマは果てしなく重いわけですw

729:神も仏も名無しさん
09/12/30 18:29:30 fy1rQtoM
要するに、「開祖・教祖の盲信」が、宗教の最大の病理。どんな人間でも
長所と短所があるという普遍の真理をすっかり忘れている。

開祖・教祖を批判できないから、本当の理解も進歩も全くなく、専ら他の人間
に責任を押し付けるため、内紛が絶えない。

これは、すべての創唱宗教に共通する「病理」である。

730:神も仏も名無しさん
09/12/30 20:11:42 HhrA8Bhg
宗教者の「開祖はすべて正しい」という恣意的な前提は、全く理解不能である。
その「正しさ」の検証は、充分に行ったのか。

「正しさ」を、何故、親でもない赤の他人に依存するのか。自分自身に正しさを
見出さない限り、常に不安で、心の平安も救いも得られるはずがなかろう。

731:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
09/12/31 16:51:18 7kbe41FC
~皆様、
いつも当シリーズスレにご参加頂きまして、誠に有難うございます^^
私自身は只今、世俗生活どっぷりにて超忙しい限りです(笑)
それでは、よい御歳をお迎え下さいませ。
年明けから、また宜しくお願いしま~す。

>皆様各位

732:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/01/02 13:06:11 31nuYMU+
新年、明けましておめでとうござます!
 本年も何卒、宜しくお願い致します。

>>726-727追記:
私には残念ながら~
仏教関係書籍というものは、ただ単に仏教を知識を身につけるか、
或いは、学問的方向性を進む者としては必須なのだろうとは思いますが、
肝心の自己の修行の向上としてはあまり役立たないように感じられます。

何故ならば、
どれもこれも生きた実体験に基く示唆に富んだ内容ではないからです。
読み進めるだけで自然と自己啓発されるような、
本質的な“目覚めと気付き”が起こる・・そんな書籍があまりにも少ないように思います。
その辺が文献学者が書いたものと実修行で在る程度の境地にまで上り詰めている聖者との違いでしょう。

そんな中でもこれは奨められる希少な書籍かと思います。
ただし、チベットだとか密教・・・といった否定的な偏見に囚われないで、
心から素直な気持ちで読み進めるならばです。
それと仏教用語(的)として分類整理する習慣に陥っている人では読んでも無理かもしれない・・・。

『チベット密教の至宝---ミラレパの十万歌』おおえまさのり訳/めるくまーる社刊

 URLリンク(image.space.rakuten.co.jp)
『チベットの偉大なヨギーミラレパ』おおえ まさのり訳/めるくまーる社刊
 URLリンク(ec2.images-amazon.com)

733:神も仏も名無しさん
10/01/02 18:03:03 DE+Y2W8p
>>695
>開祖の盲信は構わないのかね。釈迦は何のために「自灯明」を教えたのか。
優れた教師は、弟子が教師を超えてくれることが、最大の喜びであるはず。
釈迦は、優れた教師ではなかったのか。

横レスで済みませんが、「自燈明」とは自身(仏子)の「仏性」に
目覚めよという意味ではないでしょうか。仮説ですが。

釈尊は優れた教師で、全ての人に宿る「仏性」に気付くように
時世の時に伝えたのではないかということです。

仏は外にいるのでないですよ、ってね。


734:神も仏も名無しさん
10/01/02 23:38:16 znEODa6S
>733
>仏は外にいるのでないですよ、ってね。

仏は全ての人の内に存在することに気付いた時点で涅槃かも。

苦も楽も滅し、ただ安寧のみの境地。。



735:神も仏も名無しさん
10/01/09 15:35:06 Qy6eUBYQ
>>726
>濃密物質界での諸制約からの解放と物質の制御、
>コントロール能力の獲得は結果として必然です。

因果撥無外道は逝ってよし!

