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日本古代史像の転換
福永 光司著 (人文書院)
五 天皇と神
この神宮という漢語は、『日本書紀』景行紀によれば、日本武尊が
東夷の征討に向かわれる途中、「伊勢神宮を拝み、仍(よ)りて
倭姫命(やまとひめのみこと)に辞す云々」と見え、同じく垂仁紀に
よれば、その伊勢神宮というのは皇室の遠祖とされる天照大神が、
「この常世の波の重波帰(しきなみよ)する国に居らむと欲す」と
誨(おし)えられたので、この伊勢の国の五十鈴の川上に造営された
のであるという。
ところで皇室の遠祖を祭る宮殿を「神宮」と呼ぶことは、中国最古の
歌謡集『詩経』(魯頌)「?宮(ひきゅう)」の神楽歌の鄭玄(127―200)注に、
「(周王朝の)遠祖たる姜?(きょうげん)の神の依る所、故に廟を神宮と曰う」と
あるのに基づき(「姜?」も女性神)、この神宮が造営された伊勢の国が
「常世の波の重波帰するところ」という「常世」もまた、同じく垂仁紀に
「常世の国とは神仙の秘区にして俗(人)の臻(いた)らむ所に非ず」
などと見えている。
天皇家の遠祖とされる天照大神を祭る伊勢神宮の御神体が鏡であり、
鏡であることが即ち道教の宗教哲学と密接な関連性を持つことについては
既に述べたが、天照大神の「大神」という言葉の使用、神宮を内宮と外宮に分かち、
斎宮、斎官、斎王、采女等々を置くことなども、それらの用語と共に
道教をその代表とする中国古代の宗教思想ないし制度と密接な関連性を持つ。
西暦九世紀の初め、桓武天皇の延暦二十三年に伊勢神宮の神職から
朝廷に献上されている『皇大神宮儀式帳』によれば、神宮の儀式儀礼の多くは
道教ないし中国古代の宗教思想信仰と密接な関連性を持ち、例えば、
祭祀に用いる「幣帛」や「五穀」、「人形(ひとがた)」や「五色の薄?(うすぎぬ)」、
神職の用いる「明衣(きよぎぬ)」、「裙(も)」、「袴(はかま)」にいたるまで、
道教的な中国のそれが大幅に取り入れられている。