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大長谷周辺の谷々がまとめて野積谷と呼ばれていた頃、野積谷は天子様の領地だった。
そのため、村々の長は紙・油・蝋などを朝廷に納めるため、毎年、都に上っていた。
ある年、上洛の道中、金沢で最高級の宿にとまり、最上級の酒を注文して大いに遊んで
しまい、勘定が払えなくなってしまったので、納め物の多くを売り、その代金で支払い
を済ませた。そして天子様に、
「今年の野積谷は不作のため、いつものように多くの品を納めることができません。」
と、告げたところ、とても心配なさり、豊作のお守りに、と稲荷大明神を授けて下さった・
これが現在の富山市(旧八尾町)宮の下の稲荷堂だという。