アル中とかヤク中連中もそういう気分になれる。
シンチガクはアル中、ヤク中と観つけたりw


736:神も仏も名無しさん
10/01/09 15:45:37 Qy6eUBYQ
>>726
涅槃=『苦しみ』からの解脱と何の関係もない子供だまし妄想にしかすぎん。

宝珠が悟りを実体験しているなら、オールヌードで空を飛んでみよ。
宝珠が悟りを実体験していないなら、迷いの言動は慎むべきだ。
>>726の発言は自己未確認分別そのものであって、迷妄そのものという以外にない。

737:神も仏も名無しさん
10/01/10 06:01:58 tj/iZUZH
仏教への試論です。「非有非無」の「C点」と言うものを考え、「無限・矛盾」の
視座に立つもので難解ではありますが、参考にして下さい。
 
 グーグル検索:「C点による時空論」及び「C点による仏教論」

「中論」の言う「戯論」であり、仏教の「無記」ですが、ご検討下さい。

738:神も仏も名無しさん
10/01/10 06:39:39 TK+5LZ4r
>>737
筆者は哲学解らず、数学解らず、物理解らず、宗教解らずの部外者
空想癖のある頑固老人

739:肝心要
10/01/10 10:53:08 IjC+LPhB
新年になり久しぶりに書き込めます。
アクセス禁に引っかかり不愉快なりにけりでした。
 涅槃をどう理解するか、そうなると<以後は大変に快適な人生を送られる>
と仏陀釈尊が仰いますからこれを少しだけ語ると言うことです。
 いわゆる三毒と称される 貪 ジン 痴が心の中でどの様な歯車で回転機能して離れ
難くなっているかを先ず考察します。




740:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/01/12 09:52:48 soRApkPe
>>736
なんで裸で空を飛ぶ必要があるのか?(笑)
実体験はありませんが、違うものと同類項の区別/識別はできるつもりでいます。

741:神も仏も名無しさん
10/01/12 20:41:16 T1nCwE8X
【肉食・妻帯】 坊主問題総合スレⅤ 【世襲・犯罪】
スレリンク(kyoto板)
【世襲山】 住職の世襲に喝を入れる19 【横領寺】
スレリンク(kyoto板)
【総合】坊主に対する批判・要望スレ【Part.拾】
スレリンク(kyoto板)


742:神も仏も名無しさん
10/01/12 21:14:19 aZ5jsmMx
仏教などくだらん。
所詮天竺の思想にて、神國日本には馴染まぬもの。
本居宣大人はかう詠ませたまうた。


さとるへき事もなき世をさとらむと 思ふ心そまよひなりける

死ねはみなよみへゆくとはしらすして ほとけの國をねかふおろかさ

佛ふみよめはをかしき事おほみ ひとりわらひもせられけるかな



743:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/01/13 09:32:03 D10V72Te
>>742
議論するつもりはなし。

ただ、“神國日本”なる発想や意識(認識)が問題かと。
そんなことをいい出したら、世界中どの国/民族も全く同じことをいうだけのこと。
所詮、日本人とて複数の異国/異民族からの混血であり、ユダヤ民族の渡来とも無関係じゃない。
神道そのものがユダヤ系譜の原始キリスト教的な側面を以って、
その見た目を隠したものに過ぎないかもしれないというのに・・・。

>馴染まぬもの

現日本人の何割がどこの神社が何神を奉ってるか答えられるというのか?
それこそ全く慣れ染まってなどいない。


744:神も仏も名無しさん
10/01/15 09:08:25 cGVkhKPV
現在の仏教を見ると、仏教はこの日本では死んだ。有るのは葬式仏教と観光仏教
で、一部は「新宗教」で、残りは無宗教である。しかし、仏教の葬儀は私達の悲しみ
を鎮め故人を静かに偲ばせて呉れる。それだけで十分では無いだろうか?

物質万能で便利な現代日本、「死」も「死体処理」も明るくスマートでさえある。
これ以上は欲と言うものか?


745:神も仏も名無しさん
10/01/15 09:37:18 cGVkhKPV
「色即是空 空即是色」
仏教哲学は奥が深い。しかし、哲学の基本「無自性」が仏教を無気力にしている様に
思う。無自性無しでも「諸行無常」は、縁起・空性を十分教えてくれる。現象は無自性
では無い。確かな「自性」を持っている。現象としての「人間」も自性があり「責任」
がある。仏教徒としても確り「生きる」べき。

今更、仏教論でもないが。日本の仏教僧侶の無気力を悲しむ。

746:神も仏も名無しさん
10/01/15 16:25:10 rBM+hi6f
>>745
無自性だから無気力となることはないだろう。
しかし無常でありながら自性はどのように保たれるのか?
自性がない、すなわち無自性だから無常であるのは論理的に
ただしいのではないか?

