11/10/02 17:21:08.40 t7XYIv7r
パール判事の言葉
「ハル・ノートのようなものをつきつけられれば、モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう。」
========================================================
かくして、日本は、自らの「生存権」(生きる権利)を賭けて、「対米開戦」と言う「カード」を選んだのです。
つまり、アメリカは、日本に好むと好まざるとに関わらず、「対米開戦」と言う選択を取らせたと言う事です。
それを物語っているのが、『ハル・ノート』が日本側に突き付けられた翌日、11月27日の朝、ハル国務長官が、
スチムソン・陸軍長官に言った言葉、
「私は日米交渉から足を洗った。今やこの問題は貴方とノックス(海軍長官)すなわち陸海軍の手中に落ちた」(ベアード『ローズヴェルト大統領と戦争の到来』)
だったのです。つまり、ハル国務長官は、日本が『ハルノート』を到底受け入れない事、
そして、否応なく「対米開戦」に踏み切るであろう事をはからずも「吐露」しているのです。
URLリンク(www004.upp.so-net.ne.jp)
================================================================
ハル・ノートの過酷な要求が戦争を誘発したとの批判は米英の識者の間に当初からあった。
英国では、戦時中の1944年6月、保守党内閣の重鎮であったオリヴァー・リトルトン生産相が
ロンドン米人商工会議所で
「米国が戦争に追い込まれたと云うのは歴史を歪曲するも甚だしい。
米国が余り酷く日本を挑発したので日本は真珠湾攻撃の止むなきに至ったのだ」と述べて
英米間の問題になり、国務長官弁明まで飛び出す始末であった。
「大東亜戦争への道」展転社 中村粲