10/08/04 22:37:25 +zks/9EF0
>>603のつづき
一方で、朝鮮などの中華圏にあった国々が支那皇帝に対して行っていた朝貢とは、まさしく
主従関係、つまり冊封関係の事である。
冊封とは、支那皇帝から「王」の位に任命して貰い、支那皇帝の権威をもって国を治める、という
関係である。
このため、支那皇帝からの許可が無ければ、自国の「王」すら決められないという状態が現実に
起きており、これは韓国の歴史ドラマでも、そのような場面が度々放映されている。
地域を統治する権能を有する地位は「皇」という文字で表されており、文字通り「皇」という文字を
使えたのは支那の『皇帝』と日本の『天皇』だけである。
支那皇帝および我が国の天皇は、暦を定め、祭祀を司っている。これが国を統治するという
意味である。
以上からも判る通り、日本に2600年の皇統が継続しているということは、まさしく我が国が
支那皇帝の中華圏とは別の、もうひとつの日本文明を築いてきた事の、なによりの証である。
聖徳太子が隋の煬帝に
「日出る処の天子,書を,日没する処の天子に致す。恙なきや。」
の書簡を送ったのも、上記の理由に由るのである。