747:神も仏も名無しさん
10/01/16 06:13:52 vijjhqBn
世界は縁起により変化する。だからと言って、無自性ではない。瞬間、瞬間の
「生命」の連続。「刹那滅」論はとらない。縁起・空性については、以下を参考
に。「無限・矛盾」を視座にしているので、少し難解。瞑想を必要とする。

 「C点による時空論」「C点による仏教論」

無自性と言ってこの世は生きてはいけない。何処までも「責任」が求められる。
それぞれに「自性」は持っている。しかしこの世は「諸行無常」。

748:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/01/16 09:40:57 kpjbWRkG
輪廻スレ5のスレ立てを
 どなたか宜しくお願いします。

749:神も仏も名無しさん
10/01/16 14:44:34 vijjhqBn
この世は「諸行無常」であるが、「諸法無我」は無い。「一切皆苦」と言うほど、苦ばかりでも無い。
「涅槃寂静」は、そのとうり。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道輪廻がこの世。

750:前世は一在家
10/01/16 14:53:31 yilNUxXh
>>742
>所詮天竺の思想にて、神國日本には馴染まぬもの。

かの日蓮も元々は天照大神や八幡大神を敬神されてましたが、
仏教の栄えるインドや中国の豊かさに比べて日本の国難の多きを
憂い次第に日本の神よりも法華経への帰依に傾いていかれたかと
拝察致します。

参考文献は「日蓮大聖人御遺文集」ですが、何回もアップ済み
ですので今回は止めておきます。


751:神も仏も名無しさん
10/01/16 18:35:25 CBY5T1Cz
>>748
続けたいなら、自力で立てるか、ここじゃなくて、スレ立て代行板にいきなされw


752:神も仏も名無しさん
10/01/16 21:56:23 CBY5T1Cz
>>748
と、思ったけど、ついでに立てときました。
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】5
スレリンク(psy板)


753:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/01/28 14:55:28 K4YemKnI
 原始仏教と浄土真宗との関係について議論しています。

 本願寺派の坊さんと思われる方によるアラシが激しいく迷惑しているのですが、共存の道を
探ります。

 スレリンク(psy板:429-432番)

754:神も仏も名無しさん
10/01/30 14:11:18 P1bhhNRt
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。
無宗教者は道徳を持たない危険人物。

755:析空
10/01/31 08:42:53 ArQLrDkV
>>754
キミのほうが、道徳が無いように見える。

756:神も仏も名無しさん
10/01/31 22:35:06 uiAdHgWs
大乗仏教が素晴らしいって?
バカ言っちゃいけねぇや。
日本の観光地、京都行ったって鎌倉行ったって、金払わなきゃお参りもさせねぇじゃねぇか。
七面山にしろ清澄寺にしろ法華系新興宗教の集団参拝で儲けてやがって。
神社は拝観料なんて取らねぇでもやってるぜ。
信心してても金なきゃ拝ませねぇ、信心してなくても金払や拝ますってのが大乗の教えなのかねぇ。
もう日本仏教の使命は終わってるんだよ。


757:神も仏も名無しさん
10/02/01 01:03:10 Bk27CwpM
>>756
それは小乗仏教(初期仏教)だって同じ事だろ。
初期仏教の阿含経を拝する阿含宗、
俺は昔阿含宗の信者で、本当に阿含経を勉強しようと古本を集め頑張ったが、
「そんなことをするな」と怒鳴れれ怒られた。以来阿含宗信者はやめた。
しかし、阿含経は阿含経であり、宗の事は関係無く良い物だと思っている。

758:757
10/02/01 01:36:59 Bk27CwpM
追加文

「そんなことをするな」と

宗務局本部から「そんなことをするな」と

759:神も仏も名無しさん
10/02/01 06:16:36 DwRjRtLs
宗務局本部は何故、「そんなことをするな」なんて言ったの?

訂正

誤)大乗仏教が素晴らしいって?
正)仏教が素晴らしいって?

