10/11/10 02:06:37 z/KhOYAo0
>>439
縄文遺跡で言えば初期の遺跡は内陸(高台)部に多く、中期の遺跡は海岸線近くにも多くなる
これは全国的な傾向である
約1万年前頃は海面上昇の最中であり、その頃の人々は海岸線を避けていたと考えられる
海面上昇による水害を恐れていたのだろう
これは長江一帯に関しても当て嵌まるのでは無いだろうか
長江河口地帯は氷河期末期の海岸線から、現在は500km!ほども後退している
氷河期末期に長江河口で暮らしていた古代人は海面上昇と
それに付随する水害を避けるために、河口からかな~り離れた事が推測できる
縄文初期の内陸部の縄文人たちは何処から沸いたのだろうか
これは日本全体の海岸地帯から移住したと考えられる
沸く訳は無いからw
彭頭山文化や裴李崗文化が中流域も沿岸部からの移住が考えられる
そして時代が経過して徐々に海岸付近まで戻ってきた
しかし4200年前の水害で壊滅的な打撃を受けまた中流域に戻った
こう考えると問題は無い
古代の遺跡の分布の変化は主に地球環境に左右されていると言えるだろう