【正定】坐禅・立禅・歩行禅(経行)実践スレat PSY
【正定】坐禅・立禅・歩行禅(経行)実践スレ - 暇つぶし2ch83:神も仏も名無しさん
10/05/05 19:03:29 KixkTWxA
三年と書いたけれど、その間まったく進歩しないというものではなく、
折にふれて発見や驚きのような感覚はある。トンネルをほるようなもの。
どこまで掘るのかはわからないが、土が後ろへたまっていくのは判る。
私の体感から言えば、思考を停止することで立ち上がる脳の発達が、
通常の生活をするための思考脳よりも優位にたった時点を、見性というのではないだろうか。
バソコンに例えるなら一つのCPUで動いている人体をデュアルCPUへ、さらに二つ目のCPUを
もとのCPUよりもスペックをあげると。
といって、>>82さんの言われる禅定のための脳の発達が終わるというものではなく、
意志さえあるかぎり開発はどこまでも可能であると思われ。
私は見性と悟りを区別したいとは思わないが、あえていうなら、見性後のさらなる禅行から
えられる境地といえるのではないでしょうか。

84:82
10/05/05 22:15:04 foJkHjUp
>>83
83さんは禅や仏教に造詣の深い方とお見受けします。
そこで唐突で恐縮ですが伺いたいのです。
人は何故座禅をしたり悟りを目指す(必要がある)のですか?と質問された場合、83さんはなんとお答えになりますか?
坐禅を通して83さんに変化が起こって、そのおかげで何らかの利益を得たり、有利になったことはありますか?
悩みがなくなったとか、仕事がうまく行くようになったとか…(私は自覚する分には全然ないのですが)
また、仏教は絶対の神に「救い」を求めるいわゆる「宗教」とは違うように思われますが
仏教に救いを求めることは可能でしょうか?

私はまさに心を鎮める方法を探してるうちに坐禅に行き着いて、
ひとり、部屋で座るようになり(心を鎮める効果は確かにあったと思います)、
仏の教えについてもすこしずつ勉強を始めたのですが、疑問に思うことがたくさんあって、
一度坐禅に真剣に取り組んでる方に聞いてみたかった。ご面倒ご迷惑でなければ、考えをお聞かせください。
あと、スレ違いだったらすみません。







85:神も仏も名無しさん
10/05/06 08:35:33 MqhqLBhe
【脳科学】禅の瞑想法は感情と痛みを制御する脳の一部を分厚くさせ痛みに対する感受性を低下させる/カナダ研究 [科学ニュース+]
URLリンク(www.unkar.org)

86:83
10/05/06 17:57:16 uXG17msX
私は、座禅をすぐれたメンタルトレーニングとする立場から書くほうが要旨が明解で自分も書きやすいので、
仏教から見た座禅については、よりふさわしい方におねがいできればと思います。

何故座禅をするかを一言で言えば、人生を楽しく過ごすため、という言い方が私は気に入っています。
誰だって人生を楽しく過ごしたいわけだが、2chなど眺めていれば誰でもわかるように、
人の心には嫉妬やら憎悪やら劣等感やらであふれている。物質に満たされていても、
生老病死をまぬがれる者はいない。外界を変えることは不可能である。
であるならば、自身をかえる以外にない。
変えるとは、すなわち、上記のような人生の苦痛を軽減、
もしくはそれらに影響を受けない自分にすることではなかろうか。


87:83
10/05/06 17:59:27 uXG17msX
>>85の記事は中々面白いし、「座禅が苦痛を軽減する」という点では私と共通する。
その理由を、記事では、長時間痛みを伴う苦行を続けることで、
痛みに対応する脳が分厚くなるとあるが、そこは少しどうかという気もするが。
座禅の主目的は痛みに耐えることではなくて、「考えない」ことだから。
私の「座禅が苦痛を軽減する」という理由は、前述のように、人は「考えない」でいると、
通常は使わない脳が立ち上がってくる。(脳という言い方は我ながら抵抗があるが、
「新たな意識」とか「意識された無意識」とか、いろいろな言い方が可能か)。
この脳を鍛えることによって、デュアルCPUと例えたように意識の二重構造のような感覚になる。
それまでひとつの意識が10の苦痛を処理していたのが、二重になれば、
それぞれ5の苦痛を処理するだけですむ。肉体的な苦痛にしろ、精神的な苦痛にしろ、
処理の分散化が起これば、それは「軽減」もしくは「あまり影響を受けない」という結果をもたらす。
図式的なこんな説明のしかたもどうかと思うが、私の体感は、
とにかくそうしたものなのでどうにも仕方がない。

88:83
10/05/06 18:09:54 uXG17msX
で、座禅から何か利益を得られたかですが、上の話と関連させていうなら、
苦痛だったことが苦痛でなくるなることは、途方もない利益をもたらす。
飯のうまいまずい程度のつまらぬことでピリピリしていた男がそれを気にしなくなれば、
妻や家族との関係は明るくなる。常にイライラして部下を怒鳴りつけていた男がいつも温和冷静でいるようになれば、
部下の信頼も上司の信望も厚くなる。人が信頼してよってくる。評価があがる。経済事情が好転するかもしれない。
恋愛についても同様。
先哲には、座禅をつづけていると人相がよくなるという人が多いが、
それも人間関係を良くする要素といえるかもしれない。
というように、人を不幸や不満におとしいれているのは、つきつめて考えると、
外界に原因があるよりは、むしろ自分自身のなかに原因があると。
自分がかわればおのずと世界はかわる。
苦痛を苦痛ではなくするとは、思う以上に、おおきなことなのでしょう。

89:神も仏も名無しさん
10/05/07 05:05:24 TKVR6aiV
>83
 なるほど。些細な事のように思えることも、実際には大きな影響をあたえて
いる。それが瞬時に見えるようになることが「観」なのかも。



90:82
10/05/07 23:22:23 Qivvfwmj
>>83さん

ご見解を伺うことができて非常に嬉しいです。ありがとうございます。
何度も読ませていただくうちにだんだん楽になっていく感じがあって、
坐禅に対してガチガチになってたんじゃないかというか、何かしら妄想を抱いてたんじゃないかと思い至りました。
ここ1年くらい、俺の人生終わったーみたいに感じてたせいもあるかなとも思うんですが、
坐禅をしたらそれで人生が好転しだすとでもいうような、
過剰な期待を持ってしまったような気がします。
>>89さんのレスにもはっとしました。坐禅というのは物凄くリアルな物なのかもしれません。
まだよくわからないのですが、とりあえず今日も座ってみます。
本当にどうもありがとうございました。

もうひとつだけ、伺いたいのですが
座ってる間、まばたきをしてもいいんでしょうか?
薄目を開けているとだんだん目がヒリヒリしてくるんですよね。
自然に任せてまばたきをして構わないものでしょうか?
我ながら馬鹿みたいな質問だとは思うのですが…よろしくお願いします。


91:神も仏も名無しさん
10/05/08 09:56:27 dHeDmM6x
>>90
82さんも色々な書物を読まれていると思いますし、
座禅についても多くの人がさまざまなことを言っている。
また、禅宗の方に聞けば、例えば曹洞宗ならば道元さんが
ことこまかに座禅の作法を書き残しておられるから、
その宗派の禅者は自分の経験からというよりは、
それをもとに指導するのが原則となっているでしょう。
ネットでもやれ腹式呼吸だ逆式腹式だ数息観だ随息観だとか、
まぁバラエティにとんでいる。
悪く言えばわけがわからない。

92:神も仏も名無しさん
10/05/08 10:05:42 dHeDmM6x
そこで大切なのは本質に帰ることで、
座禅の一番大事な「考えない」という場所にもどらないといけない。
「考えない」ためにはどうするのが一番いいか、そこがキモなわけです。
人は体型も体質も感覚もちがうから、食い物と同じで、ある人にとって最良のことが
ある人には最悪にもなる。
まばたきをすれば痛さが消えて集中しやすくなるならしたほうがいいし、
しないで涙目になりつつも痛さをこらえたほうが集中できるならしないほうがいい。
が、あくまでも座禅は我慢比べではありません。
スレタイにもある立禅とか歩行禅というのが成立するのも、
「考えない」状態を維持できるのなら、
姿勢や状態などは二義的な問題にすぎないということなのだと思います。

93:83
10/05/08 10:09:19 dHeDmM6x
いつも長文で申し訳ないのですが、「考えない」状態のことですが、
私ははじめたころは二点に意識を置く、ということを心がけました。
禅宗の方の本にあった方法ですが。
ひとつは、半眼でぼんやりと何かをみている。床の線だったり畳の目だったり、
また面壁していれば壁のシミや木目だったり。
けれど、それだけだと色々雑なことを考えてしまうんですね。
そこで、もう一点意識をそらすために、座布と接しているももや尻のあたりに意識をおきます。
目と肌感覚、そういう二点に意識をおくと、考えることは不可能です。
当然そういう状態を続けるのは集中が必要なので、たまに途切れます。
目が痛くなったり顔がかゆくなって集中がとぎれることもある。
とぎれたものは仕方がない。そうしたら、また集中する。
そんなことをくりかえしているうちに、長く集中できるようになればいいのだろうと思いますし、
特別な工夫せずとも、自然にそうなっていきます。
いうまでもなく、目や肌感覚でなくてはならないというものではなく、
周囲の生活音に耳をすましたり、息や鼓動に意識をおく方法もあるでしょう。
自分で一番いい方法をみつけることです。

94:神も仏も名無しさん
10/05/10 12:38:25 uUnvcU4s
>93
 よくわかります。私の場合は1点は痛みでした。痛みを堪えることで
集中できるようになりました。


95:82
10/05/10 23:11:09 6fmkbRcD
>>83さん

すぐにお礼を申し上げたかったのですが、週末、体調を崩してつい時間が経ってしまいました。
失礼しました。
83さんのお話を伺っていると、自分が座禅をする上での出発点が洗い出される感じがします。
やっぱり、いろいろ自分では勉強してるつもりで、いつの間にか混乱していたのだと思います。
「考えない」ことが自分にできるかどうか、「考えない」事の先に何が見えてくるのか。。。
とりあえず今日も座ってみます。ただ先が長そうなのが不安ではありますが。。。
私は5つ数えないうちに頭の中がざわざわし始めます。
しかし、転んでも起き上がるしかないわけですしね。

どうもありがとうございました。是非またお話をお聞かせください。
宜しくお願い致します。





96:神も仏も名無しさん
10/05/12 21:31:05 rDKF0jmy
 最近坐禅をするようになった。この方法は非常にいいと感じている。
今日は14日目。朝、40分坐った。寝る前にさらに40分坐るよていだ。
朝起きて、布団の中で考えたのは、
 「随所に主となれば、立つ処皆真なり」
臨在義玄のことばらしい。WEBでたまたま見つけた。すばらしい言葉のような気がする。
これは何を言おうとしているのだろう。
 主体的であれば、いつでも真実の自分でいれる。そういう意味だろうか?
主体的とはどのような時のことなのだろうか? 今布団にいる。まだ眠たい。しかし坐禅
をすると決めている。
 起きなければならない。おきて坐らなければならない。さてここで、私は主体的なの
だろうか? 眠いのに起きて坐ることは主体的なのか? 主体的でなくても真である
ことはあるのだろうか? もし主体的でないのに坐るとすれば、真ではない。ならば
その坐禅は真ではないことになる。
 まあとにかく坐ってみよう。
実にすっきりした。頭がクリアーになった。これはたぶん真だろう。
 今日は集中できた。昨日は集中できなかった。なんとなく惰性で坐った。惰性で
坐っている時は、主となっていないことになる。多分そういうことだろう。
ということは、随所に主とは、常に意識的であれと言うことかもしれない。そう
キンヒンのときダラっと歩いている人がいたが、あれは主となっていないな。


97:神も仏も名無しさん
10/05/13 05:15:13 4HWaLOY8
今朝も40分坐った。半分くらいは集中できただろう。気持ちがいい。
「随所作主、立処皆真」だが、随所とは「どんなところでも」の意味だろう。
どこでも、主体的であれば、立っているところは、全て真。
つまり
どんなところに立っていても、主体的であれば、真実の自分でいれる。
 外見は命令で「やらされている」ような時でも、心の中では自らやっていれば、真実の
自分でいれる。
 どんなことも嫌々やる必要はない。自分の工夫でやるようにすればよい。
 「主となる」とは主体的ということでいいのか? 主とはその場、その時の主だろう。
「主とならない」とはどういうことか? 隷属すること、家畜のように鞭打たれて自分が
無い状態だ。嫌々仕事をしているサラリーマン状態だな。上司がきらい、仕事がくだらない。
単純作業で無意味な仕事を延々とやらされる。そういう状態だ。
そういう状態でも「主となる」ことができるといっているのだろう。新米の托鉢僧に
言った言葉かもしれん。
これから托鉢に出る時に「腹減ったー、気が抜けたー、だらーん」としたそういう、托鉢僧
がいたのだろう。


98:神も仏も名無しさん
10/05/14 05:37:45 meurcxk5
16日目だ。今朝も坐った。妄想しているうちに、あっという間に40分がたった。
部屋を全て整理して禅堂にしよう。
行動方法を変えよう。禅のように。速やかに動くようにしよう。どうも
無駄時間が多い。

99:神も仏も名無しさん
10/05/17 13:32:55 cvBaQIrC
主というのもいいかもしれませんが、
主客の境がなくなる、
主客がひとつになる、というのはどうでしょう

100:神も仏も名無しさん
10/05/17 16:40:50 6wzyBNQr
主客なしとは全てが仏ということですか。なるほど。
主とは仏のことですね。これは境地が一段上という感じですね。

 一遍さんの

「となふれば、仏もわれもなかりけり、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」

 ですね。




101:神も仏も名無しさん
10/05/17 19:21:40 6wzyBNQr
 「随所に主となる。」
わたしが書いているのではなくて、仏が書いている。
一大事です。まさに立つ所真です。

 私の目は仏様の目
 私の耳は仏様の耳
 私の口は仏様の口
 私の手は仏様の手
 私の足は仏様の足
 私の体は仏様の体
 私の心は仏様の心


102:神も仏も名無しさん
10/05/20 13:45:19 rfxcsuul
一遍さんの言葉はいいですね。
仏もわれもなかりけり。
座禅をやろうなんていう物好きは、たぶん自我とか自意識に苦しんでいる人が多いのではないでしょうか。
思うままにならない、むくわれない、誇りが傷つきたくない、他人に負けたくない。
自我自意識が強い者ほど、その苦痛は大きい。
苦痛をやわらげようとするなら、自我自意識を弱めるほかはない。
その果てとして、仏もわれもなかりけり。
座禅がそういうものであるならいいですね。


103:神も仏も名無しさん
10/05/20 17:44:31 h7QeS3vL
最近ようやく一つの悟りを得ました。坐禅とは、つまりトレーニングなのですね?