誤)信心してなくても金払や拝ますってのが大乗の教えなのかねぇ。
正)信心してなくても金払や拝ますってのが日本仏教の教えなのかねぇ。

760:757
10/02/01 12:21:38 gI4RsN1i
>>759
スレ違いだろうし、書いたらスレが荒れるだろうと書かなかったが、

「そんなことをするな」
「あなたは桐山管長猊下のだけおっしゃる事を、聞いてさえいれば良いのだ。」
「他の事をするな。」

という御達しでした。

761:本朝に仏教は要らない
10/02/02 23:04:54 K/2tAkQb
法華経なんていう差別経典を有難がっている
日練習、日連正宗、草加学会、立正更生会、霊誘拐、懸賞会、思心会、奇心会、霊崩潰、仏書御免会、酷仲介、等々
みんな亡国カルト宗教。



762:肝心要
10/02/02 23:30:47 oDkioAIz
>>760君は素直すぎます 嘘としか思えない体験話しだね。
さて、通夜と葬式のみしか坊さんと接触がないのは当然じゃないだろうか。
とこのごろ思うようになってきた。
所詮宗教関係は生産や生活の主体には成り得ない、宗教家と言われる人たちに
話す機会もそんなこと程度で好いのだろう。
 然し疑問を持ち質問をしても「全く駄目なオッサンばかりだった訳だ」
何故ここまで駄目なのか追求するに、世襲、寺院経営社としての僧侶の内幕、偽のお経ばかり
拝む本尊がインチキ、釈迦を忘却して仏恩を強調、供養力がまるでない坊主、ムニャムニャ祈祷で食ってる、
現代人の職業として落ち目、指導者が全くの不足、等などプロとしても問題点が在りすぎだ。
 人間の心に潜む,業とでも言うのか、菩提心を起こす人が一定の割合で必ず居る。
この人たちに指導が出来る、「仏様、如来様」が娑婆に出るまで抱えた問題は此の儘だと
痛切に見える最近である。

763:神も仏も名無しさん
10/02/04 20:10:03 wy7h5F6F
僧侶の皆さん葬式仏教は仏教とは違うと正直に言ってくださいね。

764:神も仏も名無しさん
10/02/12 16:51:19 Qn7Ad2e3
今頃気が付いたの。

765:神も仏も名無しさん
10/02/15 20:55:21 hOaUI0ES
葬式仏教は最高の宗教形態である。

766:神も仏も名無しさん
10/02/20 02:55:49 aqAU3sLR
スレオチ防止

767:神も仏も名無しさん
10/02/20 18:49:18 r16QhAj7
人は大概、「世俗の楽しみ」や「癒し」をもって、都度都度に、出会う苦を克服してゆく。
そして、世俗の(世俗への)炎が消えた時(消えている時)
(世俗での享受、世俗的楽しみを求める心が消えた時)、
苦を処理すべき術(すべ)として、向かうべき究極は、自己の抹消か涅槃だ。
その時その人には、当然、「世俗の楽を用いよう!」などという気は起こらない。
 ※(これも一種の《不退転》だ。《眼の開いた者は、もはや世俗を望むことはない》。)
  ※そして、苦を処理する術(すべ)として涅槃への舵取りが不可能で、世俗が利用できないとなれば、
    自ずと破滅へと向かうことになる。(それは、水が高きより低きへ流れるが如く自然なことだ。)
    ※この時、輪廻への怖れはブレーキ・抑止力となりえるだろうか・・・。
だから、
≪〔世俗を厭うベクトル〕が(不退転なものとして)確立されたなら≫、
≪〔涅槃を目指し実現する術(すべ)が提示されるべき〕だし、
 その〔航路(手段・権利・機会)は確保されねばならない〕≫。
≪それが《修行》だったわけだし、《律》であったし(―ここでは、「戒」ではない―)、
「比丘」・「サンガ(僧団・精舎)」であったと言えるだろう≫。
日本以外の(諸外国(東南アジアやチベット等))の仏教は、
≪その「ノウハウ」「システム」「社会の中でのポジション」が確立され、或いは用意されている≫。
で、
≪〔日本はそれができない(→やめてしまった?)ので〕≫、
≪〔世俗を利用しながら涅槃(悟り)を《のぞむ》《見上げる》形〕で手を打った≫、と・・・。
  ※(必ずしも悪いことではないが、寧ろ非常に困難な手段を選んだことになる。
    ≪全てを内的要素(→心の調整)に凝縮し≫精神性・エッセンスを重視した。
    それはその人に、とてつもなく強靭な意志と忍耐を要求することになる。)
 ─・─・─・─・─・─
(2chではない)別件での小考察だが、
決着シリーズ(このスレ)的にも適しているように思ったので、一部改変して書いておく。
(御隠居を交えてw)酒のツマミにでもどうぞ。

