08/10/04 02:25:54 4P/ipWKM
しかし切支丹禁令高札の撤廃、すなわちキリスト教解禁を前にして、最後の大迫害が起こるのである。
明治政府は神道国教化政策を励行、そのためにキリスト教徒は生け贄となったのである。
浦上村では村民総流罪という浦上四番崩れが起こった(こちらを参照)。
五島では、徳川幕府の禁教令施行当時と同じような激しい迫害が行われる。
吹雪の海中に子供を立たせ仮死状態になったら浅瀬に引き戻す、炭火に掌を入れさせ吹いて燃え上がらせる、戸板を腹の上に置きその上に乗り腹水を出させる、などの拷問が行われた。
また六坪の牢の中に200人が押し込まれ放置された。排便の施設もなく全員立ったままで、全くの地獄絵であった。こうした状態で8ヶ月も置かれ、次々と倒れていった。死んだ遺骸を葬ることも許されず、五昼夜も放置され、死骸は変形し平たくなる有様であったという。
二年後残された者は帰宅したが、その後数人が死亡。帰った家は、郷民によって略奪されており、何も残されていなかった。
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