11/09/30 21:05:04.84 UjKHr0lN0
>>820
■原始キリスト教では自殺は憧れであった (1)
『キリスト教で自殺に対する否定的道徳評価が始まったのは、
聖書に基づくものではなく4世紀の聖アウグスティヌスの時代とされる。
当時は殉教者が多数にのぼり、信者の死を止めるために何らかの手を打たねばならなくなっていた。
また10人に1人死ぬ者を定めるという「デシメーション」と呼ばれる習慣のあったことをアウグスティヌスは問題にした。
693年にはトレド会議において自殺者を破門するという宣言がなされ、
のちに聖トマス・アクィナスが自殺を生と死を司る神の権限を侵す罪であると述べるに至って、
すでに広まっていた罪の観念はほぼ動かし難いものになった』
殉教は自動的にキリストに似た神格化をもたらし、栄冠とされ、イエスを真似ることを求めて、
非常に多くのキリスト教徒がわざと方を犯し、死刑を求め、騒ぎ立てたので、
キリスト教徒は当局に厄介をかけないですむ自殺用の縄はないかとわれ先に自殺した。