10/09/29 21:32:15 wqaOR7dy0
本スレに纏向遺跡から出土した桃の種の話を貼りましたが、あれは3世紀代の遺物で、祭祀のためのものであるのは
間違いないようです。纏向遺跡といえば、邪馬台国問題における畿内説の有力候補地であり、卑弥呼が魏に朝貢したの
が239年、これらの遺物とは年代も近いです。
歴史板で最も大きな話題は、この桃の祭祀が神仙思想に関わるものなのかどうかということ。「三国志魏書東夷伝」には、
卑弥呼について、>鬼道につかえ、よく衆を惑わす。 とあり、もし纏向遺跡が邪馬台国の中心地だったとして、この卑弥呼
の「鬼道」が神仙思想・・・つまり道教であるのかどうかが議論のテーマになっています。
纏向遺跡からは様々な遺物が出土していますが、jこれまではっきりと道教の影響を示すものはありません。そこから伺わ
れるのは農耕と供食の祭祀儀礼です。しかし一方、畿内からの出土が多い、卑弥呼が魏から下賜された鏡の候補の一つ
である「三角縁神獣鏡」(国産説も有力)の主たる文様は、東王父と西王母で、これは極めて道教的なモチーフです。
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