10/11/18 12:18:04 D8DhwCyE0
祈るの人って、祈っている時はいいんですが、普段の行動の中に、その
祈っている時と同じ思いが入っていないことが多いのです。
つまり、1日の内で、ほんの一部の時間だけ「世界平和」を念ずるとしたら、
残りの大多数の時間は普通の人と同じ程度の思いで生きていることが多いのです。
言い替えれば、1日にちょっとだけ「世界平和」を念じて、残りの時間は
現実生活に追われ、神や平和とはかけ離れた思いで過ごしているのです。
それだったら、全然祈りなどしなくても、常に相手への思いやりや、
美しい言葉を投げかける人のほうが、1日中「より高い意識」を表現していることになります。
ただ、白光真宏会は、祈るだけでいいなんてのはまったく言ってないし、
自分の内なる神など言及せず、外の神を祈れ、なんてまったく言っていないわけです。
だから、もし私がリーマンを批判するなら、その部分を批判しますね。
「内なる神、自分の内側で神につながっていることすら自覚せず祈れ」
などと、一体誰が言ったのですか?と。だから、「ずれてますね」と言っているのです。