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なお、足利将軍は2回将軍位に就いた人物が一人居り、説によってはもう一人いる。
しかし、最後の将軍は15代将軍とされており、これが天皇と同じく重祚の場合に2代と数えるならば、
最後の将軍は16代または17代となる。
このように、同一人物が重複して同じ位に就いた場合、1代と数えるべきかは確定的な定義がない。
なので、重祚天皇を1代にまとめることも必ずしも牽強付会なものではない。
あと、仲恭天皇は江戸時代までは廃帝と呼ばれ、天皇位に就いていないものとみなされた。
大友皇子と同じく、明治以降に新たに加わったものである。
このように、様々な混乱があるために、たとえ継体を26代としても現在が何代であるのかはかなり不明確である。
以下に一例をまとめる。
・現在の宮内庁の算定基準(大友、仲恭を加算、南朝正統、重祚は2代)
明仁は継体から100代目
・江戸時代までの算定基準(大友、仲恭は除外、北朝正統、重祚は2代)
明仁は継体から99代目
重祚を1代と数えた場合、上から2代ずつ少なくなることになる。
しかし、いずれにしても徳仁→文仁→悠仁の3代を経ると、少なくとも100代には達する。
なお、江戸期までは朝廷では天皇家の祖先を天智天皇として、これを祭っていたとも言われる。
神武天皇まで祭るようになったのは、明治以降らしい。
その意味で、天皇家は正式には天智朝といえる可能性がある。
ただ、天智天皇から起算すると、100代に達するまではかなり時間があることになる。