ゴルフの理論本をいくら必死に読んでも、練習しなければ上達しないように
坐禅も、いくら理論を勉強しても、それで心がクリアになるわけでは
ないのでしょうね。素振りを何百回もやってフォームが決まっていくように、
坐禅も、ただひたすら実践あるのみなのでしょう。いわばスポーツの練習と
同じものと考えたら、なんだか色々スッキリ理解できるようになりました。


104:神も仏も名無しさん
10/05/20 17:53:01 h7QeS3vL
過去に多くの禅師たちが、「いや、いいからとにかく座れ。」
と言っていた意味が、遅ればせながらようやく分かりました。
そういう言葉は知っていたつもりなんですが、今までは
その意味を全然理解してなかったのですね。

105:神も仏も名無しさん
10/05/20 21:55:26 rfxcsuul
同じように思います。
人は素のままだと、地面のうえに大きな石が置かれているようなものでしょうか。
石とは、「考えること」。日常の煩瑣な出来事、心配事、過去の記憶等々、
ふだん我々の頭をすさまじく占領している「考えること」。
何もしなければ死ぬまで石は動かない。
座禅は、この石をどけることでしょうか。
どければ、地面から今まで育たなかった芽がでてくる。
芽が小さいうちは、また石が元に戻っておしつぶしてしまう。
でも芽が双葉になり本葉になり幹になりしていくうちに、
石はそうそう簡単にはもどらなくなり、幹のほうが強くなる。
この幹には無限の可能性があります。

106:神も仏も名無しさん
10/05/21 04:02:33 ogy+agUN
どんなシチュエーションでも、どんな逆境でも、自己を護持できれば、誤る事は無い、と。

私はそう捉えています。

107:神も仏も名無しさん
10/05/21 10:04:28 +dcVu5Yz
『莫妄想』(妄想すること莫れ)である。
坐しているときはもちろん、
日常的にあらゆる妄想の派生を警戒すべし。
これを第一義とすべし。

108:神も仏も名無しさん
10/05/21 11:08:17 YWwXbajv
>>106
言われること、もっともと思います。
人の自己の在り様はそれぞれで、体重やコレステロールや血圧のように、
バランスのとれた人もいれば、高すぎて正常な生活すらできない人もいる。
同じように自己のバランスがとれていて己の欲するところに従って則を越えない人もいるし、
そうでない人もいる。
苦痛とはなにか、苦痛はどこからくるのか、それに思い当たる人が、
原因をしずめていけばいいのだろうと思います。

109:神も仏も名無しさん
10/05/23 04:06:16 GnF7+Ihj
このスレに出会ってから変われました
自分のはきっと禅なんて言える代物じゃないんですが

欝病の彼女と大変辛い別れをしてから(死んだわけじゃない)
自分もそっちにかなり片足つっこんだような
雑念だらけの人間大嫌いな人間になってしまって
もう変わる気もありませんでした

このスレで皆さんがおっしゃってる事を
全部覚えるくらい毎日読んで、少しだけ見様見真似してみてるうちに
そんな日常生活や仕事に集中力とか、明るさや冷静で前向きな行動力みたいなものを
取り戻すことが出来ました。
毎日もっと善くあろうと何かしらの努力をすることが出来ている感じです。

「常に意識を傾注するものとして」というのは非常にいい言葉ですね
脳の使い方コントロールの仕方というものがほんの少しだけ分かってきた気がします。
ただこのスレとかリンク先読んでるだけなので、
たぶん半分もちゃんと分かってないのだとは思います。

ただ、変われた・・・というか
本来出来るはずの事が出来る人間に何年ぶりかに戻ることが出来た。
それは本当にこのスレのみなさんのおかげなのです。
一生無理だと思ってました。本当に苦しかった。

おそらく意味不明ですが、感謝の気持ちを一言書き込んでいきたかったので・・・
本当にどうもありがとうございました。
これからも、またさらにがんばっていけそうです。


110:神も仏も名無しさん
10/05/23 21:19:55 Rqp+0U7v
よかった。こちらも元気をもらいました

111:神も仏も名無しさん
10/05/24 23:17:18 hLoL/rFX
>>34
>臥禅

座禅立禅とくらべ、寝ながらだと肺が圧迫されるせいか、
呼吸が安定しないので、瞑想にはいりにくい。
白隠が内観法でいっているのは、瞑想法とは別物と考えるのが
無難で、心身のリラックスのための呼吸法という感じかな

112:神も仏も名無しさん
10/05/25 08:11:33 VZgfZ6PO
>111
 深い瞑想は坐禅だが、軽い瞑想状態には寝禅でも十分はいれる。
河野十全の寝禅のやり方が詳しい。これは動禅(ゆっくり動く)だけどね。
 殆ど無意識に動き出して、野口整体の活元運動の寝転がりバージョン
みたいな感じかな。あるいは寝てやる太極拳。
 寝禅という言葉も、河野十全も知らなかったが、以前これと同じことを自分で
考え出して、かなり長いことやっていた。
すッごく気持ちがいい。しかし無意識に嫁に絡みついたりするものだから、
嫁に、「眠れないーーーーー」と嫌われて、それ以来、寝室は別々。
欲求不満になったらいつでも襲ってくれていいとは言ってあります。
 因みに、今は一人寂しく朝の4時30分から坐禅です。


113:神も仏も名無しさん
10/05/25 11:59:27 kEL48Hrm
111だけど、以前調子わるいときに、ホロトロピックセラピーに興味をもって
試したんだが、ランナーズハイ的な快感は確かにあるんだけど、
瞑想といわれるとちょっと疑問あったんだよね。内観法もしかり。
白隠も河野十全、あなたにしても座禅をやりこんで瞑想にはいるコツをものにしたあとに、
寝禅をやったから瞑想にはいれるわけで、なんも素地のない人が寝禅といっても、
ただのランナーズハイ的な気持ちよさでおわっちゃわない?

114:神も仏も名無しさん
10/05/25 16:29:26 VZgfZ6PO
 河野十全は坐禅から入ったようですね。そこからよくあの寝禅を発見したなと思います。
まじめそうで結構やんちゃなのかもしれませんね。
私のように馬鹿だと、馬鹿なことを色々やりますので、必然的に寝禅とかは発見しやすい
のですが、河野さんのように人間研究をやられてた立派な人が、どうしてあんなことを
知ることができたのか、すこし不思議な感じがします。
 普通は目が覚めたら、歩いて顔を洗いに行きます。それを布団の中でぐるぐる蠢いたら
私の嫁でなくても気味悪くなるでしょう。
寝禅を理解できるのはかなりレベルが高い(いや低いのかも)


115:神も仏も名無しさん
10/05/25 18:43:28 kEL48Hrm
河野十全氏の寝禅のサイトをみてきましたが、
自分の理解と少しちがっていて面白いですね。
寝禅てのはただ横になってやるのかと思ってたら、
寝起きのぼんやりした状態、
覚醒と睡眠の中間の状態を利用するってのは面白い。
そういうことなら初心者でも瞑想に近い状態にもっていきやすいかもしれませんね。

116:神も仏も名無しさん
10/05/25 21:35:25 VZgfZ6PO
 おっ、わかります? あれが解るというのは、すばらしい。でも初心者に
解りやすいかどうかは解りません。
 河野さんが狙っているところは非常にいいせんいってるとおもいます。
無意識に蠢いていると、体に悪いところがあるような場合わかるといっていますね。
自分はそこまでは行きませんでした(体にわるいとこがないし)が、体の質感を変える
ようなことが自在にできるようになりました。つまり雲になったり、泥になったり
深い海になったり、そういうようなことです。




117:神も仏も名無しさん
10/05/25 22:00:51 VZgfZ6PO
説明が難しいのですが、坐禅をやる人はまじめなんですね。ですが、不真面目さが必要なのです。でも不真面目では
だめなんですね。真剣であって自由度がある。つまり本人は実際は真剣なのに周りの人がみると不真面目でしかない。
そういう誤解を受けやすい人が適している。
 斜めに構えている人とかすぐに茶化すような人はだめですね。やはり真剣さが必要です。
ああ解りました。
 結局本人はあくまで真剣であればいいですね。 そうすれば、周りが見れば可笑しいはずです。
 周りから見て変でないようでは修行が足りない。微妙ですね。「変」を狙ってはだめですね。
「変」がわからないのもだめかもしれない。「変」を承知でやってるのがいいのかも。
「かすかに変」と理解はしている。しかし実際は「大変」人。坐禅人は大変人。
河野さんのことです。あの人はまじめに可笑しい。



118:神も仏も名無しさん
10/05/27 10:01:21 LNyNDy3+
変な話だが、最近座禅やってるとエクスタシーのような感覚が断続的にくる。
酒や麻薬による快感が、薬理的な自我の喪失からくる緊張の弛緩だとするなら、
座禅も意識の変革による自我の喪失ともいえるわけで、
エクスタシーのような感覚がきたとしても、わりと自然なことかもしれない。
禅宗の僧侶はあまりそのことを語らないようだが。

119:神も仏も名無しさん
10/05/27 12:36:20 PJKclmkQ
座禅で禅定や三昧の境地に入ると、無上の至福感に包まれる、
と言うからな。

120:神も仏も名無しさん
10/05/27 14:11:44 LNyNDy3+
そのせいかどうかわからないが、
性欲をあんまり感じなくなった。
いいことかわるいことかわからんが

121:神も仏も名無しさん
10/05/27 19:17:36 LbmutR20
 エクスタシーか。まだそこまで、いってないなー。
コーヒーとか飲んでます? 最近、水しかのまないようになってきた。

122:神も仏も名無しさん
10/05/27 20:51:06 1BR6WXuL
気持ちいい体験するとどっかでまたそれを経験したいとか思っちまう。
んで記憶にとらわれて今を逃しちまう。

123:神も仏も名無しさん
10/05/27 21:54:44 LNyNDy3+
食生活は普通でコーヒーも紅茶ものむけど、
以前はかなり飲んでいた酒をそれほどのみたくなくなったかもしれない。
座禅の効果に「緊張の弛緩」という段階があるのなら、
外的な嗜好品にたよる必要がなくなるということはあるかもしれない。
以前、佐保田鶴治氏やそのほかのヨーガ系の方の書物にも、
酒をのまなくなったという記述をみたことがあるので、
根拠のない話でもないのでしょう。

124:神も仏も名無しさん
10/05/29 09:25:33 sX0ZYL8I
自分は生活習慣を直すのを先にはじめて、そのつながりで坐禅に興味が
でてきたので、逆だなー。
 酒、タバコ、嗜好品はやめて、菜食にして、定期的に運動をする。というのが
最初だった。コーヒーだけは残しているけど、坐禅の直後に飲むと刺激が強す
ぎるきがする。



125:神も仏も名無しさん
10/05/30 10:31:25 kLL/gxde
座禅中や瞑想中は代謝がおちるというから、刺激物をガブガブやるときついかも


126:神も仏も名無しさん
10/05/30 16:13:05 kLL/gxde
その代謝が落ちたのをケアしないまま長期間放置した結末が白隠の有名な禅病かな?
かえってイラついたり不安感が増したり嫌な記憶がフラッシュバックしたり、
これは自分も今そうなので他人事じゃないやw
禅に精進するのはいいけど、代謝をもどすケアも平行してやんないといけないね



127:神も仏も名無しさん
10/05/30 19:44:09 ev9VleU+
永平寺とかの禅修業は、動禅と静禅を交互にやってるよね。
普通の坐禅をしたあとは、廊下掃除の動禅やったり。
ああいうのも一つの知恵なんだろうね。

128:神も仏も名無しさん
10/05/31 09:13:53 ooUGFCo0
なるほど、以前禅寺の参禅会にいったとき、
禅と禅の合間に作務と称する掃除をやらされて、
これって意味あるのかなとちょっと疑問だったんだけど、
長い経験にもとずいた知恵なんだねー

129:神も仏も名無しさん
10/06/10 22:18:41 sxAu+qcN
なんといっても
坐禅ころがしが一番加虐感があって
最高だよ。

130:神も仏も名無しさん
10/06/11 19:06:05 NJkDOhck
座禅ころがしって、ダルマさんがころんだっていうあれ?

131:神も仏も名無しさん
10/06/12 13:03:54 IB/y210k
立禅や歩行禅は、自転車にたとえるなら両手離し運転。
瞑想とか禅定にはいるとはどういうことを意味するのかしらない者がそれをするのは、
自転車に乗れもしない者がいきなり両手離し運転するのとかわらない。

132:神も仏も名無しさん
10/06/17 13:05:24 lUVxZEqB
「インターネット和尚」ってどうよ?

