08/06/23 05:42:05 OG+OLk/a
URLリンク(www.rui.jp)
●カタリ派流行の背後には度重なる十字軍の派遣による人身の荒廃と疲弊、
堕落した聖職者たちへの反発の思いがあった。カタリ派の人々は非常に
敬虔であった。“カタリ”とは「清浄な者」を意味するギリシア語であった。彼らは自然には「光」が含まれていると信じていたので菜食に徹し、少食であるうえ度々断食すら行なった。不戦主義を守り拷問に耐え忍び、そして死んだ。
●1208年、インノケンティウス3世はこう呼びかけた。十字軍の兵士と
なった者には、免罪と永遠の救済を約束するだけでなく、異端者とその
支持者の土地と財産を与える。こうして、悪名高き「アルビジョワ十字軍」の
カタリ派大虐殺が始まったのだ。
●1209年、結集された十字軍は多数の異端者を擁していると目された
ベジェの町を急襲した。十字軍がベジェの町に攻め入ったとき、どうやって
カトリックとカタリ派を見分ければいいのかという質問に、指揮官の教皇
特使アルノーはこう答えた。
「全部殺してしまえ。見分けるのは神だから!」
無差別の虐殺と略奪、そして放たれた火によって町は火の海の惨状を呈し、
2日間燃えつづけた。犠牲者の数は3万とも10万ともいわれる。
意気あがる十字軍はカルカッソンヌヘと進撃し、再び虐殺が繰り返された……。
●以上のように、「アルビジョワ十字軍」は約40年にもわたって討伐を続け、
カタリ派だけでなく南フランスの大半の人々も犠牲となり、100万人もの
一般市民が虐殺されたのであった。「アルビジョワ十字軍」によって徹底的に
破壊された南フランスは、わずかな人口、がれきの山、崩壊した経済を背負い、
北部に併合されてしまった。
大虐殺教団カトリック。
キリシタン成敗がなければ日本もどうなっていたやら。w