10/09/30 14:28:44 QTs2ajjEO
むかしエホバに勧誘された
まだハタチそこそこの頃だったなあ
おばさんと、綺麗なお姉さんの二人組だった
結局は、わたしの母に息子を誑かすなと追い返されて終わったが、
何度かの接触で、ニ、三、面白い議論が出来た
まずは、キリスト教と言うものを倫理道徳的な智恵として
扱えないかと私が提案した
神の教えは絶対主義に陥るから、あくまで人類の智恵として広めたらどうかと
背景にはバチカンの変化があった
当時の教皇が進化論を認めると発言したのだ
今はどうかは分からないが、時代とともに歩もうとの
決意のようなものを感じた
しかしエホバの人はバチカンの変化を拒否した
私たちは違う、キリスト教にも色々あるんです、
一緒くたには出来ないのですよ、と
そこから、ミッシングリングの話に突入し、
若く決めてのない私は進化論からの揺さぶりを諦めた
猿からの進化を許容するだけのアプローチでは、
猿からの進化であると言う証拠にはならないのだ
許容したっていいじゃないか、では、彼らは決して折れないと知った