133:神も仏も名無しさん
10/06/18 14:38:03 yZkJkmaz
お経を読むことって坊さんの専売みたいに思ってる人がいるけど、
あれはトランス状態になるのに最短の方法なんだよ。
意識のすべてを言葉にむけ、忘我状態へみちびくもので、
TM瞑想でも似た方法をつかう。

134:神も仏も名無しさん
10/06/18 18:40:47 N280aBsf
>>133
なるほどトランス状態ですね、わかります。

135:神も仏も名無しさん
10/06/19 11:37:52 PHn22T8o
読経は、自然な腹式呼吸にもなっていて健康にもいい。
坊主が長生きというのはそのせいという説もある。

136:神も仏も名無しさん
10/07/04 06:07:00 ng+gJ5St
真言なんかはその真言独特の波動を呼び出すためのものじゃないのか

137:神も仏も名無しさん
10/07/15 19:03:13 32nZUMze
a

138:神も仏も名無しさん
10/07/15 19:08:50 32nZUMze
やっと規制が外れた。
お経って全然憶えられん。 しかたないので、同じところを何回も繰り返して
いると甘みが出てくる。

139:神も仏も名無しさん
10/07/17 11:28:09 ApqNT9p2
>「インターネット和尚」ってどうよ?

時々見ている。すごい参考になる。
でもすこし気になったのが、「エックハルト・トールやガンガジじゃなくて坐禅」とか
書いてあって、彼等を過小評価しているんじゃないだろうか?
自分はエックハルト・トールは非常に解りやすい。
以前はクリシュナムルティに心酔していたけどやはり具体的方法論がないのが難点だと
おもっていた。
 エックハルト・トールも禅に比較すると、方法論がすこし曖昧だけど、悟りの意味を
はっきり示してくれるのがいい。坐禅の場合「只座れ」というだけでそのあたりが
ほったらかし。

1)エックハルト・トール 悟りの意味を平易な言葉で示す。
2)クリシュナムルティ  悟りの意味が厳格(難解)
3)禅          悟りの意味が不明確、方法論(坐禅)が最高

禅も原田雪渓の本なんかは平易で解りやすいそうだよ。
探しているけど、どこにもなくて、読んだことないのでわからんけど、直感では
エックハルト・トールに劣らずいい本だと思う。
 飯田とういんもギエンも雪渓も県内の県立図書館から全部しらべたのに、一冊もない。
幸福のカガクとか大作とかは何十冊もあって、不幸な日本だよな。
 考えてみたらおかしい。ちょっとこれから図書館に講義メールをおくってみる。
と思ったが、どんな内容にしたらいい?
 アメリカ発って結構日本の禅のパクリでしょ。エックハルト・トールなんか20万部
うれてるんだろ。
 なんかおかしいよな。


140:神も仏も名無しさん
10/07/17 16:49:36 U06fNk98
>>139
抗議メールより購入希望を出した方がよくない?

141:神も仏も名無しさん
10/09/10 14:08:21 ypHY7kLa
井上義衍老師

坐禅をするときは、自己を中心として坐禅をしてはならんのです。
それを本当にやめて、六根を開放して、六根の作用がどうあろうとも一切かまわずに、
一々の、その時その時の作用のままに、煩悩らしい作用が起きようと立派そうなのが起きようと放っておくことです。
その生じたり滅したりするそれ自体が、あなたの手つかずの真相なんです。
それですから安心して、ただ、そういうような働きの真相のそのままに注意していてご覧なさい。
そうすると本当に何にもないところから生じながら、直にそれと離れて、その事実が自分に完全に備わっていることが手に入るんです。

・・・・
ほかに云うこともやることもない。只、今の消息だけです。
それだから、もう方法も手段も尽きて尽き果てた、今の自分の様子だけでいいじゃないか。
それで初めて「本源自性天真仏」としての自分が、そこへ転がり出ておる。
それにお目にかかってくればいい、それだけじゃ。

それは、意識のなかに自己を忘ずることであって、意識をなくする事ではない。
意識自体が純意識体自身であるとき、自体が自体を知ることはできない。
主体が主体を知ることもできぬところに、意識の主体すらも消滅する。
眼が眼を見ることができぬ様に。
この確実かつ純粋なる道に徹するとき、無明は断絶する。
それは、識自体が識以前の純然たる法体性の事実に証せられて、
意識の及び難きものなることを正しく得たとき、
この生活自体が法身であることを自得するからである。
このとき、疑いようも信じようもない。
その必要も全くなく、その欲求すらも起こらないものである。

142:神も仏も名無しさん
10/09/11 00:20:38 t+jpVsP2
わかったような、わからんような、やっぱしわからん。

143:神も仏も名無しさん
10/09/18 18:21:54 G6h+fWrB
新スレが 建ちましたー

坐禅と見性第72章菊、有馬、金杯と諸行無常
スレリンク(psy板)

144:ばんこ
10/09/18 20:05:31 vzmix+nf
>>142 参禅すると、あんまりこういったことで書く事なくなると思うよ。

145:神も仏も名無しさん
10/09/24 08:40:12 y1BHV7Uz
>>141
参考になりました。

146:神も仏も名無しさん
10/09/27 08:52:15 uV0NNkqF
>>138
おれは口が粘っこくなってしょうがない。

147:神も仏も名無しさん
10/09/27 21:04:55 wQRU+NtV
座禅やってると、たまーに頭のなかでグリっと何か動くような、
神経回路が入れ替わるような妙な感じすることがあるよね。
結局座禅ってのはそうした器質的な変化なのだから、
理屈であれこれいったところで自分で体感しなければ何もわからんのだと思う。
だから、つべこべいわずに三年がんばって座れ。
話はそれからだ

148:神も仏も名無しさん
10/09/29 17:57:55 hEEZHELN
三年とか聞くと初心者はひくかもだけど、本当に大変なのは最初の三ヶ月から半年じゃないかな。
リハビリみたいなもん。脳や神経の死んでいる機能を生き返らすわけだから、はじめはどこをどうすればいいかわからず、意味も目的も見えない。
が、何ヶ月かすると少し方向性というか、ここを延ばせばいいんだなという感じがわかってきて、進歩も日々感じられ、苦痛でなくなる。
その後は修行というより楽しみにすらなってくる。三年など喜んで過ぎていく。
適性のあるひとならもっとはやいかもしれない。


149:神も仏も名無しさん
10/09/29 18:58:31 IwulylG7
とりあえず座ってれば見性するから。
見性したらそれを修行の土台にしてさらに座り続ける。
それだけだ。

基本邪魔になるのは、
女性の、まあ男性もいるかもしれんが、
依存的な恋愛体質。

150:神も仏も名無しさん
10/09/30 10:39:42 Q0UVfHvq
恋愛体質ってなに?
師とかに依存しすぎて本質を見失うとかいう意味かな

151:神も仏も名無しさん
10/09/30 15:41:18 AdrMEnMb

>148
自分はいきなり接心(7日間)を受けたのだが、それで坐り方はわかった。どこをどうすればいいかが
はっきりわかるわけではないが、「意味も目的もわからない」というようなことはない。少なくとも
気持ちいい。
だから毎朝30分坐るのが楽しい。そして5か月経った。
実生活でなにか変ったかというと、何も変化なし。ただし食事など節制をしているので体重は5kg減って、スリムになった。
測定器での体年齢が15歳若返った。呼吸が非常に柔らかくなり、普段でも体の隅々が気持ちがいい。ちょっとした
待ち時間でも、瞑想状態に入れるので、頭がスカッとする。その程度の変化はある。いやこれでも自分には大変な変化
なのだが、周囲の人から見ればなにも変わらないだろう。

 自分は恋愛体質かも。なんだか気持ち良すぎる。坐禅に恋してしまった。
11月か12月にもう一度接心を受けてみようと思っているが、それより滝業みたいな苦行の方がいいのか。


152:神も仏も名無しさん
10/09/30 16:10:33 Q0UVfHvq
>>151
初心者がいきなり摂心、五ヶ月でそこまでというのは、かなり適性があるのでしょう。
道場によってもちがうけど、普通摂心では日に七時間以上すわるのだろうから。
山田耕雲氏の本で、外国人の女性がいきなりの摂心で見性したという実例を
書いていたけど、そういう体質に近いのかもしれませんね。
彼女は、座禅はまったく未経験だったが、ピアノ(?)の演奏家で、演奏する行為と
瞑想にはいる行為との間に共通する感じがあった、とかなんとか言っていたそうです。



153:神も仏も名無しさん
10/09/30 23:50:44 k9p0QJrR
>>147
素人座禅ですが、「頭の中でグリッ」という顕著な感じこそないものの
頭蓋の左右端(内側は前頭葉と側頭葉の境目辺り)がジンジンするよう
な感じがします。感覚のないはずの脳が刺激を受けて痺れているような
感覚です。マジメに始めて数カ月ですが、これは好ましい変化なのでしょ
うか?
そういえば、始めて間もない頃、瞑想したまま寝てしまって目覚めたら
頭の左右がエアバックみたいに膨らんで圧迫されている感じになったこ
ともありました。脳が左右それぞれ外側にはみだした感覚でした。

154:神も仏も名無しさん
10/10/01 12:34:36 vexgQho5
>>153
気にしない気にしない。

頭が刺激されるとか、目の前に光が現れるなんてのは誰にでもある。
見性前も見性後も何も変わらない。これが原則です。

155:神も仏も名無しさん
10/10/01 13:30:48 1w98NYSd
禅宗ではそういう言い方が普通なのかもしれないけど、
2chなどでは初めての人も多いだろうから、少し不親切な気がしないでもない。
見性してもする前とした後とでまったく変わらないなら修行しても意味がない。
なにが変わらずに、なにがかわるのか、そういうあたりを経験にもとずいて
面倒くさがらずに話すことが多少経験ある者たちのあるべき態度だと思うけど

156:神も仏も名無しさん
10/10/01 13:35:07 vexgQho5
>>155
禅宗じゃない。
本当に何も変わらない。
何か変わったとしても、何が変わったのかすらわからない。


157:神も仏も名無しさん
10/10/01 13:37:38 1w98NYSd
>>156
これは反論ではなく、ただ聞きたいだけなんだが、
であるならどこで見性したという境をつけられるのだろう

158:神も仏も名無しさん
10/10/01 13:48:47 vexgQho5
>>157
正直に何も変わってない。
あと見性とかいう大げさなもんじゃない。
昔からそうだったし、何だそんなことかと気づいただけだよ。

159:神も仏も名無しさん
10/10/02 03:49:35 zHd+Pzlu
>頭蓋の左右端(内側は前頭葉と側頭葉の境目辺り)がジンジンするよう
>な感じがします。感覚のないはずの脳が刺激を受けて痺れているような

 自分(初心者5か月)もそれはある。自分の場合、その感覚をボールに
して腹に落とすと気持ちがよくなる。
 上顎から舌をとおって喉に抜けるとき唾液がかなり出る。
そのあとは胸のあたりでスカッと広がる。気功に小周天というのがあって
経絡にそって気のボールを回すらしいのだが、遊びとしてそんなことを
試みたりしている。
 たぶんその「ジンジン」が気ではないかと思う。頭のてっぺんにできやすいが
前頭部にできると、集中し過ぎた時のような不快感(頭痛の手前?)があるので
腹に落とす。
 そうすると頭はスカッとするし、胸から下が宇宙空間のように広がる。
そこでボールは消える。
 こういう感覚は人それぞれではないかと思う。たぶん普段でも起こっている
のだか、頭痛のように強くならないと気が付かない。坐禅で心が静かになる
ので気が付くようになるのだろう。
 曹洞宗の坐禅では只管打坐で何も教えないけど、小乗では頭のてっぺんから
意識でスキャンするようなこともやるようだ。マスタベーションをわざわざ
教える必要はないというのが道元の考え方だろう。
 ブッダも弟子のマスタベーションには相当苦労したらしい。ありとあらゆる
方法を考え出してやり始める。
 まあほどほどに楽しんだらよいのでは。W


160:神も仏も名無しさん
10/10/02 15:23:33 I3uflNnk
うまくいえないが、脳がジンジンするのは、眠っていた部分が活性化するプロセスではないかなと自分は思う。
人は本来使える脳のほんのわずかしか一生の間につかわないというから、禅という特殊な状態に身をおけば、未経験な体感というのはいろいろ起こるだろうとは思う。
マスターベーションと道元の話はよくしらないが、性的な快感と瞑想にはいるときの感覚には共通するものがあるのではなかろうか。
ヨガでグンダリニーというのか、尾てい骨あたりから背骨を通って頭頂部にぬけるラインには、通常生活しているだけでは未開発な神経があるように感じる。
禅定にはいるとき、このラインがふくらむというか、しびれだすというか、気というのかパワーが貫通する。気持ちがいい。
自分の場合、頭頂部になんか厚い膜のようなものを感じて、そこが未開発な気がしている。
やぶれそうでやぶれない。やぶれたらすごく気持ちよさそうなんだが。
そんなふうに、禅ですわっていると見かけはただすわっているだけなんだが、脳や神経は異常なほど動いている。

161:神も仏も名無しさん
10/10/02 21:20:08 olXGLGeP
なんでチャクラの話になるんだ。
期待が膨らんでどんどん危険域に突入してる人が大杉。
もう知らん。あとは自己責任で。

162:153
10/10/02 22:20:38 CfWIz2qA
皆さん、さまざまなご意見をありがとうございます。
自分としましては、脳の意識のない部分が何かの自覚を示しているようにも
思われますし、また「気」の感じにも似ていると考えておりました。ただ、
それを腹に落とすというようなことには気づかなかったので、試してみます。

私は現在、人生の谷間みたいなところにあって実生活では苦悩の日々を過ご
しております。しかし、素人瞑想を始めてから、日々起こる不安や悲しみを
以前より楽に受け止める(というか、“うっちゃる”)ことが出来るように
なりました。
見性にはまだまだ遠いのでしょうが、ここを越えまた稜線を望む日の来るこ
とを希望といたします。

今後ともヨロシクお願いいたします。

163:神も仏も名無しさん
10/10/03 02:12:57 7VkOUoGy
>>162

あなたが法身です。

164:160
10/10/03 08:54:35 Mp6jFaeH
>>162
自分はジンジンは「脳の活性化するプロセス」と書きましたが、それが「気」てせはないという意味ではありません。
「気」とは人体をコントロールするエネルギーですから、脳に変革を加える場には当然強い気があつまるのも自然なことと思います。
自分は気の操作は上手ではありませんが、白隠の南蘇の法にもあるように、禅病や神経症の原因は頭に気がのぼりすぎて、イライラや不安感の原因になっている場合がある。
そういう場合に、白隠がしたように、頭にのぼっている「気」を下半身へさげていくことによって改善されることがあるのでしょう。
気孔では気のコントロールをよくいうようですが、禅においても大切なこととかんじます。


165:神も仏も名無しさん
10/10/03 11:56:50 7VkOUoGy
>>162

遠くない。
あなたはこれまでも今もこれからも自性清浄心だよ。

166:神も仏も名無しさん
10/10/03 23:00:54 bexFZ1pV
>>161
若さゆえ

167:神も仏も名無しさん
10/10/04 11:23:27 VMMvh6HE
只管打坐という。
坐禅は結跏趺坐でひたすら坐ることだが、
身体的な体が坐っているわけではない。
では、いったい何が坐っているというのか?
車ではなく牛をたたけ。

168:神も仏も名無しさん
10/10/04 11:45:13 O1MhMzXJ
ここは実践スレなんだから、つまらん禅問答はいらん

169:神も仏も名無しさん
10/10/04 12:08:06 i5ULzx4b
みなさんは座禅専用座布団とか使ってますか?

