11/07/13 12:45:02.46 d2eqRTW+0
太郎ー
211:at 学校
11/07/13 12:46:46.98 URTDDFWZO
ウルトラマン、ナンバー、シックス!
212:こおろざ
11/07/13 12:53:00.67 d2eqRTW+0
たーろうが戦うー
たーろうが戦うー
たろう!たろう!たろう!
てか、試験終わったんだろうか?
まだなら頑張れー
213:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 12:54:02.26 NcbeSf3b0
「死後の世界」スタンフォード哲学百科事典。
URLリンク(plato.stanford.edu)
誰かやってみないか? 英語ができる子分ぐらいつかまえておけよ。
あらゆる宗教を網羅していると思う。
丹波哲郎を超えられるよ。
214:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 12:57:47.68 NcbeSf3b0
>>213
すまん。このテーマは"Afterlife"というのだが「人生の晩年」という意味らしい。
「死に近づいた人の研究」だそうだ。
215:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 12:59:42.44 NcbeSf3b0
道化。お前の卒論にしろ。俺が全部書いてやる。
「死に近づいた人が何を考え、どういう行動原理をとるのか」の研究だ。
お前の卒論はこれで行こう。
追ってブログに上げる。
216:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 13:14:25.03 NcbeSf3b0
序文:
人間は年老いたら死ぬし、体は朽ち果てる。しかし、死んだ後も自分は不滅である
という考えは「死の否定」とは別の意味で広く共有されている。しかし、
多くの人は「深く考えない」という対応をとっているとされ、中には「死を考える必要はない」
とする人もいる。しかし、この重要なテーマに対して「考える必要はない」と言い切るわけにもいかず、
この論稿はその「死」と向き合うものである。
大きく分けて「自分は死んだ後も生き残れる」という発想と「何か別の世界に行ける」という
発想をみんな取っているとされる。
「生き残り」と「別の世界」という発想が死に向き合った人の共通の考えなのだ。
217:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 13:18:14.96 NcbeSf3b0
「別の世界」という発想は、自分が死んだ後にも何か新たな体験があるのだろう
と考えるものであるが、「生き残り」という発想は、自分が生きていたコミュニティーで
記憶として残るという点を重視する。この「生き残り」という発想を考えたのはギリシャ哲学だ。
218:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 13:31:58.45 NcbeSf3b0
実際に生きている人は、すでに亡くなった人を記憶として残しているのは実感している。
だから当然、何らかの批判に耐えうる人生を歩んで自分も人々の記憶に残りたいと
考える発想があって当然だ。これは宗教以前の説明になる。
仏教では「輪廻転生」「涅槃」などという説明があるが、涅槃に関しては一体どういうものかという
詳細に関しては仏教界の中枢は沈黙しているとされる。
生きているうちに目撃した「他人の死」から学ぶ方法と、宗教の方面から研究する方法が
あることが分かる。
219:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 13:46:12.38 NcbeSf3b0
宗教の方面からの説明は多様なものがあり、その人の信仰に委ねるとして、
本稿ではより現実的に、
「人々の記憶に残る」という発想への「二元論からの批判」「「唯物論からの批判」
「臨死体験の研究が人々の死生観にどのような影響を与えるか」
「形而上学的な”死”の探求」
に関する記述で本稿を終える。
220:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 13:48:52.08 NcbeSf3b0
道化。資料ならいくらでもある。必要な時に言ってくれ。一晩で仕上げられる。
221:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 14:00:17.64 NcbeSf3b0
政治家のおじいちゃんたちは「歴史に残る業績を残せばいつ死んでもいい」と考えるだろうし、
庶民は「さんざん贅沢したらいつ死んでもいい」と考えるだろう。
それぞれ「二元論」であり「唯物論」だ。
道化がこれから向き合う「お年寄り」が「死」をどう受け入れるかを知っておくのは大事なことだ。
まったく不遇な人生を歩んできた人はひたすら念仏を唱えるかもしれん。
222:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 15:09:19.91 NcbeSf3b0
道化のための要約。「高齢者と死の意識の研究」
223:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 15:10:01.32 NcbeSf3b0
「死後の世界」スタンフォード哲学百科事典。
URLリンク(plato.stanford.edu)
序文:
人間は年老いたら死ぬし、体は朽ち果てる。しかし、死んだ後も自分は不滅である
という考えは「死の否定」とは別の意味で広く共有されている。しかし、
多くの人は「深く考えない」という対応をとっているとされ、中には「死を考える必要はない」
とする人もいる。しかし、この重要なテーマに対して「考える必要はない」と言い切るわけにもいかず、
この論稿はその「死」と向き合うものである。
大きく分けて「自分は死んだ後も生き残れる」という発想と「何か別の世界に行ける」という
発想をみんな取っているとされる。
「生き残り」と「別の世界」という発想が死に向き合った人の共通の考えなのだ。
「別の世界」という発想は、自分が死んだ後にも何か新たな体験があるのだろう
と考えるものであるが、「生き残り」という発想は、自分が生きていたコミュニティーで
記憶として残るという点を重視する。この「生き残り」という発想を考えたのはギリシャ哲学だ。
実際に生きている人は、すでに亡くなった人を記憶として残しているのは実感している。
だから当然、何らかの批判に耐えうる人生を歩んで自分も人々の記憶に残りたいと
考える発想があって当然だ。これは宗教以前の説明になる。
仏教では「輪廻転生」「涅槃」などという説明があるが、涅槃に関しては一体どういうものかという
詳細に関しては仏教界の中枢は沈黙しているとされる。
生きているうちに目撃した「他人の死」から学ぶ方法と、宗教の方面から研究する方法が
あることが分かる。
宗教の方面からの説明は多様なものがあり、その人の信仰に委ねるとして、
本稿ではより現実的に、
「人々の記憶に残る」という発想への「二元論からの批判」「「唯物論からの批判」
「臨死体験の研究が人々の死生観にどのような影響を与えるか」
「形而上学的な”死”の探求」
に関する記述で本稿を終える。
政治家のおじいちゃんたちは「歴史に残る業績を残せばいつ死んでもいい」と考えるだろうし、
庶民は「さんざん贅沢したらいつ死んでもいい」と考えるだろう。
それぞれ「二元論」であり「唯物論」だ。
224:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 16:09:16.60 NcbeSf3b0
この研究を踏まえて、死に直面した人とどう向き合うかが問題になる。
「武勇伝自慢」「女性遍歴自慢」を年寄りにさせたら死の恐怖は緩和するのだろうか。
とにかく、いろんな職業の背景には「研究」がなければならない。
小野家の「学問」は全部おれが引き受けているのだ。
225:ぽにょ
11/07/13 16:11:53.36 8V1avDV+0
うん。まぁ、でも、連投は止めてね><
226:忘八 ◆8HACHIqWlI
11/07/13 16:17:46.92 crXOyibFO
今日も暑いね、何時まで熱帯夜が続くんだらう(>Å<)!!!
…寝不足ですよ、もぅ( ̄Å ̄)
227:ぽにょ
11/07/13 16:20:57.13 8V1avDV+0
(・_・)っ【アイスノン】
228:忘八 ◆8HACHIqWlI
11/07/13 16:22:48.00 crXOyibFO
( ̄Å ̄)っ【水張ったバケツ】
229:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/13 16:23:02.83 NcbeSf3b0
結局、見知らぬ年寄りとの無難な会話は「おじいちゃん(おばあちゃん)!昔、モテたでしょう?」
なのかもしれんなw
230:ぽにょ
11/07/13 16:26:01.14 8V1avDV+0
お年寄りとの無難な会話は
相手の言う事に相づちを打ちながら
ただひたすら聞いて上げる事ですよ。