ノシ

768:神も仏も名無しさん
10/02/20 18:50:19 r16QhAj7
あ、age

769:神も仏も名無しさん
10/02/20 21:07:05 xL5B8I2n
>>754-755

770:神も仏も名無しさん
10/02/22 22:03:41 QRKkkqDW
>>1
いいんじゃない?このままで
べつに日本仏教なくなったって
チベット仏教もインド仏教も上座部仏教もあるから

771:神も仏も名無しさん
10/02/22 22:11:58 0Fma1/OJ
>>770
それは、

いいんじゃない?このままで
べつにトヨタが倒産したって
ホンダもニッサンも外車もあるから

と言ってるのと同じだな。
(たとえ、関連企業は除外しても)、従業員やその家族のその後は保障され得るのかな?

772:神も仏も名無しさん
10/02/22 23:10:38 cFNKbiN2
葬式仏教が仏教を歪めてるね!

773:肝心要
10/02/23 00:42:17 xOKg4Sko
>>772 僧侶自身も葬式に徹してもっと研究し、法話などで意義を説明すべき
是を怠っている、日本人の心の底には祖霊信仰が抜きがたく存在している。
今の新興宗教を見てみるに行事内容の殆どは祖霊信仰の欲求を満たすものだ。
僧侶に対して一般人が要求するのは霊供養のみであるからはっきりと彼らも是をしますと
表明すれば済む事である。
後は自分達の仏道修行をすれば事足りる訳だが、目的意識に欠けるからこの様な
スレが立つのだね、御蔭さまで私も大分考えました。(私は坊さんじゃないよ)

774:神も仏も名無しさん
10/02/23 05:48:23 zEFAppun
>>771
> (たとえ、関連企業は除外しても)、従業員やその家族のその後は保障され得るのかな?

ケッ 出家僧のくせに家族や立場の心配してるのかよ
腐ってやがる

潰れろよ

775:神も仏も名無しさん
10/02/23 05:54:07 zEFAppun
僧なら
托鉢で回峰行の最中に死んでも本望とか
即身成仏してでも世に明を灯そうとするぐらいの
気概持てよ

出来ねーで葬式で金儲けの勘定しか
できねーなら潰れろよ!

776:神も仏も名無しさん
10/02/23 08:54:55 5VSnR4NY
スレリンク(kyoto板:67番)

777:神も仏も名無しさん
10/02/23 08:56:11 5VSnR4NY
>>774-775
理想論は秋田

778:神も仏も名無しさん
10/02/23 09:28:48 wx8cob5i
>>776
あー
あと少しでみんな直葬式になって日本仏教は潰れるってことですね
結論わかりました。

新興宗教見ればわかるけど、その宗教で葬式をあげたい理由は
その宗教を信仰してるから。

翻って、日本仏教の僧って
自分たちが信仰に値するって思ってるの?

理想論とか言ってるけど、修行して人間の理想に近づいた人だから
信仰するんだけど、そんなこと微塵も頭にないみたいね。

それがなきゃ終了決定ですね。

779:神も仏も名無しさん
10/02/23 11:08:05 5VSnR4NY
>>778
君は、家族や親戚に日本仏教の腐敗を説き、説得し、
それぞれの菩提寺への関わりをやめるよう働きかけたり等の具体的行動をしてるの?
日本仏教総体としては腐ってるけど、自分の所、親戚の所の寺の僧侶は信仰に値する、
と評価してるの?