170:神も仏も名無しさん
10/10/05 08:53:44 n1YCxrul
家ですわるときは、やわらかめの座布団を折っている。
でも四角いとモモの裏あたりを圧迫してしびれてきたりするから、
寺でつかう丸い形の坐蒲(ざふ)があれば一番いいだろうね

171:神も仏も名無しさん
10/10/05 19:59:57 qRSimRjs
ありがとうございます。
やっぱ丸い坐蒲のほうがいいですか。調べたらamazonでも売っていたので購入してみます。

172:神も仏も名無しさん
10/10/06 03:55:02 QaD1E3ff
>160
神経だとか脳だとかで説明すると、なんとなく違和感を感じる。
意識そのものはもっと神秘的世界に属する気がする。
 最近読んだ「奇跡の脳」(ジルボルトテイラー)なんかによると、左脳が壊れると
ニルバーナの世界に入るらしい。坐禅をやってるものとしては少しショックだった。
寝たきりになると、筋肉が落ちて、骨が解けて歩けなくなるし、頭も馬鹿になるが、
坐禅をして思考を止めるというのは、ひょっとして、左脳が解けて馬鹿になっている
のではと思ったりもした。ある意味再構築としてはそういうことも部分的にはあり
うるのかもしれない。坐禅をして極端に馬鹿になっているような人も実際にはいる
ような気もする。「こいつ脳みそが解けているんじゃないのか?」というような宗教人
にも出会ったような気もする。
 睡眠は重要だが多すぎると有害だし、坐禅も多すぎると有害だろうと思う。
 自分はカルトと言われる集団の洗脳プログラムを受けたことがあるが、それもたったの
1週間程度だったが、かなり気持ちよく洗脳された。W
心理操作によれば、人格変容などは簡単に起こるし、脳というのは非常に危うい存在だ
というのを身に染みて感じた。
 とはいえ自分はそういう事柄(人間機械論?)に同意しているわけではない。

173:神も仏も名無しさん
10/10/06 17:15:26 dudjeHPZ
>>172

さすがに左脳が壊れるというのはない。
ただ右脳優位になると聞いたことはある。
つまり右脳が左脳の上位に立って左脳を支配するということ。

坐禅は思考を停止させることではない。
普通の人は左脳優位で頭の中がゴチャゴチャしてるが。

174:神も仏も名無しさん
10/10/06 17:47:21 a84yflNp
馬鹿になるというのが何をさすのか推測するしかないが、論理的思考が鈍るとか、
健忘とかをさすのだろうか。
それならば、当人が何をめざすのかという自覚によるのだろうと思います。
比喩がゆるされるなら、座禅とは、本来ひとつの自転車しかもたない人間が、
努力によって二つ目の自転車を得ることだ。そして二つ目の自転車ばかりこいでいたら、
そりゃもとの自転車はさびついてしまう。けれど、両方の自転車を按配よく乗っていれば、
どちらも良い状態をキープできる。それをするかしないかは、本人のライフプランをどこにおくかでしょう。
スピリチュアルな世界に埋没していきるか、あるいは世俗世界と精神世界を両立していくのか、
だとおもう。
「左脳が壊れるとニルバーナ」について私の理解では、左脳というのは、
水道でいうなら蛇口のようなものかもしれない。どれだけの量をどれだけの水圧でどれだけの時間開くか、
それを調節するのが蛇口であるとしたら、
左脳も人間の奥底に秘められた無尽蔵な知識を必要なときに必要なだけ出す蛇口であるとも言える。
それが本当に壊れたら、あるいは停止するだけでもそうだが、
それをニルヴァーナという名がふさわしいのか知らないが、
貯水湖そのものに触れることにはなるかもしれない。

175:神も仏も名無しさん
10/10/06 18:05:40 MIXn3bdx
初めてきたけど難しいなあ。
僕にはシッタカブッタ読んでる方があってそうです。

176:神も仏も名無しさん
10/10/06 19:01:43 MIXn3bdx
座禅組み 定印した手で 蚊を殺す

177:神も仏も名無しさん
10/10/08 07:43:55 Ttjd54Cp
人生楽しくいきるには、馬鹿になるのも悪いことばかりではない

178:神も仏も名無しさん
10/10/08 10:41:07 VX1Pvxdo
バカボン=薄伽梵=仏 ですよ。

179:神も仏も名無しさん
10/10/08 18:39:53 dtC0T2di
最近の楽しみは座禅しまま何センチジャンプ出来るのかという事だ。

180:神も仏も名無しさん
10/10/08 21:38:23 Ttjd54Cp
>>179
左脳をお大事に

181:神も仏も名無しさん
10/10/10 00:40:41 FMN3O4U9
これだけははっきりいえるが、最終到達点などというものはない。
節目節目での進歩や高い境地というものはあるが、無限にその奥はある。
だから、何かそこに到達したかのようなことを軽々しく語るような者たちの話は、
聞き流す程度がよろしかろう。

182:神も仏も名無しさん
10/10/10 19:11:43 xBRt04WR
>貯水湖そのものに触れることにはなるかもしれない。

これはいいたとえだね。

>これだけははっきりいえるが、最終到達点などというものはない。

あるかないかは行った人でなければわからない。だからあるかもしれないし、
ないかもしれない。
 芋虫が蛹になり蝶になったら、それは最終到達点だ。蝶もあっちの蜜を吸い
こっちの蜜を吸いしているうちに少しは進歩するかもしれないが、芋虫からの
変容に比較したら微々たるものだ。
 今、芋虫のあなたも、もし蝶に解脱したら、それは最終到達点と思ってもよい
でしょう。これは十分ありうる。もちろん私には真偽はわからない。

183:ケンシロウ
10/10/11 18:50:40 ET8L9k5i
あるのかないのかどっちなんだ?

だからないアルよ~!!!

184:神も仏も名無しさん
10/10/11 21:03:43 xjBItWgQ
唯識思想でいえば、アラヤ識というのがある。
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識は読んで字の通りで、
その奥にマナ識があり、それはいわゆる個人的な無意識とか潜在意識というものだろうか。
そして、その奥にアラヤ識という、集合的無意識とでもいうのか、人類規模にさかのぼる無意識の世界があるという。
普通、禅とか瞑想とかいうと、この世界にアクセスすることが目標というか、願望というふうにとらえられる場合が多いのではなかろうか。
が、唯識思想では、その奥にもアマラ識、ケンリツダヤ識といわれるものがあるらしい。
おそらく宇宙の果ての果てのような無意識をさすのだろうが、想像もつかぬ。
ヨガの瞑想でも進歩の段階を七つほどに分類していて、最後の段階はまったく自我を喪失した、限りなく死にちかいものとされていたような気がする。

というように、仮にあると仮定したところで、そうしたものなのであって、宇宙が有限であるのは確かだが人間からすれば限りなく無限と同等であるのとかわらない。
まぁ、悟ったとか見性したとか言いたい気持ちもわかるが、少しずつの進歩を謙虚に喜ぼうということだ。



185:神も仏も名無しさん
10/10/11 23:22:18 uurfOWXF
荒屋敷

県立陀屋敷w

186:神も仏も名無しさん
10/10/12 10:36:24 /7dcm4ZC
止観双運。
瞑想の入門書を読むと止と観のバランスが大切だと書いてあった。今は只管打坐を
やっている。これは止のことだろうか? これだけをやっているが、どのあたりから
観の練習をすればよいのだろう? そもそも観の練習はどうやるのだ。
一つの方法として、「まず呼吸に気づき、それから身体の精妙な動きに気づき、
さらには心の動きに気づき、そして心の本源(意識、無)に気づく。」
と書いてあったような気がする。立ち読みなので忘れたが、要点としては、先ずは
止により定力(集中力)を鍛えて、観ができる力を養う。
 止は自分にとっては驚くべき方法だった。
 しかし観とは何なのか? 「気づく」てどういうことなんだ? 止に比べて観は
方法論的にあいまいな感じがする。 ラべリング? あれはどうも納得できない。
率直に違和感がある。
 素直に考えると観の方法論としては現代的にベストな方法は哲学ではないだろうか?
仏教哲学には唯識なるものがあるらしいが、修行としてはべつにそんなわけのわからん
ものをやる必要はない。あるいは心理学という選択もあるかもしれない。

187:神も仏も名無しさん
10/10/12 12:54:00 pFZZ5y0B
>>186
昔の俺だ。
座る、ごちゃごちゃ考える、座る、ごちゃごちゃ考える、座る、ごちゃごちゃ考える、のループ。

ある日の「気づき」ですべて氷解したがね。

188:神も仏も名無しさん
10/10/12 14:00:20 HfI5oe9N
そうか。やぱり、観とは「ごちゃごちゃ考える」ことなのか。
 最近プラユキ・ナラテボーの”「気づきの瞑想」を生きる”って本を読んだが、
そのあたりのことが詳しくかいてあってすごく参考になった。
この人は非常にバランスのとれた悟りかたをしているという印象をうけた。
仏典の和訳による引用もセンスがいい。
 たとえば、
 
これある時に、かれ在り
これ生ずるが故に、かれ生ず
これなきときに、かれ無し
これ滅するがゆえに彼滅す

 とか、他にもカーラーマ経の引用だとかもセンスがいい。漢語をベタベタ貼り付ける
のはどうも好きになれん。慣れの問題とは思うが、漢文ベタベタは品格と言い情緒と
いい随分格下に見える。

一番印象に残ったのは、瞑想髄煩悩で
 静謐(シーン)
 確信(これっきゃない)
 理解(わかっちゃった)
 .....そのた。
自分にピッタリ当て嵌まっていて驚いた。

189:神も仏も名無しさん
10/10/12 21:19:18 R2DYm6BF
つまり、わかったと言う事はわからんと言う事だ。

190:神も仏も名無しさん
10/10/12 22:07:13 meXoc9OR
安定して入れるようになると、もう止とか観とか無意味になるのは確かかもね

191:神も仏も名無しさん
10/10/12 22:11:07 Jldm6bM9
>>187
“ある日の「気づき」”がどういうものであったのか教えて戴けないでしょうか。
 
 私も
“座る、ごちゃごちゃ考える、座る、ごちゃごちゃ考える、座る、ごく稀に透き通る、
座る、ごちゃごちゃ考える・・・” なんです。

192:神も仏も名無しさん
10/10/12 22:15:42 meXoc9OR
鉄棒の逆上がりとか自転車とか、できないときって、いろいろ考えるよね
勢いをどのくらいつけるかとか、どこに体重のせるかとか
できるようになると、もう何も考えない

193:神も仏も名無しさん
10/10/13 11:20:33 MJX96vLN
>>191

そういうのは知らない方がいいだろう。
知るとあなたはそれを目標にしてしま
う。そうなるとさらに遠ざかる。鼻先
に人参をぶら下げて全力疾走しても永
遠に人参に手が届かない状態になる。
確かに目的や目標のような指標がある
とわかりやすい。だが坐禅に関しては
方法はない。実践の期間もない。そし
て、目的はない。
あなたは今でも、いつでも気づいてい
る。「気づいているはずだ」ではない。
現に「気づいている」のだ。

194:神も仏も名無しさん
10/10/13 13:36:06 iNnftwAG
座禅しながら今日の晩飯の事でも考えているのがよい。

195:神も仏も名無しさん
10/10/13 14:35:44 iNnftwAG
何かに気付き、その度に何かを見落としてるかもしれないし、見落としてないかもしれない。

196:神も仏も名無しさん
10/10/13 21:04:53 hii983/I
家で座ってる人は法界定印にこだわりあるのかな
自分は法界定印だと肩がこるので、
ヨーガ風に手の甲をひざにのせているけど、
道元は法界定印の必然性になんといっているのだろう

197:神も仏も名無しさん
10/10/13 21:28:30 jovsTdGg
座り方の問題では?
自分も最初はハンカフザでやってたら肩こってしょうがなかったけど
両足重ねないタイプのあぐらにしたら良くなったよ

198:神も仏も名無しさん
10/10/14 09:48:32 EjPOfZos
気づきとか色々言い方はそれぞれだけど、
ひとつの入口の目安としては、空間、時間認識があいまいになるというのは
いえるかもしれない。
左脳的時間認識がにぶると、一時間が五分にしかかんじられなかったり、
三時間すわってたのに、一瞬だったような気がしたり。
時計の針が気になるようなら、まだ左脳がビンビンに生きているという目安かな

