06/06/01 00:43:48 AI35b1nz
グノーシズムとは、ギリシャ哲学の二元論、すなわち、
この世界は善なる精神(霊魂)と悪なる物質から成り立っていて、この両者間で人間は苦悩しているという。
人間に死と苦しみと痛みをもたらすこの肉体という物質の捕隷状態から
人間が自由で永遠なる精神の世界に生まれなければならないとする。
グノーシズムからキリストを見るならば、キリストとは真理、善なる霊で「なくてはならない」。
従ってキリストは、決して物質的な悪の根源である肉体をもって来ることはあり得ないと考えた。
「人間の姿に見えただけ」だとするキリストを霊的精神化するあまり、
キリストが肉体をもって来られたことを否定した。するとどうなるか。
キリストは木に架けられて「血を流して死ぬ」ことはあり得ないし、
それが「あり得ない」からキリストの肉体の復活も当然あり得ないことになる。
そうなれば、人間の罪の赦しも救いも全く意味を成さない。
例の「ユダ福」もその一つ。(次に続きます)