>理想論とか言ってるけど、修行して人間の理想に近づいた人だから
>信仰するんだけど、そんなこと微塵も頭にないみたいね。
そういう話じゃなくてw
仮に、
・日本仏教界・各宗門が(―具体的には各僧侶及びその寺族が―)信仰に値する在り方を構築する
・日本仏教という精神文化を排除の方向に持っていく。伽藍は自治体や地域の管理するところとする。
という二つの方向を設定したとする。
この時、それぞれを実現する為に【具体的にどういう手法が必要なのか】が考察されること無しに、
○か×かしか言われていないから、「具体性のない理想論」だと指摘したまで。
そして、そうした具体性は、宗門や僧侶側の理念改善だけで澄むことではない。
寧ろ、現状に大きなうねりや実際の危機が迫らない限り、そこに変革は生まれないだろう。
勿論、志を持って模索している僧侶が一部に居る事は知っている。だが、焼け石に水だ。
業界内の要素としては《「雛僧教育のシステム」そのものの見直し》《寺院の管理の仕方の改革》
《必要な寺不要な寺の選別・淘汰・統廃合等》が必要だし、
外的要素としては、《「新たな寺院や僧侶の在り方」が求められているというはっきりとした需要の動き》
《義理人情による寺院・僧侶との関わりからの卒業》《統廃合なれば、既存の各檀家の理解・承認》等が必要だろう。
また、《現時点で存在する各寺族(現役僧侶でない子供から老人等)の憲法上保障される文化的生活の保護は可能なのか》
という問題も生じよう。《生活保護やそうした施設の現在のキャパシティで対応できるのか》ということにも繋がってこよう。
(若い現役僧侶なら、多少は潰しが利くかもしれんがw)《住所不定無職の急激な増大に行政はどう対処するのか》
という所へも波及するかもしれない。
そうしたことを考慮せずに○か×かしか言わないから、理想論だと揶揄したまで。

桶?w

780:神も仏も名無しさん
10/02/23 11:27:36 wx8cob5i
>>779
最後にwが付いてるからこっちもそれなりの反論おば

> >>778
> 君は、家族や親戚に日本仏教の腐敗を説き、説得し、
> それぞれの菩提寺への関わりをやめるよう働きかけたり等の具体的行動をしてるの?
> 日本仏教総体としては腐ってるけど、自分の所、親戚の所の寺の僧侶は信仰に値する、
> と評価してるの?

この二つ以外に、このまま仏教界の腐敗のままに事を流してゆけば
直葬式に象徴される仏教無視が日本全体で拡大し
寺院の維持ができなくなるという現実の社会の流れが読み取れませんか?w


> ・日本仏教界・各宗門が(―具体的には各僧侶及びその寺族が―)信仰に値する在り方を構築する
> ・日本仏教という精神文化を排除の方向に持っていく。伽藍は自治体や地域の管理するところとする。
> という二つの方向を設定したとする。
> この時、それぞれを実現する為に【具体的にどういう手法が必要なのか】が考察されること無しに、
> ○か×かしか言われていないから、「具体性のない理想論」だと指摘したまで。

修行して信仰に値する人間になるという具体的な信仰獲得の方法論が理解できないんですね
これだから葬式仏教はこまったもんだ。信仰は宗教的な訓練の結果の人間の崇高な精神性が
人を引き付けるのが本質なんですよ

葬式ばっかりやっているうちに忘れてしまったんですな
坊主自体が信仰心なんかない状態で金儲けで宗教やってるから
まったくめくらになってる、しょうもない




781:神も仏も名無しさん
10/02/23 11:32:02 wx8cob5i
江戸時代の檀家制度が仏教だと勘違いして完全に腐ってる
制度で人が信仰するとでも思ってるのかw

782:神も仏も名無しさん
10/02/23 13:11:27 5VSnR4NY
>>781-782
>この二つ以外に・・・・・寺院の維持ができなくなるという現実の社会の流れが読み取れませんか?
今すぐとはいかないだろうが、いずれそうなるでしょう?
それまでおとなしく待ってなさいなw
また、《「外部の者が」、誰にでも、すぐできる具体的行為の事例》として挙げたまでで、
他にも外部の者が採り得る具体的行動は種々あるだろうよ。
勿論、内部の問題として、
各僧侶、ひいては宗門の意識改革が必要であるのは論を待たず、「最初に手をつけるべきこと」
であるのは解りきったことだ。
 ※(この時にも、「現行制度を維持する形で信仰を取り戻す」のか
   「初期仏教時代のような(或いは鎌倉仏教興起時のような)在り方へと移行する」のか、で、
   対応策は全く変わってこよう。)
   ※※(もっとも、鎌倉仏教興起時と言っても、民衆の仏教であったかどうかには疑義が残るが・・・。
       奈良平安仏教に至っては、学問か政治でしかない。)