199:神も仏も名無しさん
10/10/15 05:38:00 q+FS3juJ
聞いた話だが、10年近く本気で修行した僧などは、
摂心などでは日に何時間の座禅を一週間もつづけるわけだが、
やっている本人は何時間もすわっている自覚はないらしい。
すわれば知らぬうちに終わりの鐘がなる。
すわったと思ったら一瞬でおわっている。
だからこそ、あれだけの長時間あの姿勢でなんともなくいられるのでしょう

200:神も仏も名無しさん
10/10/17 04:05:52 uUjdwPTB
中級者向けのいい本ないかな
座りもしないで知識だけで書いてるようなのではなくて、
実践にもとずいた

201:神も仏も名無しさん
10/10/17 05:25:33 ZXkyF7m0
 本を探すのも修行

202:神も仏も名無しさん
10/10/17 09:06:02 ZXkyF7m0
 ダライラマの「大乗の瞑想法」に書いてあったが、坐禅で集中力をつけて
その集中力で法を分析する。それが「観」だそうだ。
分析というのは、それに先立って完全に理解したものを、ディヤーナの
状態で分析することをいう。
 さらに「理解」とは
1)完全に覚える。
2)唱和する。
3)徹底的に考える。
 が必要条件ということだ。

まとめると
第一段階の理解:文章を記憶する。声にだして表現できる。意味を完全に理解している。
第二段階としての観(分析):ディヤーナに入る。理解したものを深く集中的に考察する。

観の対象は12分教?となっていたが、現代的には好みの哲学書と考えていいだろう。
 こうなると、左脳の使い方も半端じゃない。


 坐禅を修行と考える人が多いが坐禅は修行ではなくて遊びか休憩かもしくは寝ることだ。
覚めた状態で寝るのが坐禅の特徴だろう。
そして「観」が修行なのだ。

>方法はない。実践の期間もない。そし
>て、目的はない。

 これはまさしく「遊び」の特徴だ。理由も目的も時間もなく無条件に面白い。それが遊びだ。
しかし遊んでばかりではダメ。目標をたててちゃんと勉強しなさい。


203:神も仏も名無しさん
10/10/17 09:24:07 ZXkyF7m0
 孔子は「よく遊びよく学べ」と言った。これこそが止観である。「止」つまり坐禅ばかり
ではだめだ。しかし「遊び」や「休憩」や「寝ること」を低くみるのはこれもまた間違いだ。
遊びは非常に大切で、しかも強力だ。遊びによって定力(集中力)が着く。
 坐禅は驚くべき遊びだ。こんな遊びを嘗て知らなかった。坐禅をはじめてから他の遊びは
どうでもよくなった。もう一生遊んで暮らせる。


204:真言・念仏・禅は謗法邪宗
10/10/17 21:12:03 bhE5zqpR
(よく誤解されるのでことわっておきますが、私はどの宗教団体とも関係ないです)

「真言・念仏・禅」の邪宗が多い理由。まず、邪義「真言」が、なぜ広まったのか。
それは、像法の末に伝教(最澄)が「法華経最第一」を確立した「後」に、
空海(弘法)によって伝来したからである。

つまり、天台・伝教の破折を「まぬかれている」のだ。

伝教(最澄)が南都六宗の邪義を破った後に、空海(弘法)によって伝来した真言が、
後に天台宗の人々が真言に「籠絡されていく落とし穴」となってしまった。

真言は、天台の一念三千の法を「盗み入れて」自宗の極理となし、「真言宗は天台宗と
法理の次元では同じだが、天台宗にない印と真言という事相があるから勝れている」
との邪義を立てた。その策略にかかり、天台宗を真言へとおとしめてしまったのが
比叡山第3代座主の「慈覚(円仁)」である。

伝教が一生の闘争で確立した「法華経最第一」の原則を崩し、「理同事勝」の邪義を唱え、
天台宗の真言密教化に踏み切ってしまった慈覚が、謗法の端緒を開く元凶となった。
さらに、慈覚の弟子「安然」は、禅宗を促し、「恵心」は、念仏を広める役割をした。

高徳・碩学と仰がれた慈覚が、後世の安然や恵心の邪義を引き出す呼び水になったのだ。
法をより深くむしばむ害虫は、他宗ではなく正法を護るべき天台宗の中にいた。
(よって現在の天台宗は、慈覚・安然・恵心の謗法を引継ぐ邪宗・謗法宗である)

そして、謗法に毒された人々を救うため、末法悪世の変革のために、次々と起こる
大難・迫害に命がけで戦い勝ち越えてきた、末法における妙法流布の法華経の行者が
日蓮である。謗法の人々も今は法華経を誹謗しているが、亡国・亡身の危機に直面した
とき、一切の仏寺・一切の神寺を捨てて、「南無妙法蓮華経」と唱えるようになるだろう。





205:神も仏も名無しさん
10/10/18 11:27:16 XXUF43f2
よく座禅において、別の目的のために座禅することを凡夫禅というらしいね。
たとえば健康のためとか、人間関係をよくするとか、仕事を繁盛させたいとか
本来座禅には目的というものはなく、座禅そのものが目的であるからということらしい。
で、自分についていうと、数年前に個人的に不幸があり、
またそれに関連する出来事について怒りと後悔が消えない。
四六時中そのことを考え、腹が立ったり他人にあたったり意気消沈したり。
で、こうした不快感を招いているのは、つまるところ他人とか出来事にあるのではなくて、
それを感じる自分の心に原因があるのではないか、自我をどうかすることでこの苦しみは
消えるのではなかろうか。
自分が座禅を始めた動機はそうしたものだった。思う結果がでているかどうかは修行途上だからひかえるべきだが、方向性はみえているような気がしてきた。
えらい禅僧は、禅をこころざす心が大事だとはよくいわれるようですが、
ここのみなさんはどういう動機から座禅をされるようになったのだろうか、聞いてみたい気もいたします。


206:神も仏も名無しさん
10/10/18 19:27:33 WCWsPFwF
>>205
自分の場合は、しいて言えば暇だから、かなあ
人生退屈だし、余暇の時間にすることもないし、坐禅でもするか
っていう感じ
そんな立派な動機とかはなかったなあ
はじめて2年ほどたつけど、見性の兆し的なものもないし、まあこうやって座ってもやっぱり何もならずに死ぬのかなあ、みたいな感じ

207:神も仏も名無しさん
10/10/19 08:50:51 QilCorPX
さすがにマジメな禅入門書には書けないだろうけど、
頭をカラにするとか、すべてを投げ出すような気持ちとか、身心脱落とかいうのって、
平たく言うと性行為でイクときのような気持ちをいうような気がする。
もうなにもかもどうでもいいから好きなようにしてくれ、と
まじめな場ではもちろんそんな表現できないから小難しい言い方をするけどね

208:神も仏も名無しさん
10/10/19 21:27:17 zoepaaWZ
初心者ですが質問させてください。
坐るとほどなく視界がモノクロ・ネガポジ逆転したり、
全体に変色します。
また見えている物の境界がにじんだり、ぶれたり
渦をまくように動いたりします。
>>5氏と似たような感じかとも思いますが、坐禅的に
この状態は正しいのでしょうか?
坐って一点を見つめるというような事は自分には
すぐに上のような状態となり無理なのですが、
このまま座り続けてもよいものでしょうか?

209:神も仏も名無しさん
10/10/20 05:34:48 YVyYn3gj
そんな現象が起こる人がうらやましい。俺はそういうのは起こらん。
頭が弱いのだろう。芸術家にはそういうのが多い気がする。常人には
見えないものが見える。
俺は頭が強いんで、酒のんでも酔わないし、葬式にでて笑ったりする。W
 しかし、坐禅をすると多少まともになる。笑わないし、ちゃんと静寂に入る。
精神的には変化がないが、肉体的変化が大きい。タコのように体が柔らかくなった。
ヨガをやってる嫁よりも坐禅しかやらない俺の方がヨーガのポーズがキチッと
決まる。まるで時間が止まったようにピタッと静止する。


210:神も仏も名無しさん
10/10/20 07:55:23 Vw+bvxEG
>>208
半眼にする理由は、眠気をそらす、意識を目にむけて雑念をへらす、といったあたりかと思われる。
だから、眠気をもよおさず、雑念をおさえることができるのであれば、絶対必要というものではないと個人的には思う。
ヨーガの瞑想では目をとじる場合も多いのではないかな
信頼できる禅宗の方の本には、その人は一点をみつめていると気持ちがわるくなって吐き気さえもよおすので、
目はほとんどつかわずに、外界の生活音に耳をすまし「聞くともなく聞く」という方法で雑念を消すとも書かれていました

211:208
10/10/20 23:41:19 VjVRls/6
お二方レスありがとうございます。
アプローチは人それぞれという事でしょうか。
余計な事を気にせず雑念を消してみます。


212:神も仏も名無しさん
10/10/21 08:12:13 CTc9T+Zj
みんな体型も体質もちがうのに同じやり方を強制するほうに無理がある
大事なのはどうすれば一番頭をカラにできて安定した体制を長時間たもてるか、
自分で試行錯誤するしかない

213:神も仏も名無しさん
10/10/22 06:50:20 AKAjY2Fq
 慣れてくると歩いていても瞑想できるんだろか?
できれば、仕事しながら瞑想していたい。


214:神も仏も名無しさん
10/10/22 08:18:51 Ff3OWonu
>>213
交通事故に気をつけよう

215:神も仏も名無しさん
10/10/22 17:32:42 AltK1zYN
>>213
私が通ってる禅センターのお師匠の師匠がそんな事をいってたらしいよ。
禅なんて運転しながらでもできる、というか禅センターでの座禅は、
不安などに心を惑わされない様に雑念を消して日常生活を送ることができる様になるための訓練だと。

216:神も仏も名無しさん
10/10/22 21:43:31 Ff3OWonu
禅の修行をつむことで「不安などに心を惑わされない様に雑念を消して日常生活を送ることができる」
平常心をつねにもちつづけられる。だから活動してようと座っていようと常に同じ平常心をもてる、という意味ならわかるが、
本当に禅定にはいると意識はとぶので、少し誤解をまねきやすいかもしれないね

217:教外別伝・不立文字【邪義】
10/10/23 00:38:00 9OM/C2eY
禅は、教外別伝・不立文字の「邪義」

「教外別伝・不立文字」の自己矛盾が禅宗。
釈尊が禅の一法を迦葉に拈華微笑して、教を離れて別に伝え付嘱したというが
それをいうこと自体が「教」になっている。
また、「文字を立てず」というが、そのことを言葉にして語れば、「教」であり、
「文字」を立てていることになる。
また、人に伝える時には、言葉や文字を使わなければ弘通できない。
達磨が説いた「直指人心・見性成仏」の義も、法華已前の権大乗教ですら説いている
低い教えにすぎない。
言葉で表せない悟りに到るために教えが説かれたのであって、この教えを不要というのは
目的地へ行く道を否定するのと同じで、それでは、目的地に到着できない。

218:神も仏も名無しさん
10/10/23 01:27:59 UAdg3ADB
そうかな?よく分かんねーや

219:神も仏も名無しさん
10/10/23 06:36:34 5p3PLeo1
月を指す指をうんたらかんたら

220:神も仏も名無しさん
10/10/23 08:56:48 4cW2ywyY
言葉や理屈で悟れないのは本当かと。
言葉は道路標識かな。方向をしめすだけで、自分で歩いていくしかない。
歩行禅については、禅の熟練者ならば意識の操作に慣れていて、ブロック単位のon off
が可能ではあるかもしれない。ふくろうは外敵から身をまもるために半身寝かせて
半身目覚めているというが、熟練した禅者もそうしたことができるかもしれない。
が、それはそうした境地に到達した人たちの余技というか試みといった類のものであって、
入門者とはなんのかかわりもない世界かと思われる。
まずは座りに座りぬいて「三昧」とはどういうものか知ってからだ

221:神も仏も名無しさん
10/10/24 13:19:56 1dIThU3G
禅と呼吸法を混同している人がいるのは注意が必要かな
腹式呼吸とか丹田呼吸というのは、副交感神経優位になってリラックス効果があり、
また酸素を多くとりこみ血液の循環をよくするが、そうしたリラックス効果と
禅でいう瞑想とか禅定とはまったく異質のものだ。
禅では呼吸法とか数息感というのは心身を安定させるプロセスにすぎず、
一度禅定にはいるともはや無呼吸といわないまでも微呼吸状態といってもよく、
呼吸法などはもはやほとんど意味をなさない。

222:神も仏も名無しさん
10/10/24 20:32:33 X8PHLVoO
 確かに微呼吸状態になる禅定もあるようだが、全部がそうじゃないと思う。
そういうことを書いている人は天外司郎氏しかしらない。
あまり一般的じゃないのでは?


223:神も仏も名無しさん
10/10/24 21:11:11 1dIThU3G
曹洞宗の南直哉氏が無呼吸をほのめかしていたが、本意は「大事なのは呼吸ではなくて、
瞑想状態にはいれるのであれば、呼吸法など個人個人にあった方法でいい」という
はばのひろいニュアンスだったように記憶している。
曹洞宗公式サイトの「座禅の作法」でも呼吸法については、「深々と息を鼻から吸い込み、
これを徐々に口から吐き出します。この深呼吸を数回行った後は、
自然と鼻からの呼吸にまかせます。」
とあり、「自然にまかせる」ことをよしとしている。
私がいいたかったのは、変に呼吸法と禅を結びつける態度は誤解をまねきやすいのではないかということです。

224:神も仏も名無しさん
10/10/25 00:18:40 oe1aTlQT
街の中を歩く時は無理だが、
山登りの時など無心で登っている時がある事に気がついた。
無意識で歩行禅の様な状態になっているという事か。

225:神も仏も名無しさん
10/10/25 04:29:40 VIkAaSX/
 接心では呼吸を数える方法で指導を受けたが、呼吸を数える方法や呼吸を見つめる
方法ではなかなか禅定には入れなかった。自分が禅定に入るコツは
1)結跏趺坐であること
2)なにもしないで静止すること
このふたつ。呼吸を数えたり意識するのをやめることで禅定にはいれるようになった。
 恐らくこれを只管打坐というのではあるまいか?
逆に坐禅ができるようになって、はじめて呼吸を見つめることができるようになった。
「微呼吸状態」というのは代謝が非常に落ちた状態で、かなり深い禅定なのではあるまいか。
自分の場合はそんなに深い禅定には入れない。呼吸がゆっくりになり、軽い変性意識状態に
なる程度。
 座り続けると徐々に深まって微呼吸状態になるのだろうか? それともまったく違った
種類の禅定なのだろうか?


