10/05/05 19:03:29 KixkTWxA
三年と書いたけれど、その間まったく進歩しないというものではなく、
折にふれて発見や驚きのような感覚はある。トンネルをほるようなもの。
どこまで掘るのかはわからないが、土が後ろへたまっていくのは判る。
私の体感から言えば、思考を停止することで立ち上がる脳の発達が、
通常の生活をするための思考脳よりも優位にたった時点を、見性というのではないだろうか。
バソコンに例えるなら一つのCPUで動いている人体をデュアルCPUへ、さらに二つ目のCPUを
もとのCPUよりもスペックをあげると。
といって、>>82さんの言われる禅定のための脳の発達が終わるというものではなく、
意志さえあるかぎり開発はどこまでも可能であると思われ。
私は見性と悟りを区別したいとは思わないが、あえていうなら、見性後のさらなる禅行から
えられる境地といえるのではないでしょうか。