10/10/23 17:17:23 YXwYApfZ0
>>625
サロメが人類学的見地に立って、人の始まりから説明しようとしてる。
自分的には「神話の利用のされ方」に注目したいんだよねえ。
民族が生み出す物語「神話」には、多面的な意味があったと思うのだ。
文字が生まれる以前の口承文学、民族の精神性と言っても良い物。
文学であると同時に道徳規範という、民族の理念の現れだったんじゃないか、と思うのだ。
神話は様々な形で応用が利いたと思う。
信仰や集団ルールにも、むろん適用できたと思うのだわ。
で、なにより「集団の中の偏り」の説明がつくのが優れてると思うのだ。
究極の偏り。王と平民の違い。
これは神話を用いて解消する事を、人類はやってきたと思う。
王は神々の末裔であると言うのは、普遍的に見られる王権の説明でしょう。
ついでいにえば、神話は人の世の才覚の偏りも説明できてしまう。
彼の笛の音が美しいのは、ムーサが彼を愛したからだ、みたいにさ。
これは幻想の存在が、実在の意味を証明し始めたってことでしょう。
いや、逆かな。
古代の人々にとって、神々は幻想ではなく実在の存在だったがために、
神々の保証は有効である見なされるたという事なんでしょう。
って、ごめん、サロメ。
サロメの言わんとすることと、ずれてることを承知の上でレスしたわ。
人類の始まりと共に歩む、おとぎ話、神話に大きな意味があると思い、
あえて神話の機能にしぼってレスしてみました。