226:神も仏も名無しさん
10/10/25 07:53:31 bdXLi/pm
君たちはね、難しく考えすぎ。
そういう俺は簡単に考えすぎ。

227:神も仏も名無しさん
10/10/25 08:10:45 V7ydeKpI
難しく考えようと易しく考えようと禅定にはいれればいいのだ。
禅定には深浅があり、ある意味そこからが本物の修行であるともいえる。
禅定にはいれるようになった、もうわかっちゃったからいいや的な人は、オードブルだけ
食べて帰ってしまう人とかわらない。高僧でもそういう人がままいる。

228:神も仏も名無しさん
10/10/25 09:12:00 bdXLi/pm
射精する瞬間は確かに禅定に入っている気はする



うっ!!!

229:神も仏も名無しさん
10/10/25 13:39:45 V7ydeKpI
性的快感というと不真面目な話題にとられがちだが、
人間には本来薬物も酒もつかわずに、自力だけで陶酔をうめるようにできている。
ただ、それを意図的に、持続的にやれるようにするとアホになるから、
うまいこと中々できないような具合にできている。
ヨーガのクンダリニーというのは、まさにそれを目覚めさせて支配しようという試みといえる。
禅修業などやるような人間は当然自制心があるから、そうした陶酔感を永続的に生産的に活用できる。
前の人が驚くべき遊びといっていたが、使う人によってはアホにもなり、賢く使えばすばらしい玩具にもなる。

230:神も仏も名無しさん
10/10/25 16:39:35 QJxrmF+6
禅の呼吸法は

"Who am I?"  と鼻から息を吸い込んで
"I don't know…" と口からゆっくり吐き出す

とアメリカで習った。

231:神も仏も名無しさん
10/10/26 10:43:56 f3nYByGd
数息感は「数える」という思考が邪魔になるから、
そのアメリカ式はお経とおなじように、言葉に意識を向けられるから有効かもしれないね
なにもわかんない 私は誰? ってのはおもろいw

232:神も仏も名無しさん
10/10/26 14:45:41 NQr1c+ar
     /\___/ヽ
   / -‐'  'ー-  \
  . | (●),(、_,)、(●) ::| スウーッ
  |    /,.ー-‐、i  :::::|<Who am I?
  |    //⌒ヽヽ  .::|
  |    ヽー-‐ノ  :::::|
   \    ̄   ...::/
   /`ー‐--‐‐―´\



     /\___/\
    / ⌒   ⌒  ::\
    | (●), 、 (●)、 :|
   |  ,,ノ(、_, )ヽ、,   ::|<I dont know!!
   |   ト‐=‐ァ'   :|
   |   |,r- r- |   .:::|      
    \  `ニニ´  .:/     
    /`ー‐--‐‐一''´\

233:神も仏も名無しさん
10/10/27 08:18:17 XTelcapj
人には寝付きやすい人と寝付きにくい人がいる。
ふとんと枕があればコトンと寝てしまうような人は呼吸法なぞ必要ないし、
睡眠薬のんだり苦労しないと眠れないひとは呼吸法をつかって気持ちをおちつかせる。
ということであって、最終的には呼吸法は禅において本質的な要素ではない。

234:神も仏も名無しさん
10/10/28 08:05:13 yhVTxE0t
このこと言う人少ないけど、音楽かけて座るのは意外とありなんじゃないかな
ホロトロピックセラピーで過呼吸やるときも音楽かけるし、瞑想のセミナーでも
特殊な周波数の音をかけたりする。
要は、音に意識をむけることで思考を遠ざけるというわけで、理にかなっていると思うが

235:神も仏も名無しさん
10/10/28 10:33:32 yhVTxE0t
性行為をすると、心臓病のリスクが半減する! 「」
スレリンク(newsplus板)

おそらく性的快感にはセロトニンとかβエンドルフィンとかが密接に関係していて、
心のストレス解消や苦痛軽減、もっといえば日常生活を楽しく暮らすことができることにつながる、という話かと思われる。
禅や瞑想も、こうした話からそれほど遠い話ではないのだ。
ひらたくいうなら、禅や瞑想とは、意図的にセロトニンやβエンドルフィン等の脳内麻薬や快感神経を支配制御することにほかならない。

236:神も仏も名無しさん
10/10/28 14:06:31 xk/g2yzD
     /\___/\
    / ⌒   ⌒  ::\
    | (●), 、 (●)、 :|
   |  ,,ノ(、_, )ヽ、,   ::|<I dont know!!
   |   ト‐=‐ァ'   :|
   |   |,r- r- |   .:::|      
    \  `ニニ´  .:/     
    /`ー‐--‐‐一''´\

237:神も仏も名無しさん
10/10/29 21:53:06 W6yyqkkA
下手な瞑想と上手な瞑想がある。マントラ(お経)や旋回や凝視や、そんな瞑想は
下手な瞑想で、只管打坐が一番上等な瞑想だ。と思いつつ、夢の中でうろ覚えの
お経を唱えながら、心と体がどんどん変わっていくのを感じる。
「お経はこんな風に読むのか」と納得している。そういう不思議な夢を見た。
普段、お経は唱えない。重要とも思っていない。しかし深層ではお経の不思議な効用
を知っているのかもしれない。


238:神も仏も名無しさん
10/10/30 01:16:48 larPS+jl
知っているかもしれないし知ってないかもしれない

239:神も仏も名無しさん
10/10/30 09:34:43 JJdEgym2
TM瞑想のような無宗教の合理的セミナーなんかでも、
ある種お経のような言葉をえんえんと唱え続けたりする。
要は、人間てのは普通にしていると晩のオカズのことや、
仕事の得意先の顔色やら、女子高生のミニスカとかが頭にうかんできたりするもんだから、
なにかそうした意識をそらせるツールが必要ってことだよ。
滝にうたれるのもしかり。お経しかり。マラソンや登山で無心になるというのもそうかもしれない。
方法は数あっても目的はほぼひとつであり、意識を統一することであって、
それが徹底されたときにおどろくべきことがおこるというわけだが、その道は簡単ではない。

240:神も仏も名無しさん
10/10/31 03:16:37 fMRgWZWq
経だとか無理に考えることはない
自立訓練法ってやつ、あれはかなりいい、意識を統一させようと努力するのは無駄だ
意識はあるままにある、とらわれずに内観せよ、無心に「なる」のではない、無心で「ある」のだ

241:神も仏も名無しさん
10/10/31 09:31:09 uupEjorL
     /\___/\
    / ⌒   ⌒  ::\
    | (●), 、 (●)、 :|
   |  ,,ノ(、_, )ヽ、,   ::|<Oh! I know!! I stood on the mountaintop!! It's SATORI!!
   |   ト‐=‐ァ'   :|
   |   |,r- r- |   .:::|      
    \  `ニニ´  .:/     
    /`ー‐--‐‐一''´ \
    \          /
     \        /
      \      /
       \    /
        \  /
         \/
        【切り株】

242:神も仏も名無しさん
10/10/31 09:50:39 qqDW8xyb
言葉は難しいけど、「意識の統一」というのは肩に力がはいって「統一してやる」っていう
意識がちょっとうるさい感じ
「意識の解放」「意識をとっぱらう」そんな感じ。

243:神も仏も名無しさん
10/11/01 13:27:53 /GMgbQnS
難しい話しても意味ない大衆にお経というものを考案した
一遍とか法然というのはえらいね

244:神も仏も名無しさん
10/11/03 15:27:36 +1+vMeQ+
道元が立派なのはいうまでもないが、やや秀才肌向けかな

245:神も仏も名無しさん
10/11/05 17:02:15 md3tl5Uz
最近アーユルヴェーダに関する本よんでいたら、
寝ている人のミケンにオイルを長時間たらすんだってね
まぁいってみれば滝行で水の勢いのために通常の意識をわすれてしまうように、
ミケンのオイルに意識がむかうことによって、日常意識から離れるというものなのかもしれない。
なにしろ素人だからくわしくはしらないが。
ただ、思うのは、日常的な意識、思考、そういうものから離れるということには、偉大ななにかがあるのだろう

246:神も仏も名無しさん
10/11/07 09:54:30 yp95rMDs
坐禅歴6か月
 昨日は久しぶりにはらわたが煮えくり返った。
坐禅は随分上達したつもりでいたが、感情コントロールはまだまだ全然できない。
大手企業の脳タリンがエラそうに難癖をつけてくるとシバキ倒してやりたくなる。
このまま坐禅を続けていたら、そのうち感情コントロールはできるようになるんだろうか?
感情コントロールは坐禅とは関係ないかもしれないな。


247:神も仏も名無しさん
10/11/07 13:27:19 Za1Nj25R
自分もこの間、細かい事がいろいろと重なり
イライラが抑えきれなくて困った。
禅の時のように呼吸を整えたりしたけどダメだった。

まだまだ禅が足りないのだろうか?
脳内物質の湧き方と分解のされ方の問題か?

248:神も仏も名無しさん
10/11/07 14:49:20 FGgPqwW0
以前総持寺の参禅会へいったときに聞いた話では、
禅修業をつむと第一次感情をもつことは当然ながらあるが、
第二次感情をもつことはなくなる、もしくは少なくなるという話をしていた。
つまり、誰かにムカツク。これが一次感情だ。まぁそんなのは誰にでもある。
が、その相手を恨んだりいじめたりいやがらせしたいとかいう、
持続的な感情、これを二次感情というのだと.思われるが、それがなくなるという意味らしい。
もっとも修行の優劣によって差はでてくるだろうし、すぐにそうなれるものでもなかろうが

249:神も仏も名無しさん
10/11/07 14:57:40 FGgPqwW0
>>247
>脳内物質

禅の効果は脳内物質のコントロールというような説もあるようだが、
むしろ、日頃つかう脳の変化というのもあると思う。
怒ったり劣等感もったり憎んだり嫉妬したり、そういうことをする脳を
我々は生まれつきつかっきているわけだが、それとは別の脳をつくりだすこと。
ぜんぜんいままでの価値観とはちがう価値観をもった脳を、脳のなかに育てること。


250:247
10/11/07 17:34:32 Za1Nj25R
>>248,>>249
ありがとう。
2次感情の抑制という部分では少しずつ実感出来て
いるので、新しい脳の形成が出来る様さらに精進します。

251:神も仏も名無しさん
10/11/07 20:01:38 4qRoIG7s
おだてられればいい気になる。悪口言われりゃ腹が立つ。
これはどうしようもない事だ。
それを受け入れたら後は他人の事などほうっておきなさい。

252:神も仏も名無しさん
10/11/08 08:27:38 gRu7JeUm
ほうっておくということができるようになるための修行かもね、禅て


253:神も仏も名無しさん
10/11/08 23:45:43 w6vw1F/I
思い出したらまたはらわたが煮えくり返ってきた。



254:神も仏も名無しさん
10/11/09 06:50:20 QJgKL35U
 怒鳴りまくる奴って、怒鳴ったことをケロッと忘れてる。普段は普通なのだが
機嫌を損ねると、怒鳴り始める。しかししばらくしたらケロッとしている。
 ある部位の記憶に障害があるのではないだろうか? 怒りと記憶は関連している
気がする。
 逆に、必要な時に怒りが発生しないのは明らかに問題だが、怒りが生じたにせよ、
それが記憶に残らないというのも何らかの問題?があるのではないか。
 そこは微妙なところがあるように思う。
 怒り狂う人と逆に怒りの生じない人、 性格的には全く別のように思えるが、実は
構造的には似ているように思う。
坐禅は脳の構造を変えるきわめて強力な方法だと思う。強力が故に決して安全とは
言えない。失敗の可能性もあるし、可能性どころか失敗の方が多いかもしれない。
 臨在の公案禅なんかを読んでいてもそんなことを感じたことがある。どこか狂って
いる感じがある。


255:神も仏も名無しさん
10/11/09 08:39:55 WDnGQSwl
記憶がなくなるというのとは少しちがうのではないかな。
主観的から客観的になる、という言い方はどうだろうか。
恋でも、ほれまくっている最中は会いたい一心で仕事も勉強も手につかないで、
相手のことばっか考えている。が、恋がさめてしまえば魔法もとけて正常にもどる。
かといって、恋していた記憶がなくなるのでもなく、してきたことバカさかげんを忘れたわけでもない。
つまり、客観的に冷静に自分をみつめることができるようになったわけだ。
恋がそうなるには時間がかかるが、怒りや悲しみといった感情も原理的には似たようなもので、
親や子供が死ねば自殺したくなるほどさびしいが時間が解決してくれる。
これもまた主観が客観へと移行するからといえなくもない。
禅者は、そうした過程が、通常のひとたちよりもすみやかにというか、即座に近い形で
おこなわれるという言い方はどうだろう。

256:神も仏も名無しさん
10/11/09 10:56:03 hMss0+PX
スレ違いのようで恐縮ですが、
剣と禅のつながりについて少し。
剣道では”残心”という言葉があって、打ち合った後に振り向き、
必ず残心の構えを取らなければなりません。

残心の構えとは、相手の喉元に竹刀を向け
常に臨戦態勢であるという意味です。
同時にもう一つ意味があり、
振り返って残心した時点で、過去の打ち合いの事は水に流そう。
打ち合えば当然、どちらかが打たれる訳ですが、
そういったものを引きずるのではなく、一度、過去を清算しようではないかいう意味があります。

257:神も仏も名無しさん
10/11/09 17:34:18 WDnGQSwl
>>254
>失敗の可能性もあるし

失敗なのかプロセスなのかは誰にも分からないね。
自分も座禅を続けていたことで過去の不愉快な記憶がこびりついて苦痛になることもあるし、
不安神経症のように小さなことが気になったり、被害妄想がおこることもないわけではなかつた。
禅は、脳のソフト的改変というより、ハード的改変といえるから、予測不能な変化がおこりかねないのは確か。
でも、フィギアの選手が身長がのびたことでジャンプできなくなったからといって、それを失敗といえるだろうか。
それに順応させてさらにいいジャンプできるようにすればいい。
自分は座禅によって時には起こる苦痛はプロセスにすぎず、かならずや良い方向へ向かうことを信じている。

258:神も仏も名無しさん
10/11/11 08:53:28 LKikjjYP
たけしの家庭の医学で座禅による副交感神経の推移を調べていたが、
座禅未経験者に目をばっちりあけさせていたけど、あんなにしっかりあけると
目痛くならないのかな
だけど、座禅や瞑想の目的を副交感神経上昇によるリラックスととらえちゃうと、
もうあれだよなぁw

259:神も仏も名無しさん
10/11/14 22:11:16 ce0X6EaL
科学者は禅を副交感神経とかセロトニンとかシータ波とかで説明したがる傾向があるみたいだけど、
「左脳優位から右脳優位への転化」というのをうまく説明できないと、
見当違いにおちいるだろうね

260:神も仏も名無しさん
10/11/16 01:26:52 fR4CayNM
南浦紹明(大応国師)って入宋する前と後で思想に変化ってあったのかな?
中国の虚堂智愚から何を教わったんだろう?

