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止観双運。
瞑想の入門書を読むと止と観のバランスが大切だと書いてあった。今は只管打坐を
やっている。これは止のことだろうか? これだけをやっているが、どのあたりから
観の練習をすればよいのだろう? そもそも観の練習はどうやるのだ。
一つの方法として、「まず呼吸に気づき、それから身体の精妙な動きに気づき、
さらには心の動きに気づき、そして心の本源(意識、無)に気づく。」
と書いてあったような気がする。立ち読みなので忘れたが、要点としては、先ずは
止により定力(集中力)を鍛えて、観ができる力を養う。
止は自分にとっては驚くべき方法だった。
しかし観とは何なのか? 「気づく」てどういうことなんだ? 止に比べて観は
方法論的にあいまいな感じがする。 ラべリング? あれはどうも納得できない。
率直に違和感がある。
素直に考えると観の方法論としては現代的にベストな方法は哲学ではないだろうか?
仏教哲学には唯識なるものがあるらしいが、修行としてはべつにそんなわけのわからん
ものをやる必要はない。あるいは心理学という選択もあるかもしれない。