10/10/23 10:22:28 YXwYApfZ0
どう考えても、人間の才覚や境遇に平等はあり得ない。
平均を割り出す事さえ困難に思えるほど、人間はヴァラエティに富んでいるからだ。
サルのままでいられたら、この事には気がつかないでいられただろう。
だけどサルは進化し人間となって、仲間達のそれぞれの違いに気がついてしまった。
一人一人の顔が異なるように、才覚と境涯は多様性に溢れ、決して均一ではなかった。
この多様性を受け入れられる人間と、受け入れられない人間に分かれた。
受け入れられない人間は、多様性を落差と捉え己の境遇に不満を感じる。
不満を感じる者が煩悶とするだけならば、基本放置でOKだろう。
けど不満が高まり、その不満を誰かの血を流す形ではき出しはじめたら、
何らかの形で不満を解決しなければならないだろう。
なぜならその手の不満はウィルスのように伝播し感染し、集団をかき乱すからだ。
不満が拡大し流血が重なる事は、決して看過できない。
では、どうやって解決するのか?
その差が、個人の努力や周りの助力で埋められるのなら良い。
富める者が貧しき者に手をさしのべる事で、溝が無くなるのならそれに越した事はない。
だけど、どう頑張っても埋まらない場合もある。
様々な理由で生じる治しがたい障害や病気、不幸としか言いようない境遇、
譲りあう事が基本的に出来ない才覚のばらつきや、譲る事を拒否するプライドの偏り。
努力では埋まらないのなら、人の力では解決のしようがないということだ。
となれば、何としてでも諦めせさて、受け入れさせるしか方法がない。
しかし、この理不尽をどう納得させればいいのか?
そこで「神話」を用いる人が出たきたんじゃないのだろうか。
不平等を解説するためのテキストとして、人知を越えた存在達の物語を、
不満を感じる人々の理由としてあてがうのだ。
神々のなされた事なのだ、と受け止めさせ、無理にでも納得させる。
それでも受け入れられなければ、神々の罰がくだるぞ、と脅す事も出来る。
その不満を罰として、死を持って神話を当てはめた事もあったろう。
こうして、人々の不満と神々の神話は結びついていったんじゃないのだろうか。