10/01/19 21:24:20 vezhM7dM0
104です、やっぱりイミフですみませんでした・・・
>能動的ジコチュー と 受動的ジコチューがあると言う事?
↑その通りです。
>「自己中心的」が能動的に発する側であるなら、この場合には「受動的な生き方により、周囲に流されすぎる存在」みたいな。
書き直してみます。
能動的に自己中な意思を発する側 =集める・支配下へ置く・利用する。
↓へ大きく影響する存在。
受動的に自己中な意思を発する側 =自分ひとりへ「利」があることを望む。
自分では「利ざとく」立ち回っているつもりだが、実は能動的発信者の支配を受やすい。
「利」を目の前へぶらさげると安易に流されてしまう。(自分でない誰かの意思に左右される)
ただし、自己中ゆえに持続性はない。
方向を変えられただけで解散するが、※ある種の波動のようなものの影響下からは抜け出ていない。
(※ある種の波動・・・何と表現すればいいのかが判らないので、こう書きました)
上記のような一時的なコミュニティが集合したり、解散したりを見ていると、
その都度強い「気」や「波動」らしきモノを感じるのですが、
それらは単なる「個の集合体」ではない、とも感じる。
「気」や「波動」らしきものは場所にも、人の集まりにも、同じように感じる。
そういった「気」や「波動」らしきモノは何なのか?何と呼べばいいのか?
「気」や「波動」らしきモノの「発生と成り立ち、その捉え方を知りたい」のです。
(ああ・・・くまちゃんから「シラネーよ」って言われそうだ・・・)
くまちゃんの「自己中と煩悩について」のお話を読むにつれて、
上記のような自己中カテゴライズが脳内に発生して、
なんと呼べばよいのか判らないモノ(文内では「気」や「波動」のようなモノと書きました)で、
こんなスレ汚しみたいな散文になってしまいすみません。
風呂敷を畳めない、みたいになっちゃって、本当にすみません。