11/10/12 03:11:14.98 2e3VLwjC0
韓国では「ウリ(自分)」と「ナム(他人)」という人間関係の概念しかない。
だから、自分に直接関わらない 「第三者」 という存在が理解できない。
韓国人にとって、人は自分の味方=家族も同然か、他人=卑しいもの・敵というふうにしか
ポジショニングがとれない。
で、この構図、ジャンケンとまったく同じで、関係性を循環させると上下関係にすぐ矛盾が発生する。
ジャンケンならまだ「あいこ」という引き分け状態があるが、韓国人はそれは許しがたいもののようで、
重箱の隅をつつくような口論でどちらが上か決めようとする。
また、ウリとナムの境界線もまたあいまいで、自分の都合でその境界線(=表層の自我)がコロコロ変る。
だから、友人の家に上がりこんで、冷蔵庫の中のものを勝手に食らうことを平気でやるのだ。
友人はウリも同然だから、「友人の物はウリのもの」なので、当然冷蔵庫の中のものもウリのものというわけだ。
こんな感覚で生きている連中だ。 個人という概念が無いのもコレが理由。 人間より、群れる動物に近いだろう。