10/08/07 15:19:48 eIvHZlde0
>>85
第一次日露戦争を記憶せよ!
樺太県史 第2章 1792~1811
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ロシア帝国海軍太平洋艦隊の提督・レザノフは、
樺太や蝦夷地の防御力を調べ上げ、艦隊に命じた。
「樺太大泊にて、日本船を破壊し、捕虜にする。日本の商店は略奪したあとに破壊せよ。
日本の役人に樺太はロシア領である。日本人の渡航を禁止すると伝えよ。
原住民はロシアの皇帝に服従させること。」
文化3年(1806)秋、フボストフ率いるロシア軍部隊は、60人の兵力で、大砲24門を装備した戦闘艦、
ユノナ号で樺太に侵攻した。
日本人側の商人である、運上屋の番人は、酒食をふるまいもてなそうとした。
だが、ロシア兵はそれらを床にぶちまけた。ロシア人は「商い、商い」と連呼したという。
しかし、日本人側が、異国との交易が禁じられていると手まねで回答するや、
ロシア兵は銃を撃ちはなって威嚇したうえ、
番人たちをユノナ号に拉致した。
そして、倉庫から米300から600俵を奪い、弁天社、運上屋など11箇所に放火し
大泊の町は猛火につつまれた。
ロシア人は弁天社の鳥居に真鍮でできた板をとりつけ、樺太の占領と、
先住民はロシアに服従した、と意味する内容を記した。大泊の街はほぼ壊滅した。
この報告を受けた、松前家家老 松前左膳は
「樺太はわが藩の領土である。ロシア人の残した真鍮板をそのままに差し置くべきでない。」
松前藩兵123名を動員、樺太に急行し、ロシアが残した、真鍮板や書状などを回収した・・・