その他は全く同意ですが、反論にはなってないですよね?w ( ̄ー ̄)

783:神も仏も名無しさん
10/02/23 13:13:10 5VSnR4NY
>>781-782
ゼロからスタートする場合、(たとえ、全国的に総体として見たとしても)、
君の言う通りにしていくことにそれほどの障壁はなかろう。
厄介なのは、「現在この形で(しかも根深くw)動いている」ということだ。
そう、まるで、政治とカネの問題のように・・・。
(これも、「制度改革」「意識改革」共に言われ、批判され、一部の努力はあったろうが、一向に変わらんよね?
「変わる」ということの困難さとして同じことが、日本仏教界にもあるだろうよ。
政権が変わることで、内部の自浄作用が大きく働くかどうか、という所も似ているなw)
よーするに、関連する領域が
「理念、精神、理想形」の面と「実際の運営」の面と「業界として確立された組織的問題」と
「既存の者の意識改革」と「将来の担い手の教育の面」と「現行制度を変更した際のフォローアップ
(たとえば銀行等の合併なら電子システムの整備、書類の互換性或いは一新等に比することが出来る)」と、とか
多方面に跨っているわけだ。
で、最初の「理念」が見えている者は多い。もがいている者もそれなりにいるだろうと思う(てか、そう信じたいがw)。
が、その他の部分での壁の厚さがネックになっているわけさ。


桶?w

784:神も仏も名無しさん
10/02/23 13:14:27 nuR/sdir
葬式以外に坊主と会おうなんて人は少ないだろw
仏教オタクを基準に世間を語るなw


785:神も仏も名無しさん
10/02/23 18:46:11 JC00gnno
悟る為の修行をスゲーしてて
「こいつ、ただもんじゃない!」って思わせるぐらい
鍛え上げられた精神持ってたら
勉強の為に是非お会いしたいって思うけど

そんな坊主みたことないんだもん
会いたいと思うわけない

786:神も仏も名無しさん
10/02/24 01:18:11 pL38aZII
>>783
わかった。桶。
でも、出家に立ち返って
世俗のしがらみなんかに負けないで
己の信ずるままに生きてほしい
出家僧の心意気を見せてくれ

787:神も仏も名無しさん
10/02/24 01:48:35 O4jr35pC
>>786
他人なんぞ当てにしないで、ぜひ君が実行してくれ。

788:神も仏も名無しさん
10/05/04 19:48:29 re9L7vqo
>>785
永平寺にでも行ってくればいいじゃん。実際に行かないでみたことないとか言ってもなー。

789:神も仏も名無しさん
10/05/17 01:08:04 uMFT8aFh
つまり枠組みは、必然的に限界のある自分自身の枠組みではなく
自分のものとして取り入れた他者の経験で構築されている。
その経験は集団の中でのみ喚起され、集団に自己重要感を与える。
張り巡らされた幻想の網が取り払われたとき、現実に機能してるメカニズムを理解することができる。

おおかたの人の思考とは根拠の不確かな判断、意見であり
その場合知性は独立した想像手段ではなく、他者の意見の貯蔵庫になってしまってる。
おおかたの人は意見を持っていて、これらは自由に入手したり授与することが可能だが
独創的に考えたり、人の揺るがせられないものの意である情動的価値基準ではなく
個々の経験に内在する意味にもとずいた独自の枠組みを構築する方法を知ってる人は非常に少ない。
人間の心の全体性をかいま見る為の手段である知的能力と、直感的な能力の間に橋を架けることは思考にとって
真の自由を意味する。



790:神も仏も名無しさん
10/05/17 01:11:04 uMFT8aFh
そんで 他者の意見を真実として蓄積できなければ自分にとっての真実を努力によってゆっくりと蓄積していく。
程度の相違はあるものの、他者との交流の自由な流れが閉ざされてるため 自分自身の枠を築かざるをえないのだ。
その人は現実的で想像力が欠けてるようにみえるが、幻想に対して鋭い感覚をもっている。
真実が微妙に相対的なものであることを捉える感性は その人を正反対のパターンへと強制的に追いこむため
なんらかの強迫的な表出がある。
真の知識の枠組みを意識的に求めるものの あまりにも努力が必要なために絶望する。
さまざまな抑圧や困難などの叱咤に耐え続けなければならなくなる。

