10/10/24 11:08:06 ZDthw54X0
もともと生きること自体が、罪を作りながらでしか生きれんようにできててな、大神様は「隣の葉っぱ一枚取っても罪となる」と仰せじゃが、米や魚を食らうことも罪だし、
ましては罪無き牛を食べる目的で飼育しとるなんぞは、恐ろしい所業ということになる。
人が他の命(動植物)を食さなければ生きてられないのは、他の命を食してでも生きることが許されているということであり、人が生きること、人生の道を
渡ることはそれほどに重要な意味があるということだし、うちらの人生の深い意義を指し示してる。
また、生きることが許されている存在だとしても良いし、許されているということは、
当然、何かを成すために生かされているんだろう。
よって、小さな罪も罪として認めて受け入れながらも、その罪を償って余りある徳積みをする。
食された命に感謝しながらも、コツコツと本物の徳積みをすることが生きる目的なんだ。
徳積みの本質は、己の利益や都合よりも人のために何かをすることだ。
今後、自称霊能者がますます増えてくるはずだが、また、身魂分けによる振るい落としと、
それに伴う病気やアクシデントも激増すると思うが、つまらん情報に踊らされず、
また自分勝手な頼みごとに終始せず、謙虚に徳積みする心にのみ花が咲くはず。