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■ 若い旗本のおバカ武勇伝
まあこんな具合ですから、江戸に住んでいると学問などをやってもモテる道理がなく、それは町人
ばかりではありませんでした。武士であるべき旗本の子弟も「学問より三味線だ」とばかり一斉に
そちらになびいてしまい(手っ取り早くモテようと思ったら、今も昔もやはりミュージシャン路線なのでしょう)、
学問はさっぱりだがそちらの方はかなりのもの、という若い旗本が大量発生します。
当然ながら彼らの学問レベルの低下は目を覆わんばかりのものとなって、学問以前の段階として、
彼らの多くは漢字がろくに読めず、その有様が司馬作品などでも述べられています。
例えば彼らは「会津」という字が読めず、幕末動乱の折に彼らがどやどや会津藩邸の前まで行ったは
良いのですが、その表札の漢字が読めません。そのため彼らは表札を見上げて、これはカイズと
読むのじゃないか、いやクワイズと読むのだといって、結局そこが会津藩邸だということが誰にもわからず
そのまま帰ったという、何ともしまらない話が伝わっています。
また当時の老中の名前も「何のかみ」の部分が読めず、安政の大獄の大老、井伊直弼なども
「井伊掃部頭(いいかもんのかみ)」=「イイホウキアタマ」、また
「酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)」=「サカイガラクガシラ」
という有様で、これではまともな政治論議など出来たものではなかったでしょう。