原爆にまつわる怖い話33at OCCULT
原爆にまつわる怖い話33 - 暇つぶし2ch8:本当にあった怖い名無し
10/08/15 04:53:22 jGZD/iwy0
原爆投下:「次は新潟だ」 疎開命令で市民緊迫 広がる恐怖、無人で迎えた終戦

1945年8月、終戦を前に広島、長崎に投下された原子爆弾。米軍の投下目標の一つに含まれていた新潟市では、
気配を察知した知事が疎開を命じた。新潟市中央区の緑茶販売会社「浅川園」会長、浅川晟一(せいいち)さん(104)は、
65年がたった今も“原爆疎開”の様子をはっきりと覚えている。【小川直樹】

にぎやかだった新潟中心地・古町に人影はなく、音も消えた。「ガラーンとして、猫の子一匹いないという言葉通り。
不気味だった」と浅川さん。終戦2日前の45年8月13日のことだ。繁華街にあった大和百貨店は営業を中止し、ウインドーには
郊外への疎開を急ぐよう市民に命じる役所の張り紙が掲示されていた。

当時の新潟市は今の中央区と東区の一部が市域で、人口は約17万人。大陸と結ぶ物資輸送の拠点港として、軍事上も
重要な都市だった。しかし8月に入っても、なぜか米軍のB29爆撃機による大規模な空襲はなかった。同じように無傷
だった広島市には6日、長崎市には9日、原爆が投下され、一瞬で壊滅した。「次は新潟が新型爆弾にやられる」。
市民に恐怖が広がった。

県は緊急に対応を協議し、当時の畠田昌福知事は10日付で市民に「徹底的人員疎開」を命じる布告を出した。「(広島市は)
極メテ僅少ノ爆弾ヲ以テ最大ノ被害ヲ受ケタ」「酸鼻ノ極トモ謂(い)フベキ状態」「新潟市ニ対スル爆撃ニ、近ク使用セラレル
公算極メテ大キイ」。その文面からも当時の緊迫感が伝わってくる。

知事布告は11日に町内会を通じて市民に知らされる予定だったが、うわさは10日のうちに広まりその日の夜から疎開が始まった。
郊外へ通じる道は、荷物を山積みした大八車やリヤカーを引いて逃げる市民であふれた。郊外に知り合いがいない市民には
集団住宅が用意され、13日までに中心部はもぬけの殻となった。

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