10/10/09 01:00:19 xGb4OkYC0
鬼ノ城には建物の柱の土台になったと思われる礎石がいくつか発見されている
礎石は丸く変色が有り、柱が立っていた事は間違いが無いようだ
その側で焚き火の跡も見つかっている
この焚き火は平安期の物らしい
ふつうは柱の側で焚き火をする事は無い
とすると平安時代には柱は消滅していたと考えられる
白村江で負けたのが663年
平安時代は794年-1185年、古事記が書かれたのは712年ごろ
鬼ノ城は山城で平地からも目立つ場所に有る
しかしまったく記録は無い、どう考えてもおかしい、変だ
西日本で最大規模の山城なのにだ
大和朝廷前に強大な権力者の存在が有ったのでは無いか
鬼ノ城には民間の伝承が有るが
それは鬼が空飛ぶ乗物でやって来たという伝説だw
天孫も空から降臨してる
あと、どうも発掘調査してる人は発掘結果を隠しているフシが有る