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「新羅王よ、わが尻を食らえ」
欽明天皇の代に新羅がまた背き、562年に任那(みまな)を亡ぼしたので、
朝廷は紀男麻呂を将として問罪の師をおこし、
【調伊企儺(つきのいきな)】はこれの副将であった。
妻の大葉子(おおばこ)とともに軍に従い、敗れて、虜となった。
新羅の連中は、刀を抜いて彼に迫り、その褌を脱がせ、臀をあらわにさせ、
日本のほうへ向けさせて、
“日本の将、わが尻を食らえ”
と叫ばせようとした。、しかし伊企儺は、敢然と
"新羅王、わが尻を食らえ”
と叫び、殺された。その子である舅子は父 伊企儺の屍を抱いて死んだ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)大葉子