絶対的真実や偽りというものはないことをしってるタイプなら
真実と偽りの間に直感力の解放へと至る細いロープが張られているのだ。と内外の叱咤がある。
このコンタクトは知性を分類の手段としてではなく 完全に異なる方法で使用する機会をもたらす。
更に形式の背後にある意味に集中し、それを理解する鍛錬を積んだ指向性のある知性ならば
それを内面に向かわせ、心の奥底の闇を探らせることができる。
心の奥底を理解する手段は他にはないのです。

いつまでもいろんな形に固執して
実体を見いだそうとしてもつんぼのブランドもの師範独演会録音虫中年小男
(例えば>707風の自称ニルバーナ上達系)の如く
何もみつからないので
禅宗的に言えば 無を構成する非情に細やかな微粒子や「これ以上分割する事が出来ない二元性」を
乗り越えるとき相互依存の場が現れ、現象的実在と心の空想的虚構が共に存在することをしる。


791:神も仏も名無しさん
10/05/17 02:32:06 uMFT8aFh
仏教パターンの実体化とはいえ縞々の波が移動していくのも忙しなく
静止パターンというよりは定常パターンになって欲しいものですものね。
何も起きないのでなく、反応拡散しつつ止まっているように見えるパターンのこと。

反応はエネルギーを生み出しアニマル柄縞々な生命の形など秩序ある模様が創られ維持されるも
反応の原料物資が枯渇するとエネルギー発生が止まり
それに支えられていた秩序は崩壊し、模様も消えて行く。

だから、構造の崩壊は巷であまねく扱えど
無構造から構造が生まれその秩序ある構造や『自己組織化』だって生命の形なので扱うべきなのよね。


792:神も仏も名無しさん
10/05/18 00:34:06 KoU62HXs
合掌 (-人-)

あまり持ちにしたくなかった
関係ない銘柄も連れ安するから。 よよよいww


793:神も仏も名無しさん
10/06/13 05:31:55 2pFC2uLb
737のつづき
 
 グーグル検索:C点による仏教的宇宙論

試論しました。このC点論のオリエンテーションです。
第一の存在 有の世界 現象肯定 世俗諦 自性 科学
第二の存在 無の世界 現象否定 勝義諦 無自性 縁起 空性 仏教哲学
第三の存在 非有非無の世界 現象再生 C点論 仏教

注:単なる有でなく、単なる無つまり空でもなく、「実体ある現象」の非有非無の世界、
これが「第三の存在」です。

794:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/07/12 09:58:05 4aSB5IoD
【社会】「宗教介入だ」「布施に定価なし」仏教界反発 イオンの葬儀サービス「お布施」に目安 賛否両論
URLリンク(mimizun.com)

仏教界の僧侶側からは、
これは“お布施”の価値を破壊する商業主義であり、
経済界による宗教への乱入であるかのような批判が起こっています。
まー、僧侶たちが言いたいことは分るけれども・・・。
けれども、私は料金の明確化には大賛成します!!

こういうと、
「“料金”ではないから」と猛反発されそうですけれども、
そもそもお布施の基本からいえば、これらの対価に等しいものというのは、お布施とはいえないということ。
僧侶に読経を上げてもらい、法要の儀式を修してもらっている。またはお寺側に何かをして貰っている。
これはお布施とはいわない・・・。

お布施というのは、あくまでも提供する側の純粋な思いから生じるものです。
だから、特に何もして頂かなくても、こちらから僧侶やお寺側に喜捨として金品を差し出す。
これがお布施です。

この問題を解決するには、
すべての僧侶による営みを一定の料金として提示し、明確化することです。
その料金に、自らの意志で更に上乗せする形で差し出す場合には、その余剰分がお布施となります。
あとは、一切の法要などなしで、こちら側から意識的に差し出した場合がお布施です。
このようにして、お布施というのはこちらの気持ちでいくらでもできるのです。

これ以外の解決方法はない。


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