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文藝春秋2009年7月号「昭和天皇」より「陸軍パンフレット」について。
昭和9年10月1日、陸軍軍務局新聞班は「国防の本義と其強化の提唱」と題するパンフレットを
発行した。永田鉄山の軍務局長就任以来、10余りのパンフレットを出していたが「国防の本義」
ほど反響の大きなものはなかったため、以後「陸軍パンフレット」といえば、この冊子をさすように
なった。
発行が増刷になったのみならず、新聞各紙が文面をそのまま掲載したので、事実上、一千万部
を発行したに等しいなどといわれたそうだ。
「たたかひは創造の父、文化の母である」という高名な書き出しで始まるパンフレットは国民に対
して、国防観の全面的な革新を求めていた。
日清・日露の際の国防観、第一次大戦の国防観、からさらに発展させて、軍事のみならず経済、
思想、文化すべてが参画する「国家の全活力を総合統制する」戦争を想定していたのだ。
パンフレットの起草者は、陸軍省軍務局政策班長の池田純久少佐で、経済統制においては陸軍
を代表するエキスパートだった。
この「経済統制」という発想に当初は株価が急落したものの、永田が財界に人脈が多く、永田の
主張に賛同するものも多かったことからすぐに株価は持ち直した。
永田は「革新という用語を使う連中は大勢いても、具体的に内容面に立ち入って語れる奴はいない」
と公言していたそうだ。
この、永田の近代的国防観は、大元帥陛下の馬前で死ぬことのみを任務と心得る軍人たちには
脅威と映った。それがその後の皇道派のクーデター事件につながることになる。
天皇機関説事件も、天皇を崇高な存在として自らを正当化する軍人たちの口実みたいなものだった。
永田の言説は、近代的軍事体制を構築できる資質をもたない大部分の将校たちの存在価値を否定
するに等しいものだったのだ。