261:神も仏も名無しさん
10/11/17 18:06:43 Q8CWM3CA
俺が知ってる悟った人

井上義衍
原田雪溪
川上雪担

義衍さんは亡くなった。雪溪さんはまだ生きてるが相当高齢。
最後のせったんは2ちゃんだろうがyahooだろうがミクシィだろうが
どこでも辻説法する親しみやすいタイプ。

262:神も仏も名無しさん
10/11/17 21:00:39 HiQDCzI5
>>261

騒動衆か (-´ω`-)シュン

263:神も仏も名無しさん
10/11/18 01:14:30 PjibRm1u
>>262
おや名無しさん、スカートの陰からコソコソご苦労さん

264:神も仏も名無しさん
10/11/18 01:42:34 TnYfbFUI
>>263
> >>262
> おや名無しさん、スカートの陰からコソコソご苦労さん

 ̄|_|○ ドテッ

265:神も仏も名無しさん
10/11/18 19:18:52 o+ap81Hm
>>208
そんな状態は気にしないでほったらかしにしてください。

>>213
仕事中でも修行中です。意識せずに修行できるようになればよいのです。

>>239
統一する必要ありません。初めから一つです。

>>255
「本来の 面目坊の 立ち姿 一目見しより 恋となりぬる」です。



266:神も仏も名無しさん
10/11/18 19:23:19 o+ap81Hm
>>261
悟った人は役に立ちません。あなたが悟るのです。

>>262
騒動衆です。仲間集めてサトリ教団みたいなものです。悟り主義者集団はテロ集団化するかもです。



267:神も仏も名無しさん
10/11/19 16:31:58 8pYh6EA0
抽象的な言葉遊びで話すくせは、人が離れるよ

268:神も仏も名無しさん
10/11/19 20:58:11 hOMLHq48
>>266

> >>262
> 騒動衆です。仲間集めてサトリ教団みたいなものです。悟り主義者集団はテロ集団化するかもです。

騒動衆は、現在では、道元から遠い存在になりました。

さとりとは無縁のお行儀の良い人たちです。

269:神も仏も名無しさん
10/11/19 21:32:06 /BS031Oe
完全なド素人ながら、参禅会に通ったり、色々本を読んだりしたが、
結局、どうも坐禅の仕方がよく分からない。

最近思ったのは、とどのつまり坐禅は教える事も、伝える事もできないんじゃないか、という事。
道場もただ坐る場を提供してるだけで、指導の場ではないんじゃないだろうか。

結局、毎日一定時間、とにかく強制的に坐り続けて
少しづつ自分なりに理解していくしかないんじゃないか
と思ってきたんだが、いかがでしょう・・・

270:神も仏も名無しさん
10/11/19 21:38:26 /BS031Oe
40分というのは素人には長いんだが、
やはりこの長さにも意味はあるのかもしれない。

どうせ素人は坐禅なんかできないんだから量でカバーし、
40分坐って5分でも坐禅ができればラッキー!
という割と投げやりだが合理的な発想に
基づいてるんじゃないか、という気がしてきた。

だとしたら、自分は素人だから20分、10分で十分だろう、
という今までとってきたやり方は、本末転倒だったのかもしれない・・・

271:神も仏も名無しさん
10/11/20 08:49:29 Eu5ZMGey
>>269
>最近思ったのは、とどのつまり坐禅は教える事も、伝える事もできないんじゃないか、という事。

まぁ、そのとおりだね。
クロールとか背泳ぎの本百冊読んだって、実際におよがにゃなんにもわからん
やっててこりゃすごいと思えるまでには、早い人で半年、遅い人なら三年以上かかる。
会社の仕事でも全体がみえてきて面白くなるまでにはそれくらいかかるわな。
そこまでやる気がないなら、なんの意味がないから、やめることをすすめる。


272:神も仏も名無しさん
10/11/20 10:53:42 aUucuKn2
>>271
結構根気が要るね。普通の素人だと
ついサボったりして中々続かないんだよね。
まあ、そこをコツコツ続けられるかが
成功する人と失敗する人の分かれ目なんだろうけど。

273:神も仏も名無しさん
10/11/21 07:47:09 DdeVzxmZ
>結局、毎日一定時間、とにかく強制的に坐り続けて
>少しづつ自分なりに理解していくしかないんじゃないか
>と思ってきたんだが、いかがでしょう・・・

坐禅のマスターにはコツがあると思う。
自分も長い間、気功とか太極拳だとかの教室にいったりしていたが、座れなかった。
ところが7日間の接心を一回受けたら、坐禅がわかった。
初心者はまず最初に集中的に1週間やった方がいいと思う。
 難易度としてはちょうど自転車に乗る程度ではあるまいか?集中的にやれば
簡単に理解できる。
 毎日自転車にまたがっては、降りるを10年やってもやっぱり乗れないと思う。
自分の場合はそんな感じだった。


274:本当にあった怖い名無し
10/11/21 09:32:08 60r46y6/
>ところが7日間の接心を一回受けたら、坐禅がわかった。
>毎日自転車にまたがっては、降りるを10年やってもやっぱり乗れないと思う。

すごい何かしっくり来たわ、ありがとう。

7日間の接心って考えるだけでも恐ろしいけどw
逆にそういう発想はあんまなかったわ。

275:神も仏も名無しさん
10/11/21 12:50:36 LYnGDont
>>273
あなたは>>151の人だと思うけど、ご自分でも言われているとおり、
太極拳や気功の素養があったからいきなりの七日間接心ができ、
また開眼したという点もわすれてはいけないと思う。
はやくして理解できるような人は、前にも似たようなことを書いたが、
たいていなんかしらの素養を積んでいるケースが多いと思う。

276:■サ■ー■ベ■ル■で■額■と■膣■を■割■ら■れ■た■モ■コ■
10/11/21 19:22:32 U9z5yP/Z
性犯罪被害者には ゼッタイ、妥協しないし、したくない!*
性犯罪被害者には ゼッタイ、妥協しないし、したくない!*
性犯罪被害者のアンチモコ派には 負けたくないし、負けてない!!☆
アンチモコ派には ゼッタイ、死んでも 負けませんよ!*
モコ派を支持してくださる皆様!
いつも ほんとうに いつも ありがとうございます!☆
モコは 心のそこから感謝します*
イケメンチンポは 飢えた女どもの共有財産!*
バリケード封鎖して イケメンチンポを守れ!☆
モコは ケツの穴にアナルビーズを入れ始めた *  *
どんなに たくさんのアナルビーズを入れても モコは耐えた   *
これには アンチモコ派も 驚いた  *   *    *
これからも モコとともに 夢を見ながら 汗かき べそかき くそ出し 歩こうよ☆
モコがウンコをつけた あとにゃ きれいな花が咲くでしょう*
しあわせの扉は モコの肛門のように せまいんだヨ☆
だから しゃがんで クソ出しながら 通るのね*
モコはイケメンチンポをにぎってる!*
モコが死んで 喜ぶヤツらに モコのイケメンチンポを手渡すな!☆
イケメンチンポを手放すな!* いっちゃってイイですかぁ~!? ☆
イッちゃうぞ、このヤロウ~!*
いない いない バァ~!* いない いない バァ~ちゃん!*
いらない いらない モコ!* いて欲しい いて欲しい~ モコ!☆
モコがウンコブーブーをパンクさせたという話も 当然、真っ赤な大ウソだ*
鋭く追及されると、アンチモコ派は「完全な誤り」と認めた。
「訂正とお詫び」を掲載して「勉強になりました」とハッキリと非を認めたんだ☆
だいたい、ちょっとでも自分の眼で確かめたら、
すぐに「作り話」だと分かるはずだ*
アンチモコ派の作り話で具体的な事実が出てきたためしなんか、
ただの一度もないじゃないか(大笑い)☆

277:275
10/11/23 10:43:52 wulSHjqE
初心者が接心するという話に水をさすようなことを言ったようで気になりましたが、
反対するのではまったくなく、接心とはかなり大変なことなので、指導者と相談のうえで
慎重にやってほしいという意味で書きました。
食事制限、睡眠制限はもちろん、それ以外の時間の大半を座禅という毎日を
七日間つづけるわけですから、
それなりの覚悟がなければならないことはいうまでもありません。

278:神も仏も名無しさん
10/11/23 22:53:25 9UVog72q
接心って本職の禅僧でも結構きついんじゃないの?
15分座るのがやっとな俺としては気の遠くなる話だな。

279:神も仏も名無しさん
10/11/23 23:19:22 2cz5IZXr
接心て大変なことなのか? そんな感覚はなかった。
確かに修行だから旅行に行く気分ではいけないかもしれないが、実際には
旅行よりははるかにリフレッシュできる。
ただ永平寺とかだとかなり厳しいのかもしれないな。といっても重労働を
するわけじゃないし、座るだけだからそんなにたいしたことはないとおもう。


280:神も仏も名無しさん
10/11/23 23:30:23 9UVog72q
普通に大変でしょう。つうか俺の場合
まず結跏趺坐できるようになるのが先だな。
でもやり遂げたら何かが変われそうな気はする。

281:神も仏も名無しさん
10/11/24 05:13:29 o0os0F62
「ボケ、カスアホ」と言われ理不尽な要求の納期に追われて、大手の下請けなんて
そういうものだから、現実の仕事の方がはるかに苛酷で、接心は正直休養だよ。
 自分の職業はエンジニア兼太鼓持ちだったが、最近は太鼓持ちの方が洗練されてきて
太鼓持ち兼エンジニアだよ。そんなベテランの太鼓持ちでも昨日は卑劣な担当を
コンクリートにくくりつけて沈めてやりたい気持ちになった。
 戦争がはじまったらドサクサにまぎれてあのビルにロケット弾でもぶち込んでやりたい。
とまだまだ修行がたりない。W
 坐禅を初めて精神的にかなり成長したと思うのだが、それに付け込むように現実は
ますます苛酷になっていく。試練が与えられているのだと思うようにしている。


282:神も仏も名無しさん
10/11/24 08:29:48 3w3lzrJa
>>279
参考までに、どんなスケジュールで行われたのか詳細をかいてもらえると、
よく知らない人にとっても身近なものになるのではないでしょうか。
接心というと、しり込みしてしまう人も多いでしょうから

283:神も仏も名無しさん
10/11/25 22:53:52 K8ENvqsZ
曹洞宗の接心だったら大体どこも同じですよ。
AM4:00-PM10:00 でその間40分の坐禅を10回程度します。
食事は朝はお粥1ぱい+たくあん2切れ。昼はご飯一杯+おかず2つ3つ。
夜はまたお粥+おかず1品?。
接心の期間は一切喋ってはいけない。寝言もいびきも禁止。
 そんな感じです。

284:神も仏も名無しさん
10/11/25 22:57:06 Sk190O+d
寝言やイビキをやると、警策(きょうさく)でたたかれます

285:神も仏も名無しさん
10/11/25 23:45:01 K8ENvqsZ
冗談に反応すんなよ。W
小食と、喋らないというのは非常にいいよ。坐禅もいいけど、坐禅だけじゃなくて
食事の作法なんかもそうだけど、接心が醸し出す雰囲気というのが非常にいい。

286:神も仏も名無しさん
10/11/26 08:32:49 D/1+I9dl
当然携帯とか本とかの私物や外出などの自由行動も制約されるのだろうね。
大変だとは思うけど、たしかに完走したら、それなりの収穫がないわけはないね

287:神も仏も名無しさん
10/11/29 18:05:43 J+TQw0Du
>>246
>>247
>>281
同一人物かな。ストレスで感情が激化してるようです。
坐禅の仕方に問題あるかもしれません。



何やら坐禅を妄想や感情や浮かんだ念を無理矢理に意志で叩き斬ろうとする
向きがありますが、それはよくありません。単なる抑圧になって後で暴発かもです。
雑念や感情を抑えつけるように坐るのは間違いです。

もちろん座中に念が起こりますが、
問題としては、自己は自己なのに、
念が起こっている自己とそれを観察している自己の二つになっていることです。
誰でも座ればいろいろなことが起きるのでそれを見ることができます。
それで坐禅の効果がまったく現れない場合というのは、
見ている方が、念が生じている方を意志的に支配しようとする坐禅です。
そうではなく、見ている方(観察している方)が自我でありボスですので、
念・感情が生じている方は放置するのです。

座中に、この自己の、雑念やら感情を何とかしようとするのではなく、
何とかしようとしている自己(自我)を餓死させることが坐禅であります。

そう言うと、御者がいない馬車が暴走すると危惧するかもしれませんが、
自己内部の葛藤やら矛盾というのは、ほぼこの自己の内部対立で起こることです。
むしろその対立が沸点を超えてハチャメチャになってしまうことの方が問題なのです。

288:神も仏も名無しさん
10/11/29 18:31:22 J+TQw0Du

つまり喜怒哀楽の例で言えばですがね、
「喜びが喜びであるとき、喜びはありません。」
「怒りが怒りであるとき、怒りはありません。」
「悲しみが悲しみであるとき、悲しみはありません。」
「喜びが喜びであるとき、喜びはありません。」

ある特定の感情が強く発生する場合、
その反対の感情が同時に相対的に生じているということです。
障害があった方が恋は燃える、とかと同じかもしれん。
で、反対の感情を生じさせて困らせているのが、自我という偉そうな審議委員長なのです。
「それってどうなの?」といつも反対の感情やら見解を提示して意義を唱えてきます。

自分の大好きな趣味に熱中していると、自我は登場しません。
反対しようにも100%没入してますから手が出せません。
そういうときは記憶に残らないほど熱中しており、子供であるほどその度合いは強いです。
大人になって分別がついてくると厄介なことになり、自我が大威張りで娑婆が刑務所状態です。

自我が強い人というのは、自分の自己認識とは関係なく、
いい人だろうが嫌な奴だろうが、善人だろうが悪人だろうが、
他人にイヤな「感じ」をもたらすものです。

どうか「ボケ、カスアホ」と言われても、英語を全く知らない人が
「Fuck you ! Ass hole! shit!」と言われてトンチンカンなくらい観念を落としてください。


289:神も仏も名無しさん
10/11/29 21:17:26 L8E63qca
>>287,>>288
ありがとうございます。
自我の餓死ですか。
非常に分りやすかったです。


290:神も仏も名無しさん
10/11/30 08:44:33 w8poLZfL
 ジルボルトテイラーの奇跡の脳なんかを読むと、ニルバーナというのは
右脳の特殊な発達だろうと思うが、これとバランスするように自我の発達
も必要なのではあるまいか? 餓死はまずいように思う。


291:神も仏も名無しさん
10/11/30 10:19:54 xmv4unpe
餓死ってのは文字通り消えて消滅だから。それはいいすぎなのかな。
放置、無視、解放、というほうが287さんの真意にも近いのではないかと勝手に推測します。
空海のように生き仏にでもなるつもりならともかく、人間は社会的動物である以上
ニルバーナにひたっているだけでいるわけにもいかない。
そこがむずかしいところでもありますね。
道元のような人ですら最晩年に北条氏による鎌倉幕府とのことで心労を重ねた。
290さんのバランスという言葉は大事なことだと感じます。

292:神も仏も名無しさん
10/12/01 11:13:55 c4KKex5L
「もし永田鉄山ありせば太平洋戦争は起きなかった」、「永田が生きていれば東條が出てくることもなかっただろう」

相沢三郎は剣道四段で、少尉時代には仙台の輪王寺に下宿して、無外禅師の教えを受け、三年間禅生活を送った。
質素にして、常に綿服をまとい、一見古武士の風格があり、上官には恭敬をもって仕え、部下には
慈愛をもって臨み、至誠至忠、その言行は模範的であった。
他人に対しては丁重、慇懃であり、皇室や国歌に関すること以外は、人と論争したことがなかった。
然諾を重んじ、偽りをいったり駆け引きをしたりはしなかった。

 しかし時代を読む目がなく、永田鉄山を暗殺するに至った。


293:神も仏も名無しさん
10/12/04 11:38:54 FGzBJJMD
 ある特殊な集団に関ることで、異常心理(彼らからすると我々の世界が異常なのだが)
の現象をたくさん見てきた。覚醒すると目が綺麗になり本当に生き生きとする。しかし
現実認識にはそれなりの教養が必要だ。同じ覚醒をしても、あまり教養のない人と
バランスよく教養を身に着けた人とでは安定感が違う。あまり教養のない人の覚醒は
ただ単に子供返りしたような印象を受ける。
 

294:神も仏も名無しさん
10/12/04 21:26:52 mu39El4H
覚醒とひとくちにいってもいろいろレベルがあると思う。
以前にもどこかで書いた気がするので重複したら申し訳ないが、
ある高く信頼できる禅僧の方が著作のなかでこんなことを書いていた。
「身心脱落ということを私がいったら、ある先輩がそれはいいすぎではないか、と」
つまり、このお二人は両者とも自分が覚醒というか、悟りというか、見性というか、
言い方はともかくとして、達すべきところへ達したと感じている。ところが、一方は
身心脱落という言葉が適切と感じ、また一方はそれは言いすぎだとかんじている。
内面のことだからそれがおなじものなのか誰にもわからない。
こういう例をみると、その人の素質や素養や情熱、積んできた努力、によって、覚醒なるものの内容は
おのずとかわってこざるをえないのではなかろうか。



295:神も仏も名無しさん
10/12/05 21:33:08 7ubTB56Z
 見性も、天地が引っくり返るような内面的大変革として起こる場合もあれば、ゆっくりと
進行し高いレベルに達する人もいる。禅僧には劇症的見性主義を否定する人もいる。
 「覚醒」は人によっても、修行の方法によっても異なると思う。とくに劇症型の覚醒
は体質もあると思うが、臨在系のように公案で徹底的に追い詰めて無理やり覚醒させた
ような場合に起こりやすいのではないだろうか?
 特殊なセミナーなどでは、何人もの人が一人の覚醒のパワーに釣られてドンドン覚醒
していく。しかしこういう覚醒は小悟であり冷めやすい。一週間もするともとに戻る。
坐禅によっておこる覚醒は本来静かに進行していくものだと思う。自分の場合も覚醒は
静かに進行している。ある本には7つの段階を経て涅槃に至ると書いてあったが、その
段階通りではない。数段飛ばして先の現象が現れてみたりまた元に戻ってみたりする。
ゆきつ戻りつ進歩していくようだ。


296:神も仏も名無しさん
10/12/07 01:05:02 M9DAQ2tG
 「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」はいい本だね。この本の教えなら
段階的に凡人でも解脱できそうな気がする。坐禅を半年ほどやってきて実感
としてもよくわかる。
 いままでImThatとかを読むのが好きで、素晴らしいとは思うのだが、修行
の具体性に関しては殆どわからなかった。


297:神も仏も名無しさん
10/12/07 22:52:54 AJLPqfdJ
セミナーのようなものに参加したことがないのでよく知らないけど、
卒業式で誰かが泣くと連鎖反応的に他の人ももらい泣きするような現象なのかな
座禅というのは心理的な変化とはちがって、もっと生態的な神経や皮質などの発達
のようなものだから、芸事の進化と同じように、ゆるやかな進化が自然なのでしょうね

298:神も仏も名無しさん
10/12/09 13:09:37 Ly/EP0KD
>セミナーのようなものに参加したことがないのでよく知らないけど、
>卒業式で誰かが泣くと連鎖反応的に他の人ももらい泣きするような現象なのかな

 心理学的な手法を使った洗脳プログラムのようなものがあります。
かなり強力で一週間程度外部との接触を遮断して教育すれば、だれでも完全に洗脳されます。
共産圏では応用されて、捕虜になった兵隊が洗脳、赤化されて共産主義者になると
いうのは有名です。
 作文を書かせるだけのような非常に単純なものでも、強力に洗脳することができます。
特に優秀な人ほど洗脳に嵌りやすい。みるみる人格が変わって聖人のようになります。
 一週間程度の洗脳であれば娑婆にでて、汚れた世界を一週間も経験すればまた元に
もどります。ただ宗教などで応用されると定期的にリフレッシュしますので、洗脳から
は抜けることはできません。
 自分も洗脳の経験があり、危険なカルトというほどの団体ではなかったですが、数年
関わっただけですが、団体をやめてからも、影響を抜けるのにかなり時間(数年)が
かかりました。ただこの経験は当時も今も非常によかったと思っています。


299:神も仏も名無しさん
10/12/11 22:59:36 /ylfwE9Y
洗脳というのは、ひらたくいうと、「他者によって自我を支配される」ということになるのかな。
催眠術とか、宗教等の洗脳とかも、そういうふうに言えるのだとすると、
禅というものは、「自分自身によって自我を支配する」というふうにもいえるかもしれない。
そうなると、自我を支配する「自分自身」とは何だろうか。

300:神も仏も名無しさん
10/12/11 23:39:48 //+RrWyL
丹田呼吸って集中力が続かないんだけど
禅僧は本当にあれを40分も続けているのですか?
呼吸法やってても途中で胡散霧散してしまう。

301:神も仏も名無しさん
10/12/12 02:09:49 GAADFG9X
ただ単に慣れじゃないの?
じぶんは意識の集中力は切れてても呼吸は別に変わらず続けられるよ。
あと腹筋や吐く力が足りないとか。
日常で吐き切る深呼吸を取り入れてみれば。

302:神も仏も名無しさん
10/12/12 10:14:11 qPgn9SSi
前にも言ってた人がいるけど、禅と丹田呼吸を同一視しないほうがいいと思うよ
丹田呼吸は、頭にのぼった気を下半身へおろし、イライラや神経過敏をやわらげ、
酸素を多くとりいれることによる身体機能の浄化、というものかな。
自分は寝られない夜にこれやるといつのまにか眠ってしまうw
そして座禅は、従来つかっていた意識というか脳の部分を停止させて、
いままで使わずに死んでいた別の脳の部分をたちあげる行為。
まったく別物といっていいと思う。

303:神も仏も名無しさん
10/12/12 11:02:53 1MctLE9S
>禅というものは、「自分自身によって自我を支配する」というふうにもいえるかもしれない。
>そうなると、自我を支配する「自分自身」とは何だろうか。

 それが解るには逆説的になりますが、自分自身を他者に支配させてみることです。
アニミズムの手法では憑き物に取りつかれることで、自分の源泉に触れます。
禅は実は本質的には他力なのです。


304:神も仏も名無しさん
10/12/12 12:13:50 HcuIFZ54
寝たいときに寝て、歩きたいときに歩いて、腹減ったときにめしを食うのが禅じゃないの?

305:神も仏も名無しさん
10/12/12 13:33:37 7IqEDFAl
>>301-302
ありがとう。やはり慣れも大きそうだね。
あと呼吸にそこまで拘り過ぎなくてもよいと言うことかな。
良い意味で地道に適当に訓練を続けてみます。

306:神も仏も名無しさん
10/12/13 09:01:00 W0hJtcSq
>>303
面白いお話ありがとう。
自力と他力というふうに考えると二元論な話になるけれど、
「他力」というのは、言い方をかえると「自他の境なし」の方向というか
「一元論」の方向というのは言いすぎでしょうか

307:神も仏も名無しさん
10/12/13 16:54:44 OetiWG9U

 個人なら別々ですが、人類の次元なら一体ですから、源泉に深く頭を突っ込めば
当然、自他一体ですね。坐禅が関与するあたりがどのあたりなのかですね。
 宗教的原理として、完全受動状態(神に委ねる)になれば、なにか恐ろしく
強力な力が発動するというのはよく知られていますね。坐禅もそのあたりを
覗こうとすると必然的に自分を捨てる必要が出てきます。
 能力開発というレベルではそこまでは必要はないでしょう。
私が思うのは、非常に深いところまで行こうとするのなら、純粋に坐禅で覗くこと
ができるのか、それとも宗教的手法に依るのがいいのかです。悟りを誘発している
老師の場合は、概ね最終的なところは宗教がかっていますね。そこの部分は非常に
難解に見えます。 小乗系では技術だけで乗り切ろうとするのでわかりやすい。


308:神も仏も名無しさん
10/12/13 17:14:50 OetiWG9U
 飯田トウインやギエン、原田雪渓などは同一の法系で多くの見性者を出していますが、悟り
の最後の詰めのところが「坐禅が坐禅する」というような、不可解な表現になっています。
ここばかりを先走って強調するのは個人的にはあまり気に入らないのですが、たぶん最後は
そこがカギになっているのでしょう。志の高い修行者の場合そこに行くのは容易で、そこを
ぶち抜くことだけが問題で、そのためその部分だけが強調される。

 我々の場合はそれ以前の到達もままならないので、こんな不可解なものに振り回されない方が
よいと思います。その直前までは、小乗系の技術による坐禅を淡々と実践するのが近道だと
思います。 


309:神も仏も名無しさん
10/12/16 14:42:48 +mo8roD2
>>307
>それとも宗教的手法に依るのがいいのかです

宗教的手法というのは、形而上的な、一種の客観性のない信仰みたいなものかな

310:神も仏も名無しさん
10/12/19 10:21:55 inBMYrIh
みんなは『なぜ』悟りを得たいの?

311:神も仏も名無しさん
10/12/19 10:24:47 inBMYrIh
誤爆

312:神も仏も名無しさん
10/12/20 00:20:59 +hi4lxU1
今の自分がいやだから

313:神も仏も名無しさん
10/12/21 11:23:07 E+L89hTX
他力って言葉個人的に好きではない。
しょせん他力に依存して自己願望をかなえようって発想でしょ
そこには、どうしてもエゴイズムというか、楽して得るというニュアンスがぬぐえない。
まぁ、なにやってもうまくいかない、努力しても苦労しても報われない、
そういう人にとっては救われる思想かもしれないが、それの目的が自己願望達成である
範囲にすぎないなら、あんまりほめられたものではない。
むしろ「おのれを捨てる」というのが「他力」の真のありようだというほうが理解しやすい


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