10/10/06 21:54:55 mSTuF3q30
795 :ラピスラズリ-KoD:2010/10/06(水) 21:48:31 ID:yO1TpSrt
>>790
①>主キリストは、十字架の受難により仏性すなわち、神性を開花されたの
ではなく、神性そのものにご自分を栄化(神化)されたのです。
仏性や神性を開花するのは、神ではなくその被造物である人間においてなされることです。
イエスの十字架上での死とは、人類の罪のためのあがないではなく、神性そのものの
おん父と人性である御子キリストの一致合体のための儀式です。
②>十字架上での死と(あがない)とは、別々のもです。一緒にしたらいけません。
①に関して
イエス様以外にも、イエス様と同様な境地に達せられた聖人はほかにも沢山おられるのでは
ないでしょうか。例えばお釈迦様もそうだと思います。ただお釈迦様の事は聖書には書かれて
いないだけです。
②に関して
イエス様は十字架の受難を経て栄化の後に、初めて贖罪主としての立場に立たれたという意味ですね?
つまりイエス様は栄化、つまり死後、初めて贖罪主としての立場に就かれた。
そうしてみると生前のイエス様のご行為は完全なものではなくて、受難後に初めて完成された
贖罪を行う事が出来る様になったという意味になりますね。
スエデンボルグの説くところは、この理解で良いですか。
スレリンク(psy板) キリスト教@質問箱255