11/08/01 12:24:44.22 7/YXgjwX0
(>>106 続き)
さて、嫌だといってもいるだけで関係性が生じるのが事実ならば、自分がどう積極的に
関係を作り出して行くかが大切だ。受け身でいると「嫌だなぁ」にしかならない。
私の場合だったらどうだろう。声に出さなくても挨拶するくらいの気持ち、そのくらいの器量
が欲しかったな。
こう考えが進んで来ます。
さらに進むと、もし自分が彼らと既に友達だったとしたらどうだろう。
嫌だな、と思っただろうか。いや友達だったとしても凶悪な雰囲気の奴ら、と言う認識はかわら
ないかな?それとも格好つけて粋がっている連中という見方になるかな?どちらにしても彼らに
投げる視線は違っていただろう。彼らを否定する視線ではなくて、認める視線だっただろう。
これはね、あるがままの彼らを認めるしかないですね。二人称の0地点、相手でも自分でもない
地点に立てばそうならざるを得ない。
そこでその後に自分が抱いた、相手をぎったぎたにしてやりたい、という思いに言い聞かせる。
その時の自分の感情に言い聞かす。
いやもういいよ。相手を十分察して無くて、自分だけの気持ちで考えて怒ってしまっていた。
それは大きな勘違い、自分さえ良ければよいという立場の考えだった。相手との関係を築いて
ゆくという視点が抜けていた。それは大きい間違いだった。
間違いを認め納得できその時の恨みの気持ちを赦した時点で呪いは解除できたのだそうです。
呪いの解除にはこのように一つ一つ理解し納得し自ら赦してゆく、相手に対すると共に自分の
発した想念に対しても赦してゆく、それ以外に解除の方法はない、と言うのです。