09/09/17 11:06:39 oa0/7ZQy
>>287
仏教教わりたい人は『本物の仏教』があるっていう姿勢で臨むより
どんな教えでも相対化していく姿勢で臨むのが健全だよね。
佐藤にはそれができていないから、延々と的外れな批判をしては失笑を買う。
「釈迦は絶対無謬→その教えを唯一受け継いだテーラワーダもまた絶対無謬→
そこの長老のスマナサーラも当然無謬→その金魚のフンの自分(佐藤)もやっぱり無謬」
というある意味最強の(笑)論理がしみついちゃってるから、
>ちなみに初期仏教経典にも一か所だけ(長部27 aggaJJa-sutta 世起経)「法身」という単語が使われている例があります。
生れによる身分差別を喧伝するバラモンに対して、釈尊が「如来(ブッダ)は法(真理)を身とするゆえに如来である。
仏弟子は生まれという身ではなく、法(真理)という身(法身)を拠り所にすべきである」(大意)と平等思想を説かれたくだりです。
「生まれではなく真理をアイデンティティにせよ」という釈尊の「法身」の教えは、大乗仏教における「法身」とほとんど無関係ですが、
より普遍的でラディカルな概念だと私は思います。
こんな「珍説が平気で出せるんだろうな。
本人はこれで反論できたつもりでいるみたいだけど、俺には
>「生まれではなく真理をアイデンティティにせよ」という釈尊の「法身」の教えは、大乗仏教における「法身」とほとんど無関係
どころか、
大乗の「法身」は「生まれではなく真理をアイデンティティにせよ」という釈尊の「法身」そのもの
に思えるのだが、俺の気のせいか(笑)。