11/01/16 12:01:57 8II66MI2
この「強く踏み揃へ」は、比喩だよ。 たとえば、寝た状態で土を踏むようなつもりで、つまり
力をいれるが力まない。リラックスするが、フニャフニャではない。そういうしっかりと意識を
おいた感じを表している。気功では「充実させる」という。
でも現代人では武術などをやっていなと、この感覚は分からないかもしれない。簡単に理解しようと
すれば、いまなら水を被ったらいい。
川に入ってみるか、冷たい水道水をザブッと被ってみる。5分ほど川に浸かって上がれば、気が充実
して体はポカポカになる。
毎日水を被って、一ヶ月もやれば、臍下丹田に気を充実させるなんてのは簡単にできるようになる。
今はそういうトレーニングをする最高の時期だね。
昔の人は生きるためには修羅場を何回もくぐりぬけているから、腹をくくるとか腹に力をいれるとか
そういう身体感覚はだれもが持っていた。現代でそれをやろうとすると、意図的に危険な状況に
踏み込むか、せめて水を被る程度のことはしないとだめだろうな。
滝行をやるとすぐにお経を覚える。藁にもすがりたくなるというが、お経でも唱えないことには
寒すぎて、とても水に入れない。死なないとは分かっていても限界を超えて真剣になる。解るというのは
いろいろなわかり方があるもので、「ふんふん、わかった」とただ意味を理解したところで、あまり
意味がない。逆に意味の理解は間違っていてもいい。体験でとらえることができる。
と偉そうに言ってみたが、自分も初心者だ。坐禅も少し慣れてきて、ただ気持ちいいだけになっている。
これはいかんとおもって、滝業を始めた。