11/09/02 13:59:23.17 KU3nEbA8
>>912
いやプロイセン王国の成立は宗教改革後の1701年。
16世紀のプロイセン公領からもうプロイセンはプロテスタント。
民族主義や国家主義はともかく、宗教の軋轢はキリスト教徒内でももうあった。
フランス人の大量の移民もフランス王ルイ14世が「今日からうちカトリックね。プロテスタント駄目絶対!」
になっちゃって、新教徒が他の新教国に逃げちゃったから。
プロイセン(まだブランデンブルク=プロイセン)は大選帝侯はポツダム勅令を発してこの難民を受け入れた。
このフランス移民たちはかなり優遇されたらしく、フランス人用の教会や学校もあって王国になった頃のベルリンの住民の3人に1人はフランス人だったとか。
2代目の国王の時にも、ザルツブルクから旧教から逃げた新教徒移民が2万人も移住してる。