10/10/29 03:06:00 QO5iwC8b0
>>731さん、横ですが拝見しました。
本当に優しい人は、ただ自然に誰にも優しくふるまっている。
本当に優しい人は相手を選んで、相手からの優しい応答があるから優しくふるまう
のではない。
「典型的な、いい人、優しい人」は、接する相手からの
優しい応答を期待しているせいで、相手を選んで優しくふるまっていて、
その特定の相手が自分のしたのと同等に優しく応答する場合はくりかえし
期待しながら、その相手に優しく接する。
典型的な優しい人は、優しくふるまってみたところ、
相手が同じように優しく応答しない場合、心の奥底に怒りを蓄える。
本当に優しい人は誰がどう応答しようとも怒りを蓄えることはない。
...というところでしょうか? こういう考えで自分を吟味してみました。
私は7^3さんではないのですが、そうだとしたら身につまされます。
私は私の相手をしてくれそうな人を選んで接する。
私を「あんたは優しいお人だ」と認めてくれることを目的として、
私をいつまでも見捨てないことを目的として、相手に優しくふるまう。
私はその人が自分の思ったように応答しない場合、相手に対して怒りを抱く。
相手に対する怒りを蓄えるだけでなく、思ったように応答しない相手を私は怖れる。
私は怖れた相手を内心で責め立て腹を立てているのに、
自分で自分を優しい人だと思っているので、怒りを表現することも相手を責めることも困難だ。
けっきょくのところ多くの場合、私は自分を守るためには相手から離れることしかできない。
どうしたらいいのでしょうか。