10/12/27 11:25:51 PywFxrIQ
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
AERA(2011/1/3-1/11合併特大号)雅子さま「治らぬ病の深層」1/2
・皇室取材班による3頁の記事。
・「母は強し」2010年の雅子さんはこれを地で行った。付き添い登校を続けて9ヶ月。
「他の児童の迷惑ではないか」「母子密着では」様々な批判を浴びる中、黙々と本能の信じる道を歩んでいる。
・東宮大夫会見による登校できない理由が明らかにされた翌日、徳仁氏はアフリカへ出発。
雅子さんは不安を話せる相手もいないまま一人で院との交渉の指揮を執る。
・愛子ちゃんは学校にいる時間が延び放課後の遊びに加わることも。
雅子さんは安心したのか当初のように全て付き添いではなく、特別教室での専科の時には貴賓室で待つことも。
・2学期当初は侍従が「お弁当」を用意、雅子さんが見守る中で。
最近はまだランチルームで他の児童とは無理だが、同じ給食を持ち込みで食べる。
・1時間目の授業には一度も出ていないことに「雅子さんが朝が苦手だから愛子ちゃんも行けないのでは」と一部で指摘。
以前、7時半頃登校していたことがむしろ不自然で「苦手な児童を避けるために早めに登校していたのではないか」(院関係者)
・10年の誕生日文書に自身の病状や体調の問題が綴られていないのは、雅子さんの脳裏になかったからだろう(関係者)
・公務ができなかったことへの思いがなかったのも、率直に言って関心の外だったのかも。
実際の体調は「自らを奮い立たせた」(身近にいる人)ことで時々風邪で休むことはあっても付き添い続け、むしろ改善された。
・妃殿下としての活躍は、「両陛下即位20年・結婚50年」の節目だった09年、そちらへの出席を最優先したが、
10年はそのくびきから離れ「雅子様飛躍の年」になるはずだった。
・それを印象づけたのが1月の阪神淡路大震災追悼式典出席で、雅子さんは涙を流し、20分と短いながらも濃密な時間を遺族と過ごした。
・かつて「東宮職医師団見解」は公務を「心が強くなる体験」と指摘。この時の公務はまさにそうした体験だろう。
・他人との痛みを共有することで自信を取り戻す。長く暗い回復の道のりに明るい光となるような体験だったが、
直後の登校問題で周囲が期待するほどの公務復帰とならなかった。