10/09/01 02:23:17 hmDykawo0
>>351
スマン、352書き忘れ
そう、うちの母親は当時19,20才の頃で、近所の軍需工場(砲弾を作ってた)で働いていて
空襲警報が鳴ると一斉に全員帰らされたって。そらもう、そんな時外に出されたら各々自分とこの防空壕まで
ひたすら走るしかなくて、隣で走ってる人が戦闘機の機銃掃射で打たれて死んだり、同僚が投げた防空壕に
爆弾直撃で全滅だったりでまさにサバイバル状態。
でも、当の本人は能天気なのか恐怖心が麻痺してたのか、何にも怖くなかった。死んだら死んだでしょうがない。
なんて言ってたよ。スレチだけど補足。