11/05/05 16:48:39.20 xayj+/ce0
>>87
私もひふみ神示は何度も読んでいますが、あまりとらわれ過ぎるのは良くない。
私も真理を語りはしましたが、悟りを一度得たからといって間違いを犯さないとも
限りません。
真理というものはそれだけ奥が深く難しいものです。
とらわれすぎて余計な混乱をきたすこともあるでしょう。
普通に考えて神の子とは、どこの馬の骨ともわからない私ではなくて天皇を
指す言葉でしょう。
自分の死の運命も語りはしましたが、実際に運命の日に死ぬのは私なのか
天皇なのかもよくわかりません。
私としては私が死ぬ方が一番良いと思っています。
それでも導き手は必要です。
王には王である者にふさわしい品格があります。神格と置き換えてもいい。
私にはそれがなかった。結局人々が信じるのは絶対的な何かなのです。
私が信じた絶対的な何かとは真理だった。
平等を望む私が王になるということはあってはならず、
王になることを望んでは私の言葉は全て戯言に変わってしまう。
それが道理というものです。