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六 天皇と神道
「神道」という言葉が中国の思想文献で最も古く見えているのは、
『易経』の「観」の卦の彖伝(たんでん)である。彖伝というのは、
『易経』の六十四卦のそれぞれについて一卦のもつ総体的な意味を
解説した文章であり、「観」の卦の彖伝の文章は、
「盥(てあら)いて薦(すす)めず、孚(まこと)有りて、?若(うやうや)し。
下観て化するなり。天の神道に観て四時?(たが)わず、聖人は神道を以って
教を設けて天下服す」となっている。
神を祭る場合には先ず手を洗って身心を清める。そして、お供物などを
すすめる前の、これからお祭りを行なうという精神の緊張した状態こそ
真心がこもっていて敬虔さの極致であり、しもじもの人間に対して偉大な
政治的感化力を持つ。聖人すなわち最高の有徳の為政者は、春夏秋冬、
季節の循環に規則正しい大自然の、神秘霊妙な造化の真理を観察して、
その真理に基づく政治教化を実践していく。かくて全世界の人間が悉く
その政治教化に服従し、天下の太平と天地の太和とがこの地上の世界に
実現するというのが、この文章の大意である。
そして、このような天下の太平と天地の太和の実現を天上世界の
皇帝である「天皇」と結びつけて、『易経』よりもさらに徹底した
宗教的信仰の立場で「神道」=神の世界真理=を強調しているのは、
二世紀の半ば、中国の山東瑯邪(ろうや)の地区で「天神」から
「神書」=神道の聖書=として道術の士の干吉(かんきち)に授与されたという
『太平清領書』(『太平経』)百七十巻である。
わが日本国において「神道」という漢語を最初に用いているのは、
八世紀の初め、元正天皇の養老四年(720)に成った『日本書紀』であるが、
例えば、「天皇、仏法を信じて神道を尊ぶ」(用明紀)、また「天皇、
仏法を尊び神道を軽んず」(孝徳紀)などという「神道」の概念の使用法は、
上記干吉の『太平清領書』のそれに最も近い。ただ天皇の概念が『太平清領書』
における天上世界の皇帝から、七世紀、唐の高宗(649―683在位)における「天皇」の
称号の使用と同じく、地上の世界の皇帝を呼ぶ言葉として変移していること、
天皇が宗教的信仰もしくは祭祀祈祷の対象としてよりも祭祀祈祷の主宰者、
すなわち神道の実践者として規定されている点が大きく異なる。