11/07/29 09:18:04.05 stWV+Bxk0
藤原不比等について
>僕の古代史では、モーセ以来の伝統で、猿は祭司の隠語でしたね
>鳥獣戯画の猿法師となるのです。猿法師は祭司ですから理にかなっていますね。同じように、万葉集や
>日本書紀でも猿は祭司なのです。
>、人麻呂は祭司であったとして、なぜに正体を隠されなければならなかったのか?それは、人麻呂が原始
>キリスト教の祭司であり、唐の則天武后の景教(ネストリウス派キリスト教)弾圧を回避するために、表
>向きは唐の意向の仏教に転向したからとなります。この時、人麻呂が仕えた高市皇子も仮の死で文武とし
>て生まれ変わり、これ以降、日本の原始キリスト教は仏教を隠れ蓑とするようになります。
>高市が自らを葬り文武として復活すると、『記紀』の編纂で天皇を中心とした国体の基礎を築き、原始キリ
>スト教を仏教と神道で覆い隠してしまいます。これで、日本は唐の干渉を避けられたのです。このように、
>人麻呂と不比等の官位や活動時期が同じなのは偶然ではなく、万葉集に不比等の歌が極めて少ないのも当然なのです。
>不比等は「ヒトにあらず=人ではない」という意味ですから、自分が猿、すなわち祭司であると最初から告白していたのです。
URLリンク(blog.goo.ne.jp)