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理解できないけれど不思議で偉大だと感じるもの、
そういう畏怖、畏敬といった一種の感情を植えつけるだけで充分です。
その感情を育てられなかったなら、
聖書はただの教養、文学にすぎなくなってしまいます。
真実への畏敬の念、
畏れの念を植えつけるのは子供時代にしかできません。
だから大人が一定の解釈、合理的で容易な、
子供の未熟な理解力におもねった解釈を与えてしまわないことが大切です。
子供の理解力に妥協してはいけないと思います。
聖書なんて子供には理解できない、
大人にも困難ですが。
理解したり、好きにさせようとするのではなくて、
畏敬の念、不思議さ、よく分からない偉大さ、
そういうものに心を打たれるように仕向けるべきです。
そのために大人ができることというのは、
聖書に対してこの上なく真摯な態度で向き合って、
その内容をそのまま読んであげることです。
わたしはそう思います。