10/12/23 23:29:33 bTW1a3Xa
安西家
URLリンク(ja.wikipedia.org)
安西家について、神一行 著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』332-333頁によれば、
「豪華絢爛たる最高閨閥を誇る安西家であるが、多くの名門家系がそうであったように、
この安西家とて三代前までさかのぼれば、ただの庶民にすぎなかった。
そして、この家族を語るときは必ず、戦前の新興財閥であった“森コンツェルン”との関係を抜きには語れない。
そもそも安西家と森家の祖先は千葉県興津(現勝浦市)の在で、道路一本へだてた隣同士だった。
後に安西正夫と森矗昶の長女満江が結婚し親族となるわけだが、その祖父にあたる安西八郎兵衛、森為吉は、勝浦の貧しい一漁師にすぎなかった。
明治の中頃この地方の漁師たちは海岸に流れつく海草の一種カジメを拾い集めるのが割りのいい仕事だった。
焼いてヨードと塩化カリをとるのだ。
日清、日露の両戦争でその需要が飛躍的に伸びた。
ヨードは傷病兵の治療に使われ塩化カリは火薬に必要だったからである。
これに目をつけた安西、森の両家は群小の“拾い屋”をまとめて総房水産株式会社を興した。
社長に森為吉、専務に安西直一、常務に森矗昶という布陣。
いわば両家の関係は隣同士の関係から共同事業主としての関係へと運命共同体として結びつくのだ。…」という。