10/10/18 11:27:16 XXUF43f2
よく座禅において、別の目的のために座禅することを凡夫禅というらしいね。
たとえば健康のためとか、人間関係をよくするとか、仕事を繁盛させたいとか
本来座禅には目的というものはなく、座禅そのものが目的であるからということらしい。
で、自分についていうと、数年前に個人的に不幸があり、
またそれに関連する出来事について怒りと後悔が消えない。
四六時中そのことを考え、腹が立ったり他人にあたったり意気消沈したり。
で、こうした不快感を招いているのは、つまるところ他人とか出来事にあるのではなくて、
それを感じる自分の心に原因があるのではないか、自我をどうかすることでこの苦しみは
消えるのではなかろうか。
自分が座禅を始めた動機はそうしたものだった。思う結果がでているかどうかは修行途上だからひかえるべきだが、方向性はみえているような気がしてきた。
えらい禅僧は、禅をこころざす心が大事だとはよくいわれるようですが、
ここのみなさんはどういう動機から座禅をされるようになったのだろうか、聞いてみたい気もいたします。