11/08/03 17:47:01.55 oKOtxnulP
(>>2番スレ534)
>>自分で望んでその親に産まれたんだから
>>虐待(ぎゃくたい)で親に殺された子どもは自己責任て言いたいのか
親の虐待により殺された子供は自己責任と言いうるでしょうか?
→物質界に肉体を持ち生まれ出ることには様々なリスクがある。そのリスクは
誰が負うべきかと言えば、それはやはり生まれ出ることを選択し、決断した本人
が負う以外にはない。誰も替わりにリスクを背負ってくれる人はいないのだ。
→親が邪(よこしま)な親であり、育児の責任を放棄して子供を虐待し殺して
しまったとき、殺した責任を親が負うのは当然だが、殺された結果を背負うのは
殺された子供本人以外には無いのが単純にして冷厳な事実である。誰にも転嫁でき
ない。
もちろん親には責任があるし、周囲の人間にもそれを防ぐ努力が必要なのは当然で
ある。しかし、リスクある親を選んだのは本人が己の責任でしたことであり、その
ようなリスクを負いたくなければ生まれなければ良かっただけなのだ。
たとえ高いリスクがあったとしてもそれほどまでに肉体を持ちたかった本人の選択
だったのである。
→肉体を持ちたいという需要は常に高いのである。それ故本来親になるべきでないような
人、親になるべき準備の整っていない人でも、妊娠すれば生まれ出たいという希望者
はいる。親子の縁は本来綿密な計画と両者の合意の上に成り立つものである。しかし、
様々な事情により、そのような合意のないままに肉体を持ち生まれ出るケースがある
のも事実である。そうしたときに、子供は完全に親に依存するしかないが親は子供に
違和感を感じ、邪魔者としか認識しない場合もある。子供の虐待死が全てそのような
ケースというわけではないが、そのような例も多い。
→従って虐待死という結果を招くような場合、全て生まれる前にそうしたリスクを予見
できるのであるが、そういう環境(父母)をあえて